没後80年佐伯祐三展 鮮烈なる生涯

2008.6.28

6月15日、思いがけない人からメールが届いていた。
佐伯祐三の親友山田新一画伯のご長男山田安里夫人和美さんからで4年ぶりの便りである。
「没後80年佐伯祐三展(三重県立美術館)」開催のニュースと出掛けられるなら招待券を送らせてもらうがという懐かしくも嬉しい知らせであった。
是非にとお願いすると送られてきたのが何と開幕日前日のオープニング・セレモニーと内覧会の招待状でびっくり・・・・・。
数知れない美術展観賞の過去に一度も経験がない素晴らしいプレゼントであった。

そして今日がその当日である。
名古屋から近鉄特急で50分、午後2時ブレザーを着込みネクタイを締めて颯爽と津駅西口に降り立つ。久しぶりに訪れる三重県立美術館は駅から歩いて10分足らずの美術館にふさわしい風景の中にあるが、着く頃には雨が落ち始めていた。(右写真)
受付で記名を済ませ図録と招待券を貰う。
広いロビーを見渡すと既に2,30人の客の姿があり、正面に佐伯祐三の『広告(ヴェルダン)』をあしらった看板、二階に上がる階段の壁には同時に展示されている「佐伯祐三交流の画家たち」を案内する垂れ幕が下がっていた。その垂れ幕には山田新一の代表作『読後』が染め付けられている。 「できれば出席したい。」とメールに記されていた和美夫人の姿は残念ながら見当たらなかった。さっそく和美夫人から頼まれていた垂れ幕などをカメラに収める。
またわざわざ電話をかけて紹介して頂いた主任学芸員で保存担当の田中善明氏に挨拶をする。多忙ながら鄭重に応対して頂き感謝、近々山田家所蔵の山田新一作品の修復を行なう予定とか。
田中氏は本展の図録に「技法から見る佐伯祐三の油絵」を執筆、書簡集の編集も手がけている。

定刻2時30分にオープニング・セレモニーが始まり美術館長らの挨拶があって内覧会に移る。集まった招待客はおよそ100人ほどであった。 一階メインルームに93点に及ぶ佐伯絵画(油絵)が制作年代順に三つのパートに分けられ展示されていたが、著名な作品が悉く網羅されていることに改めて驚く。

@ 佐伯芸術の始動(画塾時代〜第一次パリ時代) 1917〜1925年 46点
北野中学卒業直後に描いた『自画像』で始まる。第一回渡欧でいきなりヴラマンクに「このアカデミック!」と罵られるのだが、その直後の風景画や自画像、裸婦などの作品にはヴラマンクの画風と彼自身の苦悩が色濃く滲んでいて受けたショックの大きさを伺うことができる。そして次第に自分を取り戻した佐伯祐三がパリの裏町を愛し軽快に描き続けたユトリロに傾倒していく経過が読み取れる。

A 日本への留学(一時帰国) 1926年 10点 
結果的に一年余りで終った帰国期に描いた作品が並ぶ。   『下落合風景』や『滞船』シリーズとして知られる作品群だが、日本の風景に飽き足りなさを感じどうにもならぬもどかしさが画面を覆う。・・・・・がその中に現れる繊細な線描が第二期渡欧期の作品に特徴的な文字看板や木枝の描写に繋がったように思われる。
佐伯祐三はこの帰国を「留学」と称していたというが、体調を崩しての不本意な帰国で近い内に必ずパリに戻ることを決意していた。

B 再びパリへ(第二次パリ時代〜無念の死) 1927〜1928年 37点
自らの余命を悟ったかのように驚くべき早さで描き続けたたった一年間の軌跡である。大胆な構図や筆致とともに生々しく彩られた豊かな色調が観るものを圧倒する。あのヴラマンクが認めたという色彩感覚は天才というにふさわしい。特に好きなのはブラウン系の深みのある色と、所々に顔を出すグリーングレイ若しくはブルーグレイの魅惑的な色彩だ。
病床の佐伯祐三が「これだけは売らんでくれ」と親友山田新一に懇願したという『黄色いレストラン』と『扉』が、多くの画集の表紙やポスター等に象徴的に使われてきた『郵便夫』、『ロシアの少女』とともに最後のコーナーを飾っていた。いかにも佐伯祐三のクライマックスにふさわしい“演出”であった。

一旦メイン会場を離れて二階の「佐伯祐三交流の画家たち」を観賞する。
山田新一を始め中村彝、藤島武二、里見勝蔵、荻須高徳、中山巍、横手貞実ら佐伯祐三が交友を通して影響を受けたり与えたりした画家たちの作品が並ぶ。山田新一の『読後』は佐伯祐三を葬送した翌年パリで描かれた若き日の代表作である。
ヴラマンクとユトリロの風景画もあり佐伯祐三への影響を充分に納得させるものがあった。
荒々しい筆致で感情を思い切り画面に叩きつけるブラマンクの迫力とパリの裏町の風景を洒脱に画面に取り込むユトリロの寛やかさが確かに佐伯祐三の作品に息づいているようである。

佐伯祐三が最も心を許した親友山田新一宛に出した書簡も展示されていた。
1925年6月と11月(第一回渡欧末期)に送った手紙の中にユトリロとモディリアーニの展覧会を賞賛する記述があり、ブラマンクのトラウマからようやく抜け出し独自の境地を切り拓いてゆくきっかけとなった事実を物語る興味深いものであった。この貴重な書簡には「山田新一氏ご長男所蔵」と表示されており、和美夫人からのメールにもそのようにふれられていた。

(書簡の一部抜粋)
「里見(里見勝蔵)がヴラマンクをやってかえった後、自分が同じ道ならとの事、まったく君の親切に感謝スル。実は自分もそんな事も半分位はあるが、いろいろ考えて今はブラマンクではない。物質主義な点はヴラマンクから教わった事をはずさないが、今の作品はヴラマンクではない。―――ウィットロ(ユトリロ)に近いものをかいている。アジャン(古い)パリーをかいて日本へもってかえりたいと思っている。」

レセプションのアナウンスがあったのでレストランを覗くと大変な人だかり、それではと順序を変え内覧会も終って静かになったメイン会場へとって返す。手持ち無沙汰な受付嬢にウィンクして再び入場、女性係員と警備員の他は誰も居ないという“空前絶後の独占状態”に身を置くことになった。
過去何度かの佐伯祐三展は人気が高くいつも人、人、人、落ち着いて観賞した記憶がないのに今回はこの“贅沢”・・・・・誰にも邪魔されることなくもう一度最初の作品からじっくりと観賞した。ズラリと並ぶ「佐伯祐三」がある種の“気”のようなものを発散し、それが一斉に自分めがけて注がれてくるかのような気分になり次第に息苦しささえ感じ始める。
命を削るようにして描かれた数々の作品にたった一人で取り囲まれた時の畏怖感は全く思いがけぬもので、 特に死を迎える1928年のモランの旅以降の作品の前では「素顔の佐伯祐三」(山田新一著)の生々しい記述を思い浮かべながらただ立ち尽くすのみであった。
閉館間際までの約40分間、完全に佐伯祐三の世界に浸りきる幸せを味わう。畏れ多くも彼の“鮮烈なる生涯”を一人占めしてしまったような気分である。

最後に熱いコーヒーでもとレストランへ行くと、もう4,5人の姿があるだけでラストオーダーの雰囲気。「まだいいですよ」との店員の声に励まされ、雨に洗われた緑の広い庭園を眺めながらコーヒーを飲む。
醒めやらぬ興奮を待て余しながらも、その味はまた格別であった。
そして余韻を楽しみつつ帰途に就く。感激が薄れない内にと帰りの車中で観賞記を綴り始めたが、何やら自分の中の「佐伯祐三」が集大成されたかのような錯覚を覚えたものである。
改めて山田夫妻のご厚意に心から感謝したい。

なお本展の開催期間は6月29日(日)から8月17日(日)まで。

return