西   暦
時代区分
国 府 町 の 歴 史 ・ 遺 跡
飛 騨 全 体 の 歴 史 ・ 遺 跡
日 本 史
BC10,000







BC 5,000


BC 1,000





BC 300


AD 100



300






600






700



800




1200

1500

1600

1900
先土器時代
(旧石器時代)

縄文時代前期

縄文時代中期


縄文時代後期

    (晩期)

弥生時代




古墳時代

飛鳥白鳳時代

奈良時代

平安時代




鎌倉時代




室町時代




戦国時代

江戸時代
明治時代
宮ノ下遺跡(上広瀬)、南垣内(今)、村山遺跡
                    ―旧石器や尖頭器類が出土―

宮ノ下遺跡(上広瀬 諏訪神社の東側)
村山遺跡―県下初の竪穴式住居跡(出土した土器から関西系、関東系、北陸系の文化の影響を強く受けたことが伺える)
石器の石材は下呂石が特に多く、他にチャート、黒曜石(静岡県産)

森ノ下遺跡(東門前)−竪穴式住居、炉,とちの実、信州系文化が伺える土器、土偶、埋甕

この時代の遺跡は少ない

宮ノ下遺跡(上広瀬)、森ノ下遺跡(東門前)

西の野遺跡(上広瀬)で水神平式土器出土

立石遺跡(漆垣内)−全国で2例目のプラントオパール(稲の穂先)発見


深沼遺跡(西門前)で四十数枚の古代水田
砂田遺跡(半田),安城寺遺跡(上広瀬)

このころから古墳が築かれ始める
三日町大塚古墳(前方後円墳―飛騨地方最古の古墳)、南垣内古墳
岩田遺跡(今),半田垣内遺跡(三日町)で水田跡
斐陀国造に、大八椅命(オオヤツハシノミコト 尾張連系)任命さるー古墳の多さから古川盆地(国府町広瀬桜野付近か)に置かれたと推定される  (飛騨地方で500余の古墳が発見されているが、そのうち384基が国府町内にある)

こう峠口古墳(広瀬 石室の天井の高さ3メートルは飛騨地方最大)、亀塚古墳(広瀬)

石橋遺跡(蓑輪)で住居跡21棟、半田遺跡で水田跡発見
飛騨の国府(こう)、広瀬桜野付近に設置(646)、初代国司は大八椅命か
※海具江古墳(巨石使用二段築成の方墳、横穴式石室様式)
古代寺院(白鳳寺院)の建築盛ん、石橋廃寺(広瀬)、光寿庵跡(上広瀬)、名張廃寺(名張)塔の腰廃寺(鶴巣)、安国寺(東門前)
大津皇子の乱(686)に連座し新羅僧「行心」当地へ流罪(石橋廃寺か光寿庵か)


桜本遺跡(漆垣内)、塚田遺跡で礎石を伴う竪穴住居跡、寺院建築の民家への応用例(飛騨の匠)
瓜巣釜洞、宇津江など各地に古窯跡、古代寺院用の瓦を生産
三代実録(901)に渡瀬神社(広瀬)、剣緒神社(三川)の記載
延喜式神明帳に荒城神社(宮地)、阿多由太神社(木曾垣内)の記載


多好方、荒城郡の地頭職に就任(1193「吾妻鏡」)宮地殿村居住?
荒城神社に伝わる「鉦打ち」や「獅子舞」は楽人多好方によるといわれる
大規模天台宗寺院「清峯寺」建立(1300頃?安房山)、多くの末寺を持ち,のち姉小路古川家の菩提寺となる
安国寺創建(1347)
豪族広瀬氏(広瀬郷)姉小路氏とともに南朝につく(1371)
この頃、現存する荒城神社本殿(1390)、阿多由太神社本殿築造
広瀬常登、姉小路尹綱戦死、清峯寺炎上(1411応永飛騨の乱) 広瀬徳静は幕府軍につき以降戦国期まで栄える

上杉についた三木、江馬(高原郷)両氏が武田軍と合戦(荒城八日町) 安国寺本堂炎上(1564)
三木自綱、江馬輝盛を梨打城(八日町)に攻め滅ぼす 十三墓峠(大阪峠)に江馬方十三士の碑(1582) さらに広瀬宗域を葬り広瀬荒城両郡を領有
広瀬、江馬氏ら残党は金森長近に味方したが、後反抗平定さる

打江村(宇津江)川原治右衛門の「領主国替え直訴」事件(1692)
大原騒動義民 金桶村甚蔵 山本村彦兵衛ほか


三川村他21村を合併して「国府村」と改称(1875) 初代村長井上利右衛門(金桶)

町制施行「国府町」へ(1964)
CATV「KHK」開局(1978)

「新高山市」に編入(2005)
池ノ原遺跡(高根)


沢(古川)ひじ山、向畑(高山)、向野(上宝)
はつや(清見)、巾通(白川)、中道(朝日)
カクシクレ(丹生川)

堂ノ上遺跡(久々野)




巾通(白川)、木谷(白川)、中野山越(古川)
阿弥陀堂(小坂)


東海北陸地方で始めて米作り始まるー御物石器(全国で142点中飛騨で73点)御物石冠
(全国で540点中飛騨で300点)


「両面宿儺」丹生川村や位山を根拠地として飛騨地方を支配、大和朝廷に反乱平定さる(377)
大和文化の移入始まる




信包八幡山古墳(古川―前方後円墳)
冬頭王塚古墳(高山)


古代寺院
久中廃寺(古川)、杉崎廃寺(古川)、上町廃寺(古川)、寿楽寺跡(古川)、沢廃寺(古川)、三佛寺廃寺(高山)、東光寺廃寺(高山)
大宝令(701)で諸国を格付け、飛騨は「下国」(国名を斐陀から飛騨へ)調庸を免じ「匠丁」
国分寺、国分尼寺造営、政治経済の中心は高山へ

初代守護職京極氏,守護代多賀氏は三仏寺に居住、被官高山氏が高山城を築く
寺院建築盛ん 大威徳寺(下呂)、本覚寺(上宝)、常蓮寺(神岡)、昭蓮寺(白川)など

国司復活、姉小路家綱が就任(1334)

応永飛騨の乱(1411幕府軍姉小路氏を討伐)



甲斐武田軍侵攻(1564)
三木氏松倉城に本拠を置き飛騨一円を制し姉小路姓を名乗る 
秀吉、金森長近(越前大野城主)に三木氏を攻めさせ討滅(1585)
金森長近は飛騨の領主となり、関ヶ原の戦いでは徳川方で勝利、引き続き飛騨を領有
金森氏(6代)出羽へ国替えとなり幕府直轄領となる(1692)
大原騒動―1772〜1787)
高山県 初代県知事 梅村速水
飛騨3郡(大野,益田,吉城)岐阜県に編入(1876)
国鉄高山線全線開通(1934)
高山市誕生(1936)

10市町村大合併「新高山市」誕生(2005)

気候の寒冷化
西日本に稲作文化伝来、呪術社会の形成




邪馬台国、魏に使節を派遣(239)
大和朝廷全国統一へ



仏教伝来(538)

法隆寺創建(607)

大化の改新(645)
国造(世襲)を廃し国司(朝廷より派遣)を置く


平城京遷都(710)
全国に国分寺造営の詔(741)
平安京遷都(794)

源頼朝鎌倉幕府開く(1192)
全国に守護地頭


建武の中興(1334)
足利尊氏足利幕府開く(1338)

応仁の乱(1467)

関ヶ原の戦い(1600)




明治維新(1868) 

※ 「飛騨の国府(歴史編)」(国府町教育委員会編)、「国府町の文化財」(同)、「飛騨の古墳時代」などから

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