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114 『郷土力士・栃清龍物語』
令和2年8月3日
【新しい観戦マナー】
大相撲7月場所はコロナ禍のため東京・両国国技館で開催され昨日無事に千秋楽を迎えた。
各種イベントの観客数緩和の動きに合わせ観客を定員の4分の1(2,500人)に制限しマスク着用、声援は禁止で拍手のみというルールでの土俵で、勿論力士はじめ関係者全員のPCS検査陰性を確認しての開催である。
勢いを増すコロナ禍のせいもあって毎日のようにテレビ桟敷に座ったが、無観客の3月場所、中止された5月場所と続いた淋しさに、やはり大相撲と観客は一体のもの、力士夫々の人間模様に心を動かされながらの観戦は大相撲なればこそと感慨ひとしおであった。
待ちわびた土俵を目にして、粛々とルールに従い拍手の強弱で気持ちを表現する観客の見事な観戦ぶりに並々ならぬ『相撲愛』を感じたものである。
小兵力士の勝利に割れんばかりの大歓声、横綱の黒星に舞う座布団など・・・あの興奮は想像のものとぐっと飲み込む、それは『新しい観戦マナー』と言われてもなかなか辛いのではと思う。(写真は観客4分の1の風景)
【照ノ富士の5年ぶり復活V】
今場所は新大関朝の山お披露目の土俵であったが12勝止まり、混戦の末、奇跡の復活を遂げた照ノ富士が13勝2敗で5年30場所ぶり二度目の賜杯を手にした。
5年前23歳の若さで初優勝し大関に昇進、誰もが横綱候補と認めたその時が転落の始まりであった。 左膝半月板損傷の大怪我を負い加えて糖尿病や肝炎を患う不幸が重なって瞬く間に番付を滑り落ちる。何度も引退を考えたが師匠(伊勢ケ浜親方)の励ましで立ち直ったものの、昨年3月場所の土俵に戻った時には新弟子並みの『序二段48枚目』、大関まで張った力士には耐え難い屈辱の日々であった。長い大相撲の歴史の中でもこんな力士はいない。
もともと大関まで張った力士、体調が戻れば復活の電車道で十両優勝を経てついに今場所幕内に返り咲いた。そしてその幕尻力士がいつの間にか主役に躍り出て二度目の賜杯を抱いたのである。左膝に爆弾を抱える身ながらまだ28才、苦難を乗り越えて人間的にも大きく成長した照ノ富士は、大関復帰はおろか十分に綱をも狙える力があることを証明した。
幕内上位に名を連ねる来場所の土俵が注目される。
【郷土力士栃清龍の幕下暮らし】
さて本題に移ろう。
照ノ富士に暗転の日が訪れた頃、春日野部屋に『長尾』という本名で相撲を取っていた岐阜市出身の有望力士の存在を知る。平成27年9月場所幕下昇進を機に四股名を郷里の清流・長良川に因み『栃清龍』と改めた。岐阜農林高を卒業して角界入りし弱冠20歳、進学も考えたが相撲に生涯を懸けるなら4年間はプロの土俵で鍛えるべきと入門への道を選んだと聞く。比較的小柄ながら(173cm121kg)相撲センス抜群で春日野部屋でも期待の星とされ厳しい鍛錬の日を過ごしていた。
この力士こそ絶えて久しい郷土(岐阜県)出身関取誕生を託せる逸材と注目し戦績フォローを始めたのである。
得意は右からの強烈な“おっつけ”を武器に押しに徹する相撲で、翌年(28年)3月、5月と連続5勝2敗の好成績をあげて幕下33枚目に躍進。 いよいよ開花も間近か、一度“実物”を見ておこうと朝稽古の春日野部屋(春日井市勝川・八幡社)へ馳せ参じたこともあった。筋肉隆々のどこかあの栃錦を思わせるような精悍な顔立ちで、懸命に汗を流す姿に益々意を強くしたものだ。
(日記こもれび保存版『栃清龍 勇気』に詳述)
ところがそれから伸び悩み三段目に逆戻りするなど低迷が始まって既に4年もの歳月が経過した。
平成29年7月場所以降は三段目に落ちることは無くなったが、今場所まで丸3年18場所幕下暮らしが続いている。(写真は今場所の栃清龍)
この間の成績を見ると
番付20枚目台以上 8場所で24勝32敗 勝率0.428
番付30〜50枚目台 10場所で41勝29敗 勝率0.586
(平成29年7月場所〜令和2年7月場所)
最高位は2年前の30年5月場所の西15枚目(全勝優勝で十両昇進可能な地位)で2勝5敗に終わる。またその年の1月場所には6戦全勝対決で若隆景と優勝を争ったこともある。
幕下下位ではそこそこの成績を上げても、上位ではなかなか星が上がらず昇降を繰り返し今場所はとうとう西の59枚目、下に1枚しかなく負け越したら三段目陥落という厳しい番付となった。
【千代の国と全勝対決】
さすがに奮起した栃清龍は白星を重ねて無傷の6連勝、13日目にもう一人の全勝力士、元幕内の千代の国と幕下優勝を賭け対戦することになった。千代の国は西12枚目で勝てば十両復帰が叶う地位にいる実力者である。
華やかな十両力士土俵入りの後、幕下相撲は残り5番となった。
観客も多く栃清龍にとっては未経験の晴れ舞台。見逃しては末代の恥?と手に汗握りテレビ桟敷に座る。
立会い、栃清龍が先に突っかけて仕切り直し、互角以上の踏み込みを見せた栃清龍に千代の国が得意の突っ張りで応戦、突っ張り合いになったが、そうなれば千代の国のペースで栃清龍は次第に追い詰められて押し出される。百戦錬磨の千代の国に比べここ一番の気迫と工夫が足りなかった。(写真は千代の国の押しに土俵を割る栃清龍) 突っ張りを跳ね上げ機を見て
いなし体制を崩して右おっつけから前まわしを引いて寄る・・・・・思い描いていた栃清龍の勝ち相撲は夢に終わる。
悔しさなど感情を一切顔に出さず淡々と花道を引き上げる栃清龍・・・・・残念ながら幕下優勝には一歩及ばなかったが、6勝1敗と大きく勝ち越し来場所は30枚目台に戻る。コロナ禍のため夏巡業は行われず部屋での稽古で9月場所を迎えることになると聞くが、さらに基礎体力と得意の勝負手を鍛える好機でもある。
まだまだ若いと思っているがもう25才、同年次以下には琴勝峰(20)琴ノ若(22)大関貴景勝(23)阿武咲、霧馬山(24)炎鵬、照強、若隆景(25)など錚々たる力士が幕内に居並んでいる 。残された時間は多くないことを肝に銘じ、まずは幕下上位の壁を突き破って貰いたい。今日取り組みがあるのかどうかわからないような“七番相撲の世界”から早く抜け出して欲しいものである。
決して幕下で終わるような力士ではないと信じこれからも応援しフォローし続けていく。
因みに入門以来今日までの栃清龍の全土俵は38場所 261戦無休 144勝117敗 勝率0.552 である。
なお岐阜県出身の幕下力士がもう一人いる。
田邊(本名)、大垣市出身で金沢学院大卒26才、西15枚目の自己最高位で迎えた今場所は惜しくも3勝4敗と一点の負け越し。来場所は後退するがやはり上位の壁は厚い。栃清龍と同様に戦績をフォローしているが、入門以来既に3年を過ぎている。
今日までの田邊の成績は20場所135戦無休で81勝54敗 勝率0.600。
ライバルというには些か差がつき過ぎているが同期同窓に炎鵬がいる。
(写真はいずれもNHKのテレビ画像から)
9月場所が待ち遠しい。
(了)
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