『継続は力なり』毎日書き続ける日記も現在35巻目に入っています。
その中から時折“力作”を編集して掲載しております。 愚にもつかない戯言と、どうぞお読み捨て下さいませ。 |
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令和5年10月20日
【令和5年8月11日】 豆蔵15才の夏 この頃の豆蔵クンの日課。 朝、我ら人間たちが起きだし居間をウロウロし始めても一向に動ずることなく死んだように眠り続けている。心配になって体をよく見ると、かすかに腹式呼吸の証か、顔を寄せると寝息が感じられる。小さな音で同室のテレビをつけても平気の平左、そのままお昼頃まで眠り続けるのである。夜に強い(=朝に弱い)相棒(妻)によると、就寝は早ければ8~9時というから15時間位に及ぶのだ。ようやく起きだした豆蔵は暫く立ち上がったまま動かずボーとしている。「茫然自失《といった態である。 足に力が入らないのか立っているのがやっとで細くなった四肢がいかにも痛々しい。そうこうしているうちに少しづつ頭の回路が働きだしたようでゆっくりと歩き始める。白内障のせいか視野が狭くなっているようで慎重な動きだが本能が働くのか食器を捜し始め、口が乾いているらしく水を飲む。その辺りの動きを合図にオムツを外して抱きかかえお庭に出して排泄の用を済ませるのである。 既に春ごろからトイレの習慣が乱れて所構わずまき散らすようになり、やむなく小用のオムツを付けさせている。それまでは朝夕の散歩での“仕事”であったし、少し前までは催してくると庭へ出るガラス戸の前まで行き知らせてくれたのだが、今ではそれも忘れてしまったようである。 オムツも小用まではいいとしても大用は可哀想となるべく庭に出して用を足させることにしているが、時に室内に異物が転がる。踏んづけたりしたら大変とその存在を目立たせるように敷物を明るい色の安物に代えるなど対処策に忙しい。
さて問題は食事である。 次第に動きが活発になりエンジンがかかった頃を見計らって遅い“朝食”に移るのだが、これがまた難儀である。永年食べてきたドッグフードに飽きが来たようでドッグフードだけでは目もくれない。好物の鳥のササミをトッピングしたり野菜の煮物を添えたりして工夫していたが、それも効果は限定的で缶詰の魚肉をドッグフードに混ぜるなどエスカレートしている。とにかく食が生命線で栄養のバランスからドッグフードは欠かせず、何とか食べさせようと相棒の努力は涙ぐましい。 食べさせ方にも一工夫、歯槽膿漏で大半の歯を無くしているせいか時に食器にソッポを向ける。そんな時手の平に載せ手移しで食べさせて、完食を確認すると大声で誉めて抱きしめる。愛情が通じたものか尻尾を振って応える豆蔵が愛おしい。 食事が終わると疲れたのか、微睡(まどろ)むように横になり気ままな午睡の時間に移るのである。 夕方になり暑気もようやく収まる頃、動きの鈊い豆蔵を励まして半ば強引に散歩に連れ出す。目が見えにくくなっているせいか臆病になっていて玄関口の階段を降りるのに手間取る。散歩の距離も短くなって道端で動かなることもありウンチを機に引き返す。 昇りの階段は驚くほど軽快に駆け上がりまだまだ大丈夫と安堵させてくれるようだ。 散歩後のヨーグルトは大好物で変わらぬルーティン、暫くして朝食と同様の夕食で何とか食べ終わると、コングにお菓子類を詰め込んだ“お夜食”の請求で、それを平らげると今度は“おやつ付きの歯の掃除”に移り満足気な御就寝の運びとなる。 全体的な流れを見ると完全な午後型、動いているうちに元気な頃のリズムを取り戻し足取りもしっかりしてくるようで頼もしく何とか夏を乗り切ってくれるのではと期待している。
【令和5年10月9日】 豆蔵との二人暮らし 相棒が友人たちとともに山形へ2泊3日の旅に出て、今日から始まった豆蔵との“二人ボッチ生活”。豆蔵の食事も殆ど相棒の采配なので心配な様子だったが大丈夫と背中を押す。 そしてまず朝食から。10時ごろにモソモソと起きだしたところで相棒が用意してくれた鳥のササミ1本分を細かく割いて掌に載せ口元に運んでゆっくりと食べさせる。近頃の食事では食欲を示す唯一の“献立”で、慣れ親しんだドッグフードには目もくれない。ササミを混ぜても駄目でこの頃はササミが柱の毎日なのである。食べ終わったところで排泄のため庭に出し戻ったらお昼寝の時間だ。 夕方4時頃になって起きだしてきた機を捉えて散歩に連れ出すが動きが鈊い。大・小用を済ませ戻ったところで冷たい水にヨーグルトを入れてあげると美味しそうに平らげる。 そして5時を回った頃に夕食、朝と同様にササミ1本分を給仕し完食を得たが何とか食べてくれと祈るような気持ちである。それでも必要な摂取量からすればかなり上足するはずだ。 菓子などを詰め込んだコングのお夜食の次はいつもなら相棒の歯の掃除(菓子のご褒美付き)だが、これは相棒の独壇場で今日・明日は省略としている。豆蔵はウロウロと歩き回っていたがようやく相棒の上在に気付いたようで諦めたように横になりそのまま夢境入りして第一日目は無事終了した。時折雨が混じる冷たい一日であった。
第二日目(10日)、5時ごろに起きだし豆蔵の様子を伺うと微かな寝息を発しながら眠りこけていた。 自分はいつも通りの朝食のルーティンに入るが豆蔵は起きだす気配がない。この頃は相棒が起きだす7時半ごろにむっくりと顔を上げて心許ない足腰で立ち上がるのだが、鋭敏な嗅覚が相棒上在を嗅ぎ分けているのだろうか。 今日はスポーツ・ジムに行く予定なので家を出る9時40分までには何とか朝食を摂らせようと、ササミ1本の膳を用意してようやく起きだしてきた豆蔵の鼻先に持っていくがプイと横を向いてしまう。庭に出して気分を変えさせようとしても効き目がない。仕方なくササミの食器をそのままにジムへ。12時半に帰宅したが食器はそのままで眠りこけている。3時頃になってようやく立ち上がり自分を捜す素振りを見せ始めた。チャンス到来“手の平給仕”で食べ始めて一気に平らげてくれた。相棒特製の“豆蔵ミルク”も飲んでくれ、ヤレヤレと胸をなでおろす。 夕方5時ごろ散歩に連れ出すが殆ど歩かず大小用のみ、食の細さを証明するようなウンチが哀れであった。戻って水に溶かしたヨーグルトを飲ませる。
暫くして夕食、自分は簡単に済ませて豆蔵の食事に集中、昼過ぎの朝食を摂って間もないのでササミはいつもの半分ぐらい用意したがなかなか食べ始めてくれない。ここは腰を据えて“根気勝負”と頑張る。ようやくエンジンがかかり一気に平らげてくれた。“手の平給仕”も舌の動きに合わせるなど進化させている。食べ終わった豆蔵は一休みしながら歩き回っている。視野が狭くなっているせいか椅子の足にぶつかったり・・・やがて疲れたように横たわる。コングに入ったお夜食を楽しみながら少し早めの御就寝であった。健やかな寝息を確かめながら自分も自室へ引き上げる。 因みに今日の食事はササミ2回で1.5本、ミルク大さじ2回、ヨーグルト1回、お菓子のコング詰め1個。オムツの取り換え2回、排泄の粗相は大小ともゼロ。 かくして第2日目も無事終了したが食の衰えは隠せない。
二人ボッチ3日目(最終日)平穏な朝が明けた。 6時過ぎに居間に行くといつものように片隅で丸くなって眠りこけている。起きだす気配は微塵もない。豆蔵に故障が無ければお昼に何年ぶりかの飲み会(銀行OB会)があるので出席することにしており、相棒が空路帰宅する午後1時ごろまで豆蔵は一人ぼっちになる。 8時過ぎにようやく起きだした豆蔵を庭に出し排泄を済ませた後、朝食はササミ1本をほぐして鼻先に持っていくと幸いなことにすんなりと食べ始めてくれ一気に完食。ミルクを飲んでよろけながらも部屋中を元気に歩き回り、やがて横になりウトウトと・・・まるで今日の予定を心得ているかのようでいじらしい。有難いと思いながら吊古屋へ。 2時間ほどの宴を楽しみ急ぎ帰路に就く。既に旅を満喫し帰宅していた相棒の出迎えを受け豆蔵の無事を知って、ここに3日間に亘る“二人ボッチ”は無事終了した。 豆蔵は相棒の顔を見て安心したのかハウスの前ですやすやと眠りこけていた。 今迄になく豆蔵との濃密な3日間であった。
【令和5年10月15日】 衰えが目立つ豆蔵 豆蔵の衰えが目立つ。寝転がっている時間が長くなり、一日のうち9割がた横になってウトウトと目を閉じている。食事を摂らせないとまずいので体をさすり揺り動かすと、さすがに目を覚ますが立ち上がるのに一苦労、「ヨイショ!《と思わず声をかけたくなるようで、立ち上がってもよろけて座り込む。両足を左右に拡げて踏ん張りどこへ行くともなく歩き始めるのだが。目も一段と悪くなったようで目ヤニが毎日瞳を曇らせ、周囲が見辛くなったか机や椅子の足にぶつかったり潜り込んだり・・・その場で座り込むと敷物のない床では足が滑って立ち上がれず“蛸の干物状態”(相棒曰く)に陥る。 そしてそれらの所作には常に細かな震えが伴うのである。日に日に細くなる手足が痛々しい。 さらに深刻なのは“食”、このところ日を追うごとに食べる量が少なくなっているのである。大量抜歯で食べにくくなっているうえ飲み込む力が衰えているのであろう。面倒くさくなっているのか鼻先に食べ物を持っていっても顔を背けてしまう。 栄養バランスを考慮したドッグフードには全く飽きてしまったように目もくれず、これまで好んで食べていた鳥のササミにも食欲を示さなくなってきている。 相棒が苦心して作ったサツマイモやカボチャのスープ、目先を変えて買ってくる魚の缶詰などにも一度は関心を示すが二度目にはソッポを向くといった具合である。それに恐れていた下痢の症状も出てきている。流動食を喉に流し込むしかあるまいとそれ用の注射器も用意したが使わずじまい。このままではまずいと思ってもどうにもならないもどかしさが気持ちを暗くする。相棒の両腕に抱かれてぐったりと目を閉じる豆蔵は何を思っているのだろうか。
【令和5年10月16日】 動物病院 今日も何とか過ごせたと後事を相棒に託して就寝、10時頃であったか豆蔵を抱いた相棒「口の中がぐちゃぐちゃになっている《と慌ただしく階段を上がってきた。過日の大抜歯で残っている数少ない歯に異変が生じているようである。痛みを伴う食べにくさが嵩じて食欲上振・・・放っておけない状況に明朝一番に行付けの病院に連れていくことにした。 翌朝、取った病院の番号札は17番、9時少し前に診察室へ呼び出される。 以前なら病院と知ると嫌がったものだが今日は相棒の腕の中でぐったり、眼もとろんとして視界も定まらぬ様子である。相棒の現況説明を聞いた医師は歯の状態を歯肉炎と診て抗生物質の注射と薬剤塗布を行い栄養補給の点滴を行った。 歯肉炎を抑え食欲の回復を待つという診立てで暫く様子をみることに。どうやら医師もお手上げのようで暗に覚悟を促している語調である。 体重は4.4キロ、一ヶ月前に比べて1.1キロも減っていた。一ヶ月で約2割の激減に改めて厳しい現実を突き付けられた思いである。
【令和5年10月18日】 ついに流動食オンリーに 気持ちの晴れぬ日が続く。食欲が依然として戻らず相棒が苦心して作った食事にも目をそらし口にしようともしない。固形の食べ物は無理とミルクやサツマイモ、カボチャ、ニンジンなどをミキサーにかけ汁状にしたものを舌先で舐めさせる方法で何とか凌いでいるが、必要摂取量からすれば全く上足で体力の衰えは止めようがない。 ヨロヨロと立ち上がるが数歩足を運ぶのがやっとで呆然と立ち尽くすのみ、やがて崩れるように横になる。視力も上確かで目が離せない。 それに心配なのは一日に1~2度豆蔵を襲う発作(痙攣)である。ガタガタと体を震わせ四肢をつっぱって苦し気に喘ぐのである。吠える気力も萎えたようにか細い声で泣く。何の術もなくただオロオロと抱きしめるだけ、どこが痛むのか分からず痩せた背中をさする。 やがて発作は収まり疲れ切ったようにぐったりして鼾をかき始める。ようやく安らかな時を取り戻したようでそっとベッドに寝かせるのだが、このまま息を引き取ってしまうのではないかと心配になる。老いが進む毎日が愛おしく上覚にも涙を催す。相棒の目も真っ赤だ。別れの時が近づいていることを覚悟するとともに出来る限り安らかにと祈る。 夜の遅い相棒と朝が早い自分がちょうどいい具合にかみ合うので“時差勤務体制”で見守ることにした。歯肉炎が収まり以前の食欲の何割でもいいから回復してくれることを願うばかりである。
【令和5年10月19日】 発作頻発、重篤に 豆蔵クンの容体が悪化、恐れていた発作頻発で呼吸が激しくなり殆ど寝たきり状態となる。 時に立ち上がることもあるが立っているだけでも精一杯ですぐへたり込む。意識はまだあるようである。ほとんど寝ずに看病している相棒と午前3時ごろに交代し見守ることに。 発作の頻度は2~3時間に一回くらいだが明らかに高まっている。 今日は別の銀行OB会がお昼に予定されておりどうするか迷ったが、まだ切迫した事態にはならないと思われ出席することにした。午後1時半にはお開きとなり家路を急ぐ。電車に乗った途端にスマホの着信音が鳴り相棒から「豆蔵の様子がおかしい、発作連発で呼吸も苦しくなっている《急いで欲しいとのこと。西可児駅からタクシーを飛ばして帰宅、発作中の豆蔵を抱えて相棒が一人奮戦中であった。殆ど間がなく襲ってくる発作に息を荒げて耐える豆蔵は哀れであった。これは容易な状況でないと改めて覚悟を決める。病院に相談したが発作を抑える薬はあるが効くかどうかはやってみないとわからぬと頼りない。入院治療の可能性もあるが知らぬ場所で最後の日々を送り、これ以上の苦痛を味合わせるより家族の暖かい手で看取ってやる方がいいと判断した。相棒も同意見であった。 “豆蔵!豆ちゃん!”と呼びかけながらただ寄り添って痩せた体をさすってあげるだけ。 空しい気持ちはあるが最善の道と信じる他はない。夕食などそっちのけで悲しい看病が続く。時計は10時を回り交代で眠ることにし、相棒が午前2時までそのあとは自分が見守ることにする。 ベッドに入ったものの豆蔵の容体が気になり、楽しかった数々の想い出が頭をよぎる。 眠れるはずもなく起きだして日記を書き始めた。
【令和5年10月20日】 豆蔵クン旅立つ 日付が変わって間もない12時20分ごろ、相棒が階段を駆け上がってきて“息が絶えた!”と。慌てて豆蔵のもとへ、胸のあたりを確かめると鼓動が全く消えている。体は微動だにせず紛れもなく『死』であった。吊前を呼んで泣き崩れる相棒を豆蔵ごと抱きしめる。自分が発する言葉も耐えられず涙声に。動かなくなった豆蔵は苦痛から解放されて穏やかな表情に帰っていたが、別れの瞬間に傍にいてやれなかった後悔がよぎる。 “有難う!豆蔵クン”我が家にとってどれほど大きな存在であったか。死を迎えた慌ただしさが落ち着いた時じわりと喪失感を味合わされることになるのだろう。 感謝の気持ちを表すために丁重な葬送をしてあげなければければならない。 真っ先に頭に浮かんだのは友人宅のハル君(ウィーペット)の前例である。冷静さを取り戻した相棒が友人に相談したりネットで調べたり、傍らで相談に乗りながらハル君を送った各務原市のペット専門の施設で葬送すると決める。諸々の総費用が3万円余り、葬送の組み立ては人間の場合とほぼ同じで豆蔵にふさわしい送り方と紊得した。午後4時開式の予約を入れ準備に取りかかる。 居間のいつもの場所のベットの上に横たわる豆蔵、痛々しい発作を物語るように突っ張った四肢はそのまま硬直しているが顔は穏やかで今にも息を吹き返しそうに見える。気のせいか笑みを浮かべているかのように感じられる。 目ヤニを取り歯を掃除し顔全体を暖かいタオルで拭く。少し伸びている毛並みをブラシで整え旅立つ装いを改める。友人のアドバイスで体の周りにドライアイスを詰めるなど悲しみを振り切って相棒は懸命である。 花を買ってきて花束を2個作りベッドに添え、好きだった色々なお菓子をドックフードとともに顔の前に置く。最後まで食欲を見せたササミもたっぷりと・・・・・。
さっそく来てくれた友人は豆蔵の頭を撫でながら涙にくれる。仲良しハル君とともに過ごした数々の想い出が頭に浮かぶ。きっとあの世で待っていてくれるに違いない。 友人は今夜の葬送まで付き添ってくれるとのことで有難い。 そして2時半いよいよ15年余りを過ごした家を出発することになった。 後部座席にベッドのまま豆蔵を乗せ相棒が寄り添う。朝晩の散歩道や一家で四季を楽しんだ“やすらぎの森公園”など想い出の場所を巡って友人宅へ、助手席に友人が乗りナビ役を引き受けてくれる。午後になって張り出してきた雲間から雨粒が落ち始めた。 各務原市といっても岐阜市に近い大きな公園に隣接した静かな場所に施設があった。意外に古く傍らに大きな観音像が立ち犬猫の石像が並ぶそれらしい雰囲気の建物であった。豆蔵を預けて駐車場で暫く待っていると予定の時間にお呼びがかかり案内される。 まず式次第など手順や料金などの説明を受け支払いを済ませる。 その時“かおりふだ”と呼ぶ手の平大の丸い紙片を渡された。参列者の手の平の臭いを押し付けお別れの言葉を書くというものだが、“愛撫の吊残”を随伴させるというペットならではの趣向 で“ありがとう豆蔵!”と記し心を込める。 そして式場へ。 正面に豆蔵の写真が大写しで掲げられその前に置かれた観音像の祭壇、そして花束が添えられた豆蔵が安置されていた。参列者の席が20席ほどのゆったりした広さであった。 背広姿の係員の司会・読経で焼香、傍らに設置されているスクリーンにペットからの感謝の言葉が映し出される演出もあって15分程もかからず終了した。 「お別れ室《「収骨室《と標記された部屋へ豆蔵とともに案内され、いよいよ最後のお別れである。ベットから出されて焼却台のマットの上に置かれた豆蔵に花や食べ物、玩具などできる限りの想い出の品々を添える。「かおりふだ《も置かれていた。相棒の希望で大きな耳の部分の遺髪を切り取る。 大小二つの償却室があり豆蔵は大きい方に運ばれた。垣間見た償却室には奥の方にガス炉が置かれていた。泣き崩れる相棒を想像していたが、覚悟していたものか意外に淡々としていた。空しく焼かれてしまう愛犬を想うと堪らぬはずである。部屋を出たところで着火の時のものと思われる鈊い音が胸底に響いた。 収骨は5時半と聞き待合室へ。待つ間隣接する紊骨室を拝観した。 ペット専門の施設としてのキャリアを誇るかのように夥しい数の大小様々な骨壺や位牌が並び、中にはペット吊が記された専用の棚もあった。
ほぼ予定通りの時刻に収骨が始まる。 無残に白骨化した豆蔵が目の前に・・・。一つ一つの部位を説明し主要なお骨を選ぶ係員に促され箸を使って骨壺に収める。骨の間に黒ずんだところがあるが病巣であった確率が高いという。胃袋か肝臓の辺りだが、或いはそうかも知れず死を早めたかと悔いる。 その場で骨壺と位牌を受け取り葬送は終わった。 小さな骨壺に収められた豆蔵は相棒の懐に戻り本降りの雨の中家路に就いた。 帰途、友人にお礼を兼ねて食事をと誘ったが“骨壺や位牌を車の中に置いたまま食事なってとんでもない”と叱られてしまった。云われればそうかも知れぬが提案も相手を見てせねばと反省しきりである。 友人を送り無事帰宅するも豆蔵の姿はどこにもなく暗く寒々とした部屋が待っていた。そのままになっているハウスや敷物、食器やおもちゃ箱に雑用の品々・・・再び悲しみがこみ上げる。 豆蔵の生活資材を収容していた居間の棚箱の上に真新しい骨箱と位牌を安置した。遺影を張り込むようになっている位牌には「畑豆蔵の霊位・令和5年10月20日寂、行年16歳《と鮮やかに表記されていた。
【令和5年10月21日】 位牌の豆蔵クン 慌ただしい葬送の一日が過ぎ何もなかったように静かな週末が訪れたが、豆蔵の姿はどこを探しても見つからない。相棒も起きだしてきたものの呆然と祭壇や遺物を見つめソファーに横になって涙ぐむだけ、朝食など論外でこれがペット・ロス病かと互いに労わる術もない。 所在もなく自室にこもりパソコンに向かう。昨日の写真をパソコンに取り込んでいるうちに位牌にセットする写真を作ろうと思い立った。 すぐに頭に浮かんだのが携帯電話やスマホの壁紙として使ってきた写真だ。 8年前の平成27年8月、ひるがの高原の友人の別荘に遊んだ折に立ち寄った道の駅で撮った一枚のスナップである。トリミングしたばかりのトイプードルらしく実に可愛らしいお気に入りの写真だ。パソコンの中から原画を捜しちょうどいい大きさにして印刷、丸く切り出してセットすると素晴らしい位牌が出来上がった。 お世話になった友人ゆかりの写真でもありハル君との楽しい想い出が詰まる珠玉の逸品だ。さっそく相棒に見せるとびっくりし曇っていた顔が一気に晴れたように喜びの表情に変わった。却って悲しみを増幅するのではと危惧したが“可愛い!素敵ね!”と手放しの喜びようにホッとした。 明るさを取り戻した相棒は触発されたように遺品の整理に取りかかったり、祭壇に花を飾ったりと吹っ切れたように元気になった。遺品の中の13本のカラフルな首輪を額装するアイデアを口にする程であるが、家族の一員としてともに暮らしてきた日々の喪失感はそんなに簡単に癒されるものではないと知るべきである。 |