|
112 『 新コロナ禍を抑え込んだ大相撲 』
令和２年３月２２日
広い観客席に人の姿が見えぬ異様な雰囲気の中で大相撲春場所は今日ついに千秋楽を迎えた。
迎えたというより“辿り着いた”という方が当たっているかもしれない。
３月に入っても新型コロナ・ウィルスの感染拡大が止まらず国を挙げて大規模行事の自粛要請が発せられる状況で、近づく大相撲春場所も中止せざるを得ぬかと思われた。しかし日本相撲協会は観客を一切入れず力士を始め協会員の中に一人でも感染者が出たら直ちに中止するという覚悟で開催する道を選んだ。
不要不急の外出禁止、手洗いの徹底やマスクの着用はもとより朝夕２回の検温、場所入りは自家用車かタクシー、インタビューも２メートル以上の間隔をあけて受けるなど考えられる全ての予防措置を講じ徹底することが前提である。
古来土俵には神が宿るとされ大相撲は興行を通じ邪気を払い世の災いを鎮めて天下に太平を招くとされる。１,５００年にも及ぶ伝統の神事であり国家的苦境にある今だからこそ実行する意義を持つと考えた八角理事長と日本相撲協会の強い意志が下した決断であった。
大阪、兵庫、京都、和歌山などご当所では既に６０名を越える感染者が出ており、ライブハウスや医療機関でクラスタ現象（集団感染）が生じている最中に初日を迎えたのである。千秋楽への道程は限りなく遠くいつ悪夢が現実のものとなるか、まさに薄氷を踏む毎日であったに違いない。
そして迎えた７日目（１４日）の夜、とうとう九重部屋で恐れていた異変が起きた。
幕内力士千代丸が４０度近い高熱を発し翌日も熱が下がらず休場を申し出る事態となったのである。ＰＣＲ検査を受けることになり固唾をのんで見守った結果は陰性で高熱の原因は蜂窩織炎によるものと診断され胸をなでおろす。
その時明らかになったが既に序ノ口や序二段の力士に発熱があり翌日熱が下がって事なきを得たという。裸でぶつかり合う相撲の特性や１，０００人近い大組織であることを思うと、１５日間にもわたり一人の感染者を出すことなく乗り切った事実は重く、テレビ桟敷で首をすくめて見守る国民に勇気を与えることとなった。
因みに２０日現在ご当所４府県の感染者は２７２名、死者６名を数えるに至っており、八角理事長以下一丸となって見せた底力には感服せざるを得ない。過去には賭博事件や暴力事件などでガバナンスに問題ありと酷評されたこともあったが、今回の一件で見事に面目を一新したように思う。
力士の息遣いや足で土を刷く音が聞こえるほどに異様な土俵で繰り広げられた優勝争いは、近年稀な横綱同士の千秋楽相星決戦となった。結局白鵬が鶴竜を破って４４回目の賜杯を抱く結果に落ち着いた。
また大関取りが懸かった朝乃山に注目が集まったが、２敗で迎えた終盤に両横綱に敗れて直前３場所３３勝の昇進目途に届かず疑問符が付いた。しかし千秋楽大関貴景勝に勝ち横綱戦の内容も評価されて審判部推挙が告げられ事実上大関昇進が決まった。
大一番を迎えても動ぜず勝っても負けても表情一つ変えぬ風格は大相撲の看板力士に相応しく、２５歳の若さと堂々たる四つ相撲に豊かな将来性が漂う。
出身地の富山県は大興奮、さすがに新型コロナ・ウィルスも遠慮したのか今だに一人の感染者も出ていない。或いはアドレナリンの作用で県民の免疫性が高まっているのかもしれない。（写真は１４日目の鶴竜戦、攻め込んだ朝乃山が僅かに早く土俵に落ちる。背景は無人の『たまり席』―中日新聞から）
立行司式守伊之助の甲高い声が響き渡り弓取り式が行われて無事千秋楽となったが、無観客場所がテレビ桟敷の相撲ファンに思わぬプレゼントを用意してくれていた。
いつもなら延々と続く表彰式のためお目にかかることのない千秋楽の神事が、表彰自粛で繰り上げられ生中継の時間に間に合ったのである。
まずは異例の協会ご挨拶、向正面に紋付羽織姿の理事役員が並び東西の土俵だまりに幕内全力士が揃って正面を向く。国歌斉唱の後八角理事長が挨拶に立った。無事に千秋楽を迎えられたことへの感謝と責任を果たせた喜びに言葉に詰まる場面があり、その心情を察して思わず拍手を送りたい気分になった。
表彰式に移り幕内全力士が見守るなか賜杯と優勝旗、総理大臣杯が白鵬に授与される。こうした危急の折にはいつも土俵を引き締めてきた大横綱白鵬の千秋楽に見せる勇姿であった。
三賞力士が呼び上げられて表彰式が終了。
理事役員、力士が退場し間を置かずザンバラ髪や坊主頭の初出世力士が登場する。来場所の番付表に初めて四股名が乗って出世街道の緒に就く力士たちだ。三々七拍子３回の手締めが館内に響いた後神送りの儀式が行われる。
初日の前日（７日）に土俵祭りを行って土俵の安全を祈願し、役目を終えた神さまを天上に送り戻す儀式である。土俵上の初出世力士が御幣を捧げ持つ行司を３回胴上げして千秋楽の全ての行事は終了した。（写真―NHKより）
図らずも長い歴史を刻んできた神事を垣間見ることができたが、邪悪なコロナ野郎を抑え込んで１５日間の土俵を無事全うさせてくれたのはやはり神さまの力なのだろうと一人テレビ桟敷で神妙である。
（了）
|
|
|
|
|
|
|
保存版ー目次へ戻る