飛騨広瀬度瀬両神社無形文化財金蔵獅子


※ 広瀬神社境内に掲示された文語調の案内板から・・・・・
  (主旨は前掲の通り、写真は平成18年5月4日撮影したもの)


(金蔵獅子の沿革)
岐阜県吉城郡国府村大字広瀬町氏神祭典の際行なはるゝ金蔵獅子は往古全神社に奉仕せし僧侶か例祭当日田楽の舞を挙行したる遺風を採り後世此の獅子舞を演ずるに至りし由言伝ふ
此の獅子舞は伊勢神楽越後獅子の類とは異り全く古典的にして太古飛騨国住民が狩猟を主とせし遺風を伝ふると共に尚武的にして克く獰猛なる獅子を退治し国土の安穏を期せんかため勇気溌溂たる男神の活躍は純情熱血に溢るゝ女神の媚容嬌態と相俟って随所に悲劇活劇を演出し殊に典雅なる笛や太鼓の合奏により妙技は愈々佳境に入り一般観衆をして心酔せしむるに至るものとす
近年広瀬金蔵獅子の伝習を請ふ向尠からずして他府県より此れか説明を需(もと)められるに至れり
  而して演技伝授の場合には最も緊要なる部分は之れを省略するの慣例なるに依り往古より踏襲し来れる獅子舞は独り広瀬町のみに存在し金蔵獅子の元祖として之を永遠に存続せむとす

(演技の概要)
天狗の面を着け?毛冠を戴き手甲短衣に身を固め「タツキ」を穿ちたる男神(金蔵)は其の両手に紅白の段々巻を施したる短棒(剣の代用)を握り終始猛獅子の正面に立ちて活躍し左右交互に獲物を打ち振りつゝ獅子の進路を遮り其の威圧に耐へ兼ね獅子の気力稍々衰ふるや最も機敏なる行動により獅子の背部に騎乗す
此の時獅子は奮然として男神に迫りて数尺の高所より大地に振り落したる上更に地上に伏臥呻吟せる男神に向って愈々猛烈なる逆襲を試み観衆をして戦慄恐怖の念に耐へさらしむ
本獅子舞中最妙技を表顕せしむるは実に此の瞬間に在り

お福面を穿ち派手模様の婦人衣をまとひ両手に「ササラ」を持ちたる女神(お亀)は常に獅子の後方に在り「ササラ」を摺り鳴らしつゝ専ら男神の行動を真似偶々男神が獅子の背部より振り落され気息俺々として或は手を撫し或は脚をさすり只元気回復に努むるの時女神は俄かに男神の身辺に接近し来りて其の憤怒に触るゝも更に憶せず或は撲ち或は蹴りて之を膺懲せんとするも更にひるまず執ように男神の介抱に努力す
其の情熱と嬌態は共に観衆の爆笑を禁せさらしむ
男神の激怒に屈せず女神は強て之を看護せんとし両神相争ふの時縦横無尽に奮闘したる猛獅子はやかて疲労に耐へざるか如く四肢を伸して横臥し前肢后肢を舐廻はし時に或は寝返りし以て専ら休養に努むる所あり
斯くて男神は其の気力を回復し猛獣退治に着手せんとするや獅子亦猛然として奮起し右往左轉の活動殊に見覚しきものあり

囃子の調べ此の時より漸次急調となり形勢次第に急迫し来りて観衆の「ヤルワイヤルワイ」の威声益々旺盛となる此の時男神は獅子頭部を眼掛けて短棒を投擲するも不幸にして命中せず遂に徒手肉薄して之を生擒(いけどり)せんと欲し大手拡けて頭部を把捉せんとし一、二回とも振り払はれ大地に突き飛ばされながら尚屈せず渾身の勇を鼓して三度ひ接近して漸く頭部に絡みつき獅子進めば男神進み獅子退れば男神退き格闘暫時にして之を地上に圧倒し曩(さき)に拠ちたる獲物を拾い取りて后頭部を刺し四肢を緊縛したる後屍体を跨ぎて仁王立ちとなり天を仰ぎて凱歌を奏す

此の勇戦苦闘中女神は「ササラ」を摺鳴らしつゝ男神の動作を真似て右往左轉滑稽と愛嬌を振廻し猛獣退治の悲壮なる場面に一脈の清味を添ふるものにして所謂神代劇なり古典的遺物なりと称するも過言にあらず
以上

  平成六年五月吉日

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いざ、獅子退治!!
金蔵(男神)お亀(女神)が宣戦布告!
金蔵、機をみて獅子の背に跨る。
・・・・・が、振り落とされ地面に叩きつけられ気息奄々。
お亀はうるさがって怒る金蔵を懸命に介抱。
その間に鋭気を蓄えた獅子が再び猛然と襲いかかる。
金蔵、短棒を投げるも命中せず。
ならばと素手で獅子の頭にタックル!
そして遂に短棒でしとめる。
凱歌をあげる金蔵、はしゃぐお亀。
めでたしめでたし・・・。