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107 恩師を迎えて『小学校の同窓会』
令和元年6月10〜11日
【6月10日(月) 第一部 恩師を迎えて】
今日から一泊二日で国府小学校(昭和27年3月卒業生)の同窓会、その第一日目である。 特に今日の昼食会には5,6年生をご担任頂いた恩師が出席されるというので心待ちにしていた特別の日でもある。
生憎の雨模様に、頻発する高齢者の自動車事故で心配する妻を宥め賺して6時半高山へ向かった。勿論相棒は愛車DEMIOクンである。
雨に濡れ匂うような深緑の国道41号線を途中休憩しながら“ゆっくりドライブ”、予定通り10時半に高山市国府町に到着した。
早速無事到着をメールしDEMIOクンを親戚に預けて集合場所JR飛騨国府駅へ。
“終結”した同窓生は男9名女5名の合計14名、企画し面倒を見てくれたのは地元の諸君ら7名、他所から7名と丁度半々の構成である。なかでも何十年ぶりかに顔を見せた人がいたのは望外の喜びであった。
遠路をいとわず北海道から1名、名古屋近辺からは6名が出席した。
配られた資料によれば卒業生48名のうち既に8名が鬼籍入り、出席14名は些か淋しい気もするが齢80ともなれば致し方もあるまい。幹事の苦労が偲ばれる。
昼食会場差し回しのマイクロバスで「八光苑」(宇津江)に着くと、既にタクシーで足を運ばれた恩師の姿があった。5年ぶりに拝見する恩師は少し小さくなられたような印象は拭えないが、背筋もピンと伸びて93歳とはとても思えぬ矍鑠ぶりで、細くて優しい眼差しが返ってきた。
時々畑に出ることもあるとのこと、しっかりした足取りで席に着かれた。
そして間もなく恩師を真ん中に昼食会が始まる。
冒頭に挨拶に立ち、この会の意義を述べ幹事の労をねぎらう。用意してきた「恩師の年譜」をもとに教育への情熱と足跡に触れ最初の教え子になった幸せと誇りを述べた。つい力が入って堅い話になりもう少し気の利いた話ができなかったかと悔やんだが、恩師に喜んで頂ければそれでいいと思い直す。「恩師の年譜」からは「大正」に生を受けられ「昭和」「平成」そして「令和」と四代に亘って今なおご健在である事実に改めて感銘を受ける。 古いアルバムから捜し出した卒業記念写真や同窓生共通の想い出である「動物の家」の写真のコピーも配ったが当時の思い出を語りあう縁になったようで苦労の甲斐があったというもの。
乾杯の後恩師のお礼のご挨拶があり「たくさんの教え子に恵まれたが皆さんの年代が一番印象深く懐かしい。逢えて本当に嬉しい、有難う!」と。今のご様子なら再びこうした機会に恵まれることもあろうと力強く思う。 記念写真を何枚か撮らせて頂いたが“93歳の恩師を囲む80歳の教え子たち……”こんな光景は極めて稀有なことと改めてその感慨をかみ締めたものである。
2時間ほどの小宴は瞬く間で、傘を差しかけられながらタクシーに乗られる恩師と別れを惜しむ。
【第二部 同窓・和倉温泉の宴】
本格的に振り出した雨の中を80歳の一行は小型の観光バスに乗り換えて、能登半島の和倉温泉へ向かった。
飛騨山地を抜けると越中平野が広がる。快調に走って4時にはもう今宵の宿「のと楽」に到着。見覚えのある瀟洒な佇まいは5年前に高校の同窓会で訪れた宿でもある。
7階の3部屋に分かれ温泉を楽しむなど夫々にゆっくりとした時間を過ごす。
雨はすっかり上がり薄日が漏れるほどに回復、七尾湾に面した眺望は素晴らしく、窓を開けるとほのかに潮の香りが漂ってくる。
機を逃さずと自分はさっそくスケッチ・ブックとカメラを持って宿を出た。
やはり見覚えのある海岸で遠くにツィン・ブリッジを望む岩礁を素描。赤茶けた岩肌に松の緑が鮮やかに被る風景は油絵に描き直しても面白いかと思いながら部屋に戻る。
浴衣に着替えて今度は温泉へ。皆と時間がずれたため浴客は他に2,3人で殆ど独り占め状態である。露天風呂も同様でゆったり伸び伸びと存分に楽しむ。
こうした独りよがりの習癖は中学校の同窓会でもお馴染みで珍しがられずに見過ごしてくれるのは有難い。
お湯がちょっと塩っぽい味がしたが、あとで聞くと和倉温泉は海底に湧き出しているので海水が混じっているとのことであった。
6時、宴会が始まる。
飛騨の宴恒例の「めでた」でスタートしたちまち無礼講、カラオケ入りの飾らぬ酒となり、久しぶりに参加した人達も皆に囲まれて楽しげであった。弾んだ話に酒の量だけは年甲斐もなかったとは幹事の述懐……。
9時近くになって終宴、さすがにこの年になると眠気も早い。10時過ぎには揃って白川夜船を漕ぎだすこととなった。
【6月11日(火)能登小観光】
早起きの習性は何処へ行っても変わらない。朝というより真夜中2時に目が覚めてしまう。枕元に用意しておいたポケットラジオを耳にすると、サッカー女子ワールドカップの日本対アルジェンチンの生中継中であった。
4時に起床しそっと着替えをして一階のロビーへ、薄明りの下で昨日の日記をメモ帳にまとめる。体調は良好で頭もすっきりしていて気分もいい。
明るくなった頃スケッチに外に出たが、ほどなく雨が降り始め急いで退散して空振りに終わる。それなら朝風呂を楽しもうと浴衣に着替えて大浴場へ。
7時からの朝食は皆でバイキング、昨夜の酒もすっかり抜けて食欲満々、いつもなら熱燗一本と行きたいところだが、今日は午後に長時間の運転が待っているので自粛する。
宿の前で記念写真を撮って9時予定通り出発した。
朝方の雨もあがり雲間から青空が覗く。
能登自動車道を南下、まずは名勝「気多大社」を詣でる。北陸など日本海沿岸鎮護の神々を祀る古式豊かな神社で万葉集にその名が記されているという。万葉集と云えば新元号「令和」の出典元であり御守り売り場には令和の文字が並んでいた。意図の有無は定かではないが時宜を得た観光と感心する。
巫女さんの案内で古色蒼然とした社殿や昼でも暗い鬱蒼とした「入らずの森」などを拝観、流れた時の長さを実感したものである。
次は近くの千里浜にある「レストハウス」に移動、土産物を買ったり砂浜に出たりして時を過ごす。香港からの観光客が大勢来ていて賑やかであった。
11時に早めの昼食となる。朝食で満たされた腹には少々堪えそうだったが、海の幸満載の料理にそそられて食欲はなお健在であった。
千里浜と云えば「なぎさのドライブウェイ」、細かな砂が適度に湿り気を含んで固く締まってどんな車でも走行可能というので知られている。全長8kmに及ぶとのことだが、せっかくだからとバスを乗り入れ少し走って気分を味わう。すっかり晴れ上がった空に海はあくまで青く打ち寄せる白波が鮮やかであった。砂浜に遊ぶ家族連れもチラホラ……別世界のような光景に見とれながら小さな旅も終わりに近づく。
北陸自動車道から小矢部JCTを経て東海北陸自動車道へと帰途に就く。
飛騨山地に戻ると今迄の好天が嘘のように雲も厚くなり雨が落ち始める。順調に走って午後3時前にはJR国府駅前に帰着した。
存分に語り合い懐かしがった80歳の同輩達、夫々何がしかの宿痾を抱える毎日をしばし忘れる二日間であった。93歳で今なおご健在の恩師を鏡として再会を期したいと思う。
雨の中、別れを惜しみつつ散り々々に去って行く感傷に、吹き上がる淋しさは出来れば横に置いておきたい気分であった。
再びDEMIOクンとともに帰路に………。
幹事諸兄には衷心より感謝したい。
(了)
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