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97 栃清龍 勇気
平成28年7月4日
梅雨明け間近を思わせる晴れた朝、早々に“豆蔵散歩”を済ませ朝食を摂った時、時計はまだ5時半を回ったばかり・・・ふと、このところ気にかかっていたアイデアが頭をもたげた。
7月の名古屋は街のどこかに大男の浴衣姿と鬢付油が匂う相撲の季節でもある。
この頃の大相撲は白鵬の増え続ける優勝回数と溜息混じりに数える稀勢の里の黒星の数だが、今年になって琴奨菊が10年ぶりに日本出身力士の優勝を果たして潮目が変わった。春場所の綱取りはならなかったが、代わりに奮起した稀勢の里が13勝をあげて夏場所の綱取り挑戦となり、再び13勝で優勝は逃したもののそのまま悲願は名古屋へ持ち越しとなっている。
実に18年ぶりの日本人横綱誕生の夢を3場所連続で追わせて貰う訳だが、このところのいきのいい若手力士の活躍もあって相撲人気は急上昇、“スー女”などという女性ファンも押し掛けて「満員御礼」の垂れ幕は下がりっぱなし。
そんな中、私は毎場所岐阜県出身の一人の力士「栃清龍」の戦績を追っている。
一昨年の名古屋場所10日目を桟敷観戦した時に予備知識として郷土出身力士を調べた。その折岐阜農林高校を卒業し春日野部屋に入門したばかりの3場所目で、とんとん拍子に序二段へ番付を上げた若者「長尾」に注目した。岐阜市生まれで小柄ながら子供の頃から抜群のセンスを見せていたそうで、関取を目指すなら大学進学より4年間の全てを修行にあてる道を選んだという根性が気に入ったのである。
しかし三段目でもたつき一年を要したが、昨年秋場所ようやく幕下に昇進し四股名も清流長良川に因んで「栃清龍」と改めた。その後幕下と三段目を2回往復する苦汁をなめたが、着実に力をつけ先場所幕下で5勝2敗と初めて勝ち越し西33枚目へと躍進し、いよいよ関取の座が近づいてきた。
そこで173cm121kgの小兵力士というがどんな体型でどんな面構えをしているのか知りたくなるのは人情というもの、ネットで検索してみるが一幕下力士ではヒットする訳もなく、それでは稽古場へ押しかけてみるか・・・とのもだし難き衝動に駆られて
今朝の“早起きは三文の徳”ということに相成ったのである。
身支度を整えカメラとメモ帳を手にDEMIO君とともに出発。
目指すは春日井市JR勝川駅近くの「八幡社」、ナビに従い朝のラッシュ直前の国道を疾走して6時40分には目的地に到着した。神社の広い境内の一角に「春日野部屋」の
幟が立ちプレハブの宿舎と稽古土俵が建てられていて力士たちの掛声が聞こえてくる。
「一般観覧席」と表示された場所へ行くとすでに数人の姿があった。
土俵上では幕下以下の力士20名程が数列に並んでの四股の真っ最中で、100までの連呼を何回か繰り返す厳しい稽古である。正面には師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)がどっかと胡坐をかき何人かの部屋付き親方が睨みをきかしている。
壁に掲げられている表札を見ると幕下の5番目に「栃清龍」の札があった。
近くにいた若い衆に栃清龍を教えて貰ったが、ちょうどうまい具合に最前列の右端(一般観覧席の前)で汗を流している力士であった。
体格はやはり小さい方であったが鍛え抜かれた体からははち切れんばかりの力強さが感じられる。表情も引き締まっていて美男子と云うほどではないが端正な顔立ちで好青年という印象であった。 黙々と四股を踏む姿に強い意志力を感じるのは贔屓目であろうか。(写真)
股割、腕立て、腹筋、摺り足など基礎練習が続く。どれも怪我を防ぐ大事な鍛錬だが如何にもきつそうで手を抜いたりする力士にはすかさず叱声が飛んでいた。
それが終わるといよいよぶつかり稽古に按摩と称するしごきが始まる。
力士の数も減って下っ端の力士はどうやらちゃんこ鍋の準備に入っているようだ。
栃清龍もしっかり揉まれていたが親方衆からは厳しい叱声が飛び、休む間もなく手振り素振りの指導を受けていた。本名を長尾勇気といい、ユーキ! ユーキ!と飛ぶ叱声はそれだけ期待が大きいことを物語っているようである。
その頃(7時半)になって部屋頭栃煌山、関脇栃ノ心、碧山の“白まわし三人衆”が現れ土俵が一気に引き締まる。彼らはまさに別格で体の大きさも格段の違いである。四股や摺り足、鉄砲など夫々マイペースでの調整を行い暫くすると姿を消した。
写真撮影はフラッシュさえ使わなければ観覧エリア内は自由で栃清龍を中心に撮りまくる。途中で帽子を取るよう注意されたり境内の少し奥へ入っただけで呼び戻されたり、一目で元栃乃洋とわかる竹縄親方にどうやらマークされてしまったらしい。
見渡せば観覧者もいつの間にか30人近い人数になっていて女性の姿も何人か混じっている。
稽古は次第に熱を帯び本番さながらの激しい申し合いになる。 栃清龍も幕下上位の先輩力士に果敢に挑んでいたが、やはり体力負けする場面もあり再三脇の甘さを指摘されていた。(写真―右が栃清龍)
脇を固め鋭い出足で搾り上げるように前へ出る所作を繰り返していたが、小兵のハンディを克服し関取の座を掴み取るためにはこれしかないと思い極めているように見受けられた。見つめる自分もつい力が入ってしまう。
出来るものなら激励の一声もかけ若い力士らしい表情の写真を一枚・・・と思ったが、
とてもそんな雰囲気ではなく、即座に怖い顔の竹縄親方が現れ叩き出されるに違いない。ファンのためにもう少しサービス精神の発露もあっていいかとも思うが、土俵は神聖にして心身鍛錬の道場とあれば致し方もない。
この後、白まわし組の申し合いがあるかも知れないし他の部屋から出稽古にやって来る力士がいるかも知れないが、後の予定もあり少し未練を残しつつ9時を少し回ったところで退出した。
約2時間半の観覧であったが、想像するしかなかった若干21歳の実像を目にして、
栃清龍こそ羽島山、前ヶ潮以来絶えて久しい岐阜県出身の関取誕生を期待できる力士であると確信したのである。
社の森ではいつの間にか蝉の大合唱が始まっていた。いよいよ名古屋は夏本番を迎える。
頑張れ!栃清龍。
後記 名古屋場所戦績 立会いの当り負けが目立ち残念ながら2勝5敗に終わる。 来場所は三段目からの出直しになるが夏の巡業でしっかり鍛え込み捲土重来を期して貰いたい。
(了)
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