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テツタビ 長良川鉄道

令和3年9月21日


思いつきの“テツタビ”(鉄道の旅)を夫婦で試みることになる。
昨日スマホをいじっていた相棒が突然口にした。『明日天気がよさそうだし日帰りで郡上へ行ってみようか』との提案である。この頃のコロナ禍の落ち着き具合から緊急事態宣言解除―行動規制緩和の観測が流れ始め、慎重だった相棒もさすがに気持ちが緩み始めたらしい。
狙いは“うなぎの蒲焼”で、おいしそうな店をスマホで探し当てたようである。
自粛生活にうんざりしている自分は一も二もなく賛同、コロナ禍を考えれば車で行くのも安全で手っ取り早いが、閉鎖空間でいちいち運転ぶりをなじられ気分を損ねるより、たまにはテツタビもいいかとあっさり“衆議は一決”した。
(緊急事態宣言下の岐阜県、不要不急の外出自粛要請に違背するが、マスク・手洗い、3蜜敬遠、ニュー・ノーマル徹底覚悟のチョイ悪夫婦にどうかお目こぼしを・・・・・。)

そして今朝、予報通り気持ちのいい青空が広がる。
愛犬豆蔵にはおやつたっぷりに留守番を頼んで出発、長良川鉄道の始発駅(JR高山線美濃太田駅に隣接)に向かった。
プラットホームにはディーゼル車が一両、如何にも地方鉄道然とした風情で停車していた。(写真)何度も経営危機を乗り越えてきた鉄道会社だけに徹底した省力化で運転手以外には駅員の姿は見当たらない。乗客は10人程で観光客らしいのは半分ぐらいか。9時57分郡上八幡へ向けて発車した。(終着駅は北濃)

テツタビの魅力は何といっても窓外に広がる風景で、豊かな自然に季節の移ろいを感じ沿線に住む人たちの生活感も伝わって飽きることがない。車のドライブでは味わえない楽しみである。
青々とした野山に少し落色の気配があり、丁度お彼岸で待ちかねたように咲き競う真っ赤な彼岸花が鮮やかなテツタビのプロローグ、刃物の町関市を過ぎると進路は西から北へ変わり和紙と?(うだつ)の美濃市に入る。すると清流長良川が視界を捉え始める。コロナ禍で釣り人の姿は疎らで鮎のヤナ場に人影もない。黄金色に染まる田園風景はもう刈り取りの時季を迎えているようだ。山間部に入るほど季節の変わり目が鮮やかに映るのである。
駅舎が温泉になっていてホームから直接入場できるという珍しい『みなみ子宝温泉』も休業の様子であった。

約80分各駅停車のテツタビを終えて郡上八幡駅に到着した。降り立って辺りを見渡すが閑散としていて案内所にも売店にも人影がない。観光客が2,3組居たように思うがいつの間にか居なくなった。タクシーを呼べば楽チンだが面白くない、市内を巡るバスがあるというので待つことにする。
暫くして現われたバスは定員20人程のマイクロバスでその名も『まめバス』、市内を赤・青2コースで巡回する“一回乗車100円也”のコミュニティ・バスであった。乗ってみるとほぼ座席は埋まっていて殆どが地元のお年寄りで観光客など皆無、場違いを咎められているような視線を感じたものである。コロナ禍のせいであり地元のお年寄りの足を邪魔してはいけない。

まずは“昼めし前にお城見物”と郡上八幡城登城を目指す。
城下町プラザでバスを降り城を仰ぐと、見上げるばかりの標高差(130m)に圧倒された。歩いて登るなどとんでもないとタクシーを呼ぶことにする。意気地のない話だが81才の身には致し方もない。
資料によるとこの城は戦国時代末期(1566)郡上の統一を果たした遠藤氏により創建され、江戸時代は遠藤、井上、金森、青山と続く代々の藩主の居城となり明治維新時に取り壊された。その後、時の町長の英断で昭和8年天守閣、隅櫓、高塀が再建され今日に至っている。木造による再建城としては日本最古の城とのことである。
白壁が重なる城郭は青空に映え堂々として見事な風格を漂わせていた。(写真)
さっそく4層5階建ての天守閣に登ってみたがさすがに階段はきつい。脚力の衰えを痛感しながら最上階まで登る。眼下に拡がる城下の眺めは絶佳、急峻弧峰の山城だけのことはあると感服しつつ暫し城主の気分を味わう。郡上きっての観光スポットだがやはり観光客は疎らで人混みの心配など全く無用であった。
余談ながら足を踏み込む度に軋む音が耳障りであったが、木造の再建を自慢しているようにも聞こえた。
下山は徒歩で、特に石段には神経を遣いながら無事麓に戻った。

午後1時、頃合いもよく相棒推奨の鰻屋へ足を運ぶ。
看板メニューの鰻一匹丸乗せのうな丼を注文、疲れた身に生ビールでもと思ったが案の条コロナ禍で昼間もダメ、ぐっと堪えて焼きたての蒲焼を堪能した。
腹がふくれて体も緩んだか街歩きの意欲も萎え留守番の豆蔵も気にかかる。1時間に1本の長良川鉄道、3時発に乗車することにしそれまで夫々好きなように過ごすことにした。駅までの移動時間を考えると30分程しかない。
店覗き趣味の相棒はお目当ての店へ急ぎ、自分は寸暇を惜しんでのスケッチ三昧、誠に忙しい夫婦である。
油絵の題材探しも運がよければと吉田川の河川敷に降りる。すると左岸に古びた家並、手前に薄がなびく草叢と石畳の河川敷、遠景に橋を望む景観に絵心が動く。小型のスケッチブックに得意の早業を仕掛け10数枚写真を撮って別れた場所に戻った。(写真は帰宅後写真を見て彩色したスケッチ)
吉田川と小駄良川が合流するこの辺りは洒落た店も多く人気があるようで若者のグループも何組か目についた。
タクシーを呼んで郡上八幡駅へ。
帰りの車両は2両編成、派手なラッピングが施されていて売り出し中の観光列車か、車内もカラフルでイベントでもあるかのような特別仕様であったが乗客は数人程で却って淋しい気分である。いつの間にか郡上の空は薄雲に覆われていた。

帰途はさすがに疲れが出てウトウトしながらの80分、ソファー感覚の座席が癒しのテツタビとなった。予定通り5時前に無事帰宅。待ちわびていた豆蔵が飛びついてきて離れない。コロナ禍でチヤホヤされてすっかり王子様気取り、結局『今度は車で皆で出掛けようね』などと慰められてご満悦のようであった。

今日もコロナ感染者数は先週比大幅に減少、わが可児市は50日ぶりに新規感染“ゼロ”を記録した。コロナ禍の呪縛から解き放たれる日の遠からぬことを願う。

(了)