和製炎の画家『佐伯祐三』
2001.4.1

自分が佐伯祐三という画家に興味を持ち始めたのは何時頃であったか。

あちこちの美術館を巡り歩くうちに、暗く重い色調で厚く塗りこんだ大胆な構図に不思議な力を感じ、妙に気になる画家という想いが知らず知らずのうちに沈殿していったようである。
そんな折に1988年(昭和63年)広小路の電気文化会館で開かれた没後60年記念「佐伯祐三展」の印象が強烈なものであった。

彼について殆ど知識が無いまま鑑賞したのだが、自画像に発散する異様な個性、どこか自分の好きなユトリロを彷彿させる配色と構図のパリの風景.....どれも暗く息苦しくなるような切迫感を漂わせていた。会場中央にはカンバスの裏表両面にしかも上下逆さまに描かれた作品が展示されていて驚いたが、彼の性格と画家としての姿勢を表わす象徴的な作品であったことが後でわかる。
その時以来強い関心を持つようになり、本屋で彼に関する著書を探したり、新聞や雑誌の特集記事を集めたり、古本屋で分厚い画集を買いこんだりして殆ど「祐三オタク」になってしまったのである。

1998年(平成10年)8月には生誕100年記念特別展が愛知県美術館で開催され勿論出掛けたが、その時の日記には「......何といっても第1回渡欧時の若さ溢れる力強い作品が好きだ。ユトリロの影響も受けたといわれるパリの風景画に魅了される。力強い筆致と厚い絵具の表わす質感、量感がたまらない。暗い画面に息づく鮮やかな原色もまた素晴らしい。2回目のパリでの作品の中には死を予感させる不吉な黒い飛線が画面に舞い鬼気迫るものがあるが自分はあまり好きではない......」と素直な感想を記している。



1898年(明治31年)大阪の名刹光徳寺の次男坊として生まれた佐伯祐三は北野中学(現在北野高校)を卒業すると西洋画の道を志し、やがて当時の青年画家が等しく憧れた印象派のメッカ、パリに恋焦がれるようになる。
すでに米子夫人と結婚し一女(彌智子)をもうけていたが、生家と実兄の理解もあり1924年(大正13年)遂に一家でパリへの「引越し」が実現した。
パリの街並みの持つ重厚な佇まいは彼が熱望していた憧れのモチーフで、「石の文化」にぢかに接した感動をいきなりキャンバスにぶっつけ、2年間で200枚を越す驚異的な制作活動に入るのである。
その年の初夏、野獣派の画家として当時注目を集めていたモーリス・ド・ヴラマンクに会えたものの「このアカデミズム野郎!」と罵られて大変なショックを受けた話は有名である。しばらくは自分を見失ってしまったが、愛するパリの古い街並に滲む時と空間に没入し、その持つ質量と存在感をいかに表現するかの一点に集中して描き続けることによって立ち直り、やがてヴラマンクやユトリロを越える独自の世界を創り出していくのである。


翌1925年(大正14年)体調を崩し帰国するが、日本の風景に飽き足らぬままパリへの憧れ黙し難く、病身(肺結核)をおして再び一家で渡仏する。
1927年夏、再び訪れたパリでは以前にも増して制作に熱中し、厳冬期でも残された時間を惜しむように一日中戸外で描き続ける日を重ねた。この頃の絵には描かれる風景や建造物の中に、住む人の息遣いや生活感が滲み出しているといわれる。また日本に帰った僅かな時間に感得したと思われる日本画の「黒い線の描写」が2回目のパリの作品にはっきりした特色となって現れている。(右上のカフェ・レストラン連作のひとつ「テラスの広告」)
そして再訪のパリも丁度一年を過ぎる1928年(昭和3年)8月16日、肺結核による衰弱のうえに精神の異常をきたし30歳というあまりに短い生涯を閉じてしまった。尊敬する「炎の画家」ヴァン・ゴッホの生き様に共鳴したかのように、恋焦がれたパリの地に激しく燃え尽きたのである。
しかも画家として本当に花を開いた期間は1924年から1928年のたった5年間であると言っていい。その間に描いた絵はおそらく400点に近い枚数ではないかと思われるが、佐伯祐三は描き上げた絵にはあまり関心が無く、木枠からはずしたカンバスを巻いたまま屋根裏に放り込んでおくなど随分粗雑に扱ったようで、戦災にもあって残されている絵は比較的少ない。
多くの画家は、描いた絵がどう評価され認められるかを念頭に置くのだが、彼の場合は描くことが全てで、どう評価されるかなどには全く無関心であったと言われる。
電気会館での展覧会に出品された両面使用の作品も、そうした意味で納得できるのであり、またこうした無頓着さが後の贋作騒動の一因にもなっていると思われるのである。

佐伯祐三の生き様を知り、年齢を重ねて好きな絵も変わってきたが、今、特に好きなのは、「サン・タンヌ教会」、「リュクサンブール公園」、「モランの寺」、「扉」などである。いずれも第二回渡欧時のものでその力強い筆致と構図の中に、彼が憧れ突き詰めてやまなかったパリの魅力が滲んでいて、まさに身を削るような純粋で短くも激しい生涯が凝縮されている絵である。
(画廊『web HATA』が選んだ YUZO.SAEKI BEST6を御覧下さい)



一枚の印象的な写真がある。
二回目のパリ(客死する半年前)で真冬の屋外(モラン)に、病身をおし憑かれたようにカンバスに向かう佐伯祐三の厳しい雰囲気と傍らで無心に立ち尽くす一人娘の彌智子( 6才)の可憐な姿がある。全身全霊を傾けて描画に打ち込む祐三の家族への想いはどんなものであったか知る由も無いが、彌智子もまた結核に冒され祐三の死後二週間も経ぬ間に、後を追うように幼い命の灯を消しているのである。

パリには10数年前にツアー旅行で訪れたことがあるが、その時の紀行文に「パリは何処へ行っても絵になりそうな風景ばかり、昔青年画家達が憧れた気持ちがわかるような気がする。」と生意気に書いている。生意気ついでに絵具を担いでパリの街を歩く夢を見ているのだが、何とか「正夢」にしたいものである。
また、東京都新宿区下落合には佐伯祐三が住んでいた跡地が新宿区立佐伯公園として整備され、アトリエ部分が記念館としてそのまま保存されている。仲間とともに自分で増築したと伝えられる部屋には彼の手垢が残っているかも知れない。

【参考文献】  坂本 勝著「佐伯祐三」 朝日 晃著「佐伯祐三のパリ」 同「そして佐伯祐三のパリ」 落合莞爾著「天才画家佐伯祐三真贋事件の真実」 現代美術全集「佐伯祐三」 「佐伯祐三の真実」(芸術新潮1996年4月号) 新潮日本美術文庫「佐伯祐三」 「没後60年記念佐伯祐三展」他

return