(ふるさと紹介)

飛騨はちょうど日本のど真ん中にあり、アルプスの懐に抱かれた山と森と田園の国です。
厳しい自然とともに逞しく生きてきたこの国の人々の心は、素朴で謙虚でそして滲むように暖かいのです。
春はぬるむ小川に魚を追い、夏は裸足で川辺を走り、秋は山で木の実を拾う。雪の冬はそり遊びと......子供の頃の想い出は尽きることがありません。

この山深い飛騨のほぼ中央に位置し、高山市中心部と飛騨市古川町のちょうど中間にある静かな町が私の故郷「飛騨国府」です。(2005年2月高山市に編入、高山市国府町となった。)
JR高山線で名古屋から約2時間半、富山から約1時間半の距離にあります。
標高 510 m 面積 8,900 ha 人口約 8,000人の町で、町内を流れる宮川と荒城川はやがて神通川となり富山湾にそそぐのですが、その合流地点にあたる豊かな流域は遠く古代から人々の営みの場として発展し、数多くの貴重な史跡が残されています。
このように「飛騨国府」は千古の歴史が息づく飛騨文化発祥の地としての誇りを持ち、また昭和53年には全国に先駆けてCATVシステムを導入するなど、進取の気性にも富んだ魅力のある故郷であります。

飛騨路は、高山や古川の古い街並みに華麗なお祭、奥飛騨や下呂の温泉郷、世界遺産になっている合掌造りの白川村など、魅力的な観光スポットでいっぱいです。
そのちょうど真ん中にあって静かに佇む我が歴史の町「飛騨国府」にも、お立ち寄り頂いたら如何でしょうか。

蛇足ながら、私の実家はこんなに素敵な故郷の真中あたりにありましたが、今は住む者も無くすでに取り壊してしまい跡形もありません。
生まれ育ったこの家をめぐる断ち難い想いの数々を綴ったエッセイ『ふるさとの廃家』を掲載しております。
御覧頂ければ誠に幸甚です。(「ESSAY ふるさとの廃家」をクリックして下さい。)

畑 式久(国府町出身、可児市在住)

(飛騨国府史)

町のあちこちから石器や土器の類が出土し歴史は遠く石器時代まで遡りますが、縄文時代前期のものといわれる竪穴式住居跡(村山遺跡)や飛騨地方最古の古墳と目される三日町大塚古墳(前方後円墳)、県下最大の石室を持つ「こう峠口」古墳などを始め夥しい遺跡や古墳が発掘されています。

大和王朝による国土統一が行われて、全国各地に「国府」が置かれ「国司」が派遣されましたが、斐陀(当時飛騨はこのように表記されていました)の国府は、多くの古墳群や古代寺院跡、遺されている地名などから国府町広瀬町桜野付近であったと推定され、豪族斐陀国造一族の本拠地もこのあたりにあったと考えられています。(上掲の写真(桜野公園)の対岸から山懐にかけて国府が置かれていたとされています。)

このように一帯は豊かな農業生産力を背景に飛騨の先進中心地として発展してきました。しかし奈良時代に入って官道や駅の整備が進むとともに美濃に近い高山盆地の方へ次第に重心が移り、平安、鎌倉、室町と時代を経るに従い武士階級の勃興と中央政権の支配のもとに、飛騨の政治経済の中心は現在の高山市へと移っていったのです。(詳しくは国府町の歴史年表を御覧下さい)

さて次のページでは歴史の町「国府町のみどころ」(国府町の"自慢")を探ってみましょう