荒城神社は国府町の北東「宮地」にあり、荒城川の北岸に鎮座するこの社には天之水分神・国之水分神が祀られている。

本殿(国指定重要文化財-右の写真)は元中7年(1390年)の建立で藤原期様式を伝える三間社流造木皮葺(柿葺)である。
その後数度の修理を経て昭和7年に大修理を行い今日に至っている。


荒城神社がいつ頃創建されたものか諸説があるものの、平安時代の927年に著わされた「延喜式神明帳」の中に、飛騨国の式内八柱のうちで最も古く由緒ある社として荒城神社の名が見えることから, 千年以上の歴史を持つ古い神社であることは間違いないと思われる。

アラキとは新墾の意と解されているが、肥沃な荒城川流域に千古の昔より息づいてきた先人達の精神的な拠りどころであった荒城神社には、周辺に遺跡も多く有形無形の貴重な足跡が残されている。
以下、宝物殿に収蔵されているいくつかを紹介する。


@ 神像 6体
(県重要文化財)
6体の内2体は県重要文化財に指定されており、ともに男性の坐像で高さは58cmと54cmである。
作者は不明だが平安時代前期に同じ作者によって作られたものと考えられ、わが国に現存する神像彫刻としては最も古い部類に属する貴重なものである。一体の目が不揃いなのも有名である。
A 獅子頭 9個
(県重要民俗文化財)
古くより荒城神社祭礼行事に用いられてきたもので鎌倉時代の作もあると伝えられている。
B 獅子舞、鉦打
(県重要無形文化財)
鎌倉時代荒城郷地頭職多好方(オオノヨシカタ)が楽人だったので この獅子舞と鉦打は多好方が伝えたとの説もある。
鎌倉や室町期の獅子頭が現存している点から、かなり古い時代からこの地に獅子舞の伝統があったと考えられる。
C 能>面 4個
(県重要民俗文化財)
木彫りの漆塗りで作者不明
D 鰐口
(県重要文化財)
「鰐口」とは寺などの軒先につるし参拝者が綱を振って鳴らすもの。「飛州吉城郡荒城郷河泊宮応永19年3月26日」(1412年)の銘がある。(河泊宮とは荒城神社の別称)