背景は
 国宝「安国寺経蔵」

( 沿革)


室町時代の初期(約660年前)将軍足利尊氏、直義の兄弟が、時の天皇に請い国別一基の塔婆を建て仏舎利を安置し、その後さらに国別一宇の安国寺を建て国土安穏の祈願所とした。
飛騨国の安国寺は正平2年(1347年)に創建され、繁栄して寺の門前に町ができ、その跡は現在東門前、西門前として大字名となり当時の名残をとどめている。
当時鐘楼にかけた梵鐘には建武元年(1334年)3月12日の鋳銘と飛州安国寺の彫銘がある。
御開山は京都東福寺より足利尊氏の信頼ある瑞厳光大和尚が派遣され、文安2年(1445年)諸山の位となり、宝徳元年(1449年)十刹に列した。寺領三百石、七堂伽藍塔頭九ヶ寺は尊氏の寄進によるものである。
ところが天文、永禄年間(戦国時代)兵火にかかって「経蔵」、「祖堂」を除き焼失したが、江戸時代に金森重頼の願により再建し南叟大和尚が中興されて現在に至っている。

( 本尊)


ご本尊は釈迦牟尼仏で、脇侍は文殊菩薩(右)普賢菩薩(左)の釈迦三尊仏である。延文2年(1357年)大仏師、駿河法眼定範の作で、木心乾漆仏で足利時代を立証する貴重な資料として昭和31年岐阜県重要文化財に指定されている。

(経蔵)

室町初期応永15年(1408年)約590年前の建築で飛騨地方唯一の国宝である。(背景写真)
桁行3間、梁間3間、禅宗様(唐様)造り、一重もこし附こけら葺きとなっている。
内部の八角輪蔵(右の写真)に一切経が収めてあり、益田郡荻原町奥田洞住人、奥田弾正少弼頼親の寄進によって建造されたものである。

一切経は当寺塔頭南陽軒主本源一公都寺禅師が、入唐3年におよんで中国杭州大普寧寺の蔵版5397巻を当経蔵に収められた。

明治42年特別保護建造物の指定を受け、昭和38年国指定重要文化財のうち製作がきわめて優れ、文化史的意義の特に深い建造物として国宝に指定されたのである。

(開山瑞巌光大和尚の像)


開山瑞巌光大和尚は観応元年(1350年)8月11日示寂され、その後40年を経て、明徳3年(1392年)開山の弟子本瑞という者が、師の温容を追慕の余りその火葬された灰により遺像を具足した。
木芯粘土の塑像で日本禅宗芸術として南北朝を証する貴重な資料で日本には稀な像である。

像の胎内に納められてあった写経3点は須弥壇とともに昭和37年国の重要文化財に指定されている。
(安国寺発行の参詣用「栞」から)