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日記『こもれび』とともに振り返る 令和2年12月31日
2020・・・・・待望の東京五輪が開催され未来に夢をつなぐ華やかな年になる筈が、新型コロナ・ウィルスの出現で東京五輪は延期、一切を奪われる悲劇的な一年に変ってしまった。 振り返れば1822年幕末の頃のコレラ(日本の死者26万人)、1918〜20年のスペイン風邪(同45万人)とちょうど100年刻みの世界的な疫病大流行に遭遇した不幸を何と表現すべきか。 中国・武漢で発生した忌わしい新型コロナ・ウィルスが瞬く間に世界を席巻して今や感染者は8,300万人に達し180万人が死亡しているのである。さらにここへきて感染力1.7倍の変異種が現われるという不安材料を抱えることになった。 3,4月の第一波を押さえ込み抜群の衛生防御力と評価されたわが国も、経済再興に舵を切ったところで寒冷期を迎えた11,12月、第3波に襲われて急激に拡大、感染者230,000人、死者は3、243人を数える事態になっている。急遽年末年始の外出自粛や営業時間短縮が要請され、経済対策の目玉“GOTOキャンペーン”も中断を余儀なくされた。 地理的に大都市の影響を受けやすい当地可児市の感染者は岐阜市、大垣市に次いで200人、このところ毎日のように増えていて身近な介護施設などにクラスタも発生している。 感染したら重症化しやすい老齢者ばかりの我が家も、人混みへの外出は極力避けマスク、手洗いの励行など“ニュー・ノーマル”を徹底して巣籠り生活を続ける他はない。 年末にあたり座右の日記『こもれび』とともに“コロナ禍“に終始したこの一年を振り返ってみたい。 (写真は新型コロナ・ウィルスの模型、触手のような突起が不気味である。)
【我が家の巣籠りニュー・ノーマル】 大きく変わったのは昨年まで月4〜5回はせっせと出かけていたネオン街への出動が激減したことだ。2月の飲み会3回を最後に病院通いのみとなり1年間で12回、ネオン輝く夜に慣れ親しんだ我が身には耐えられぬ思いであるが、81歳で基礎的疾患を持つ身とあっては振り切る勇気はない。 勿論旅行もお預け、例年の同窓会も無期延期・・・・・。 当たり前のように交誼を頂いていた友人の有難さをしみじみと思い知らされている。 かといって専ら籠城を決め込んでいるわけでもない。出来るだけ動き回り免疫力強化に励む必要もある。 ● スポーツ・ジムは4月の休業時を除き週3回程度、ロッカー室が混まない時間帯を狙って30分程のプールやサウナを楽しんでいる。病院系のジムなので検温、消毒などのコロナ対策は信用できる。 ● 月2回の絵画教室、季節のいい時期は明治村での野外教室、雨の日や真夏、真冬は室内での教室で、講師はじめ女性が多くそれなりに刺激的だがマスクで会話は慎み静かな2時間である。 ● 週末はお気に入りの喫茶店での“モーニング・コーヒー”、開店直後の客の少ない時間帯を選んで出かける。不要不急の誹りは免れないが店主や常連さんとの会話は貴重な“ご近所情報源”なのだ。 ● 午後3時頃のコーヒー・タイムもコロナ巣籠りで定着した我が家の特別なニュー・ノーマルと云っていい。好みの豆を買ってきて手で挽いて淹れる自称“本格的コーヒー”で、そのプロセスも含めひと時の憩いとなっている。
巣籠りでひとりご機嫌なのは愛犬豆蔵クンである。 留守番でひとりぼっちの時間が激減し、いつも我が家のメイン・ステージに君臨している。勿論コロナ禍など別世界の話で、ともすれば沈黙の隙間風が忍び寄る老夫婦の間に割って入り愛くるしい振舞いでたちまち空気を和ませる。12歳ともなれば自分の役割をわきまえているようで存在感は抜群だが、気をよくしてか近頃態度が大きくなっている。 “豆蔵散歩”にも変化がある。いつもは団地の中を朝夕15分程歩くのだが、天気のいい時は運動不足解消を兼ね一家で近くの森へ出掛けることにしている。四季折々の自然の息吹は巣籠りの身に新鮮で心地よい。坂が多いのでステントを入れた心臓の状態を測るにも好都合なのである。 移動は殆ど車で時に相棒の買い物通いにアッシー君を買って出る。人並み以上にコロナに敏感な相棒から外食に誘われることも稀で、その分台所に立つ時間も増えるわけだが亭主はとんと熱意不足とあって申し訳ない気もしている。 せいぜい食器洗い位でお茶を濁しているのだが、夏のある日突然台所にポータブル・テレビが出現した。我が家に配られた特別給付金は体よく相棒の懐に転がり込むことになったのである。 今年は年明け早々に息子の岳父が冥界入り、10月には姉を見送ることとなった。ご冥福を祈りつつも相次ぐ訃報に寂しさを禁じ得ない。
【日記『こもれび』の2020】 一日一頁(25行約600字)の自由日記は基幹的な日課として35年間続けておりコロナ禍ごときで揺らぐものではない。しかし出かける機会が激減しているので題材探しに苦労することもある。新聞やテレビなどの報道をネタに綴る形が多くなっているのはやむを得ないが、明らかに好奇心や感受性が減衰していることを認めざるを得ない。 開設後20年になるホームページの更新回数も減っていてオーナーとしては誠に心苦しい。 この一年のページを繰ってみるとやはりコロナ禍に関する題材が圧倒的に多いが、自国第一主義や独裁国家の抬頭を危惧する記事も目立つ。営々と築き上げてきた国際協調の枠組み(パリ協定、イラン核合意、TPP,WTO・・・・・)から次々と脱退し、過激なパフォーマンスですべては大統領選挙に利するかどうかを優先するトランプ、目を背けたくなるような言動や大統領選挙の行方、離脱を巡る英国とEU間の通商交渉(FTA)の行方など我が国の政治・経済に直結する話題を追ってきた。 さすがに米国民も目を覚ましたかトランプ再選を拒否、世界のリーダーとしての矜持を取り戻したかにみえる。ハンドルは正常な位置に戻ったがトランプが残した分断の轍(わだち)は深い。英・EU間の通商交渉は経過期間終了ギリギリに合意が成立、何とか大混乱は回避されたようだが、先送りされた問題も多く予断を許さない。 各国首脳の中でトランプと最も親密な関係を築いたとされる安倍前首相も、問題だらけの内政に健康問題が重なって辞任することに。史上最長の連続在任期間(7年8ヵ月)であったが、自ら招いた長期政権の弊と腐敗から逃れられず“飛ぶ鳥跡を濁して”の降板であった。 図らずもコロナ禍が炙り出した自由・平等・協調の民主主義体制の限界感と米中の熾烈な覇権争い、グローバリズム浸透で増殖された格差拡大や世界的分業体制の脆弱性など深刻な矛盾にどう向き合っていくのか、日記『こもれび』は引き続き“老爺の愚痴・独言”と付き合うことになる。
日記『こもれび』が一年を通して追った題材に“若き郷里のアスリート”2人と将棋界に旋風を巻き起こした高校生棋士の戦いの軌跡がある。 まずはプロ野球、中日ドラゴンズに鳴り物入りで入団し2年目を迎えた根尾昂(飛騨市出身20歳)である。甲子園のヒーローとして全国に名を知られた根尾のルーキー・イヤー(2019)は怪我で出遅れ終盤に2試合代打の2打席のみ、2年目の今年も9試合23打数2安打とチャンスを生かすことが出来なかった。二軍ではそこそこの結果を出しているが一軍のスピードと変化球にまだ適応出来ていない。探求心旺盛もいいが考え過ぎの傾向はないだろうか。 同窓・同輩のライバル藤原恭大(ロッテ)はコロナ禍で主力選手が欠場するチャンスに恵まれ終盤26試合とクライマックス・シリーズにフル出場。打率2割6分、2試合連続先頭打者ホームランを記録するなど大きく飛躍した。 大器晩成、焦ることはないが厳しい鍛錬が実を結ぶ3年目に期待したい。 もう一人の期待のアスリートは大相撲春日野部屋の幕下力士栃清龍(岐阜市出身25歳)だ。 絶えて久しい“岐阜県出身の関取”の座に近い存在として平成26年(2014)入門当初から期待されてきた力士である。比較的小柄な筋肉質の力士で幕下までは順調に出世したが、その後伸び悩み気が付いたら5年間もの幕下暮らしが続いているのだ。 番付26枚目で迎えた今年はさすがに奮起し7月場所9月場所と初戦から6連勝し“勝てば幕下優勝”の大一番(いずれも敗退)を経験するなどの活躍を見せる。 そして11月場所、東10枚目の自己最高位で土俵に上がったが残念ながら3勝4敗で一歩後退となった。 6戦全勝対決は4回経験しているが一度も勝てずここ一番での弱さが気に懸かる。克服するには稽古で培う自信しかない。 来る初場所は26歳で東12枚目、これが最後のチャンスと思い極め是非夢を実現して貰いたい。稽古場で見せる強さは十分に関取級と評されているのである。 また若者といえば次々と最年少記録を塗り替え、とうとう「棋聖」「王位」の2タイトルを獲得し早くも8段に昇進した将棋の藤井聡太(18)の大活躍は特筆ものであった。コロナ禍で変則日程が続いたがものともしない快進撃、百戦錬磨の強敵に全く怯むことなく実力を出しきる勝負度胸・・・・・瀬戸市出身で中部棋界待望の超新星、恐れや挫折を知らぬこの若者は若干18歳の高校生である。
日記『こもれび』そのものを巡って今年は忘れられない嬉しい出来事があった。 4年前(2016)の春、30年余りにわたって愛用しすっかり座右の友となっている日記『こもれび』が廃刊になったことを知った。 直ちに製造元(潟Aピカ)へ在庫を問い合わせたが1冊もなく残念ながら買い置き3冊をもってお別れと諦めることに。 今年の春、最後の1冊も尽きて後継というには似て非なる同社製の『C.D.NOTEBOOK』を代役として使い始め今日に至っているのだが、11月になって間もなく製造元から一通の朗報(メール)が届いた。 「保管商品を整理していたら保存用にとっておいた『こもれび』が3冊出てきました。よかったらお送りしますが」とのことであった。 在庫を照会した時に『こもれび』がズラリと並んだ書架の写真を添付したが、それが印象に残っていて4年も前の問い合わせを思い出してくれたという。気持ちが通じたのと長く気にかけてくださっていた暖かさに涙が出るほど感動を覚えたものである。 さっそく送ってもらった3冊の『こもれび』を手に1年のブランクで復帰出来る幸運を?み締める。同時に書き綴る日数(ひかず)を想うが、ご厚意に報いるためにも少なくともこの3冊を書き終えるまでは充実した毎日を送らねばと気持ちを引き締めている。 (写真は書架の『こもれび』、右側の三冊(赤帯)が送って頂いたもので35巻目の書函は他から流用)
巣籠りで嫌というほど増えた自分だけの時間・・・この機会を利用して積年の課題を片付けるチャンスと考えられそうだが、人間そううまくは出来ていないようである。 追い詰められなければ動かぬものか、“まあそのうちに・・・”とボーッと過ごしている間に意欲が萎えてしまい機を逸することしばしば、郷里には“墓終い”の問題があり家の中には断捨離の対象が山ほど残っているというのに。心の片隅にまだ自分には時間が残っているとの根拠のない驕りがあるのか、つい先延ばしの悪弊に陥ってしまっているのである。 さて、それぞれに宿痾を抱えながら何とか我が一家も新しい年を迎える。 日記『こもれび』3冊が入手できたのは正に僥倖、これから3年間は曲がりなりにも生かして貰えるお墨付きを得たような気分にもなっている。そして、長期共生覚悟のコロナがもたらす時間を有効に使って“終活”の実績をあげねばなるまい。 |