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111 『 古都・京都を巡る80才の同窓会 』
令和元年10月18〜19日
昭和53年に岐阜・長良川の畔で産声を上げた高校の有志によるこの同窓会は実に40年の歳月を経て令和の新時代を迎えた。 齢80の老髪を揃える記念すべき24回目の例会は関西クルーのお世話で古都京都を巡る旅である。
集合場所のJR京都駅八条口に16名が無事集結。飛騨路と東海地区以東から夫々7名に関西地区2名、うち女性は6名という顔ぶれだ
今回初めて地下鉄やバスを利用しての移動となり、まず手始めに地下鉄でホテルへ向かう。ホテルには体調を崩した一人(幹事)の車椅子姿があった。家族の付添いを受けての出席で会の絆への断ち難い想いと責任感が困難を押しのけたに違いない。会の温もりを感じる光景であった。
昼食で肩をほぐした後、午後は世界遺産『二条城』の観光で再び地下鉄に乗って出発。
江戸幕府開闢から大政奉還まで歴史の表舞台であり続けた華麗壮大な構えに感嘆しきり、二の丸内部や天守跡の石垣・庭園などを約2時間かけてゆっくり見物しホテルに戻った。気分はすっかり修学旅行、80才とは思えぬ健脚だがゆったりした行程が有難い。時計は4時を回り小雨が本降りに変っていた。
ホテルで一服する間に会の今後についての提案があり会長を中心に全員で話し合った結果、幹事に負担のかかる今までの『観光―宴会』方式は今回限りとし、今後は『宴会オンリー』の現地集合開催に衣替えして継続することに一決した。会長や幹事に負担がかからないよう皆で支えていこうとの『付帯決議』付きであることは云うまでもない。
齢80ともなればこの種の会は自然消滅か解散が相場だが、40年間に24回もの親睦を積み重ね絆を強めてきた我らが同窓会にその選択肢は無かったのである。
午後6時からお待ちかねの宴が始まった。
掲げた蜻蛉章の校旗のもとで校歌を斉唱し10名の物故者への黙祷を捧げる。
無礼講に入る前に幹事の3人が夫々に準備した“心づくし”が披露された。
大病を経験した一人からはこの会を支えに回復の道を辿れたことへの感謝の気持ちに、傘寿のお祝いをこめて特製の蜻蛉章入りの陶器『夫婦箸置き』が全員に贈られた。
また司会役からは汚れがよく落ちるという奥さん手作りの『毛糸たわし』が配られ、車椅子から立ち上がった幹事は翌日観賞予定の『佐竹本三十六歌仙絵巻』の切断にまつわる資料を配って簡単な予備知識を披歴した。まさに固い絆に培われた“おもてなし”の数々で改めてこの会の意義を思う。
会長の挨拶を潮に一年半ぶりの楽しい宴に移る。酒量は減ってきているものの積もる話に時を忘れ2時間の予定時間は瞬く間に過ぎて元気な一本締めで散会となる。まだ語り足らず部屋を行き交う姿も散見された。
翌日は9時出発。旅先での朝食は楽しく食欲も旺盛である。窓外は残念ながら雨模様でどうやら今日は傘を手放せそうにない。
タクシーに分乗してまず『蓮華王院三十三間堂』へ。平清盛が造進したとされる国宝で全長120m、1001体の観音像が整然と並ぶ光景は壮観そのもの、法話を聞くサプライズもあり一段と神妙な気分に浸る。
次に筋向いの京都国立博物館へ移動。
行楽シーズンたけなわで歩くのも難儀な程の混雑ぶり、お目当ての『佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美展』は新館『平成知新館』で開催されていた。
かつては二巻の絵巻物で旧秋田藩主佐竹家に伝わる秘宝であった。大正期の不況時に売りに出されたがあまりに高価で買い手がつかずバラバラに切断され(断簡)籤引きにより茶人や財界人の手に渡るという数奇な運命を辿っている。以後100年を経て行方不明を除く過去最大の31点が集結・展示されるとあって人気を呼んでいるのだ。原型のままであれば間違いなく国宝に指定されている筈ではあったが、断簡にしたために海外流出を避けられたとも云える。持ち主が競い合ったという表装も見事であった。
雨に煙る博物館を後にして路線バスで京都駅に向かう。
昼食は京都駅構内のレストランの一室が用意され名残を惜しむことに・・・・・幹事諸君の周到な準備とチームワークで“老羊の群れ”を事故無く引率し楽しませてくれた努力に感謝する。
かくして印象深い二日間に別れの時が来た。
逢うのは嬉しいが別れは淋しい、互いに再会を約し握手を交わす。そして観光客でごった返す雑踏の中に飲み込まれて帰途を辿ることになるが、やはり老いた姿には静かな優しい風景の方が似つかわしい。
(了)
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