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95  14回目の元旦登山
平成28年1月1日



午前5時30分、夜明け間近の闇が残る元旦の朝である。
昨夜のうちに用意した着替えや携帯品で身を整えて忍び足で玄関に向かう。
増してきた朝の気配に敏感な豆蔵(愛犬)が起き出してきてドアをひっかく音がした。そのまま外に出ても諦めるだろうと思ったが、居間に戻り豆蔵を抱き「お父さんはこれから大事なお仕事、豆蔵はお留守番!」と耳元で囁くと、すごすごとハウスに戻っていった。この頃は聞き分けのいい豆蔵クンだが、 今日は近くの鳩吹山に登り初日の出を拝むという大事な年中行事が控えているのでいつもの朝のようにはいかないのである。
元旦のこのルーティンは平成9年に始めているので今年でちょうど20年、すっかり定着し実行しないことにはどうにも気分が収まらないのである。天候が悪かったり体調不良などで6回断念しており実際に登るのは14回目ということになるが、幸いなことに今回は絶好の天候に恵まれた。このところの朝の冷え込みも和らぎ穏やかな快晴が約束されている。
我が家にやって来て初めて付き合うことになる愛車DEMIO君とともに出発した。

麓の眞禅寺に着くと既に大勢の人が集まり登山道には懐中電灯の光が上に向かって動いている。駐車場や道路際のスペースは車で埋め尽くされ墓地の一番奥にある駐車場に辛うじて停めることが出来たがこの好天では無理からぬ事態であった。
初日の出は7時5分頃でまだ一時間先だが頂上付近はいつもより混雑していると思われ早めの行動にでる。
登山靴に履き替えステッキと懐中電灯を両手に登山口に向かった。
「登山者名簿」に名前と年齢、住所区分を記入し手洗いを済ませ、さっそく標高313mの山頂を目指す。この程度の登山に「登山者名簿」とは大仰なと思うが、以前に遭難騒ぎがあったためと聞く。

時に6時15分、 殆ど行列状態で取っ付きの階段を昇り始めた。
熟知している筈の道程だが随分長く感じるのはやはり体力が衰えている証拠なのか、時々道を譲り休憩をとって一歩一歩踏みしめながら登って行く。どうかするとふらつくことがあり無理は禁物と自らに云い聞かせながら足を運んだ。
前後の登山者から話し声が聞こえてくるが遠くは名古屋辺りからやって来る人もいるようである。
鳩吹山は犬山から伸びる山なみの東端にあり標高のわりには眺望が利いて眼下に木曽川沿いの平野が広がっている。そんな景観が人気を呼んでいるのかこの地方の名山の一つに数えられている程だ。
喘ぎながらようやく頂上に到着、所要時間は30分でこれまでとあまり変わらぬ時間で登ったことに驚き少し自信を取り戻す。
付近を見渡すと初日の出を拝むに都合のいい場所はすでに立錐の余地もない。何とか人垣をかき分けて撮影ポイントを確保することができ不安定な足場を我慢しながら待つ。初日の出までにはまだ20分ほど時間があった。

眼下の町は低く垂れこめた靄の底に沈み遠い山並みが墨絵のように浮かんでいる。
見事に雲一つない青紫色の空が少しづつ明るくなっていく。ようやく山の端の空がほんのり茜色に染まるやその層が段々と高さを増してきた。
高揚する気持ちを抑えながらいよいよかと見慣れた“お出ましポイント”を凝視する。
ポッと一点が煌き灯が点くように輝き始めた。(写真)
そしてみるみる満天を茜色に染めあげていく。まさに感動の一瞬で期せずしてどよめきと歓声が上がった。
やがて丸く浮かび上がった太陽があまねく地平を照らすいつもの朝の光景へと移っていく。
この数分間の感動を味わうために登って来た者たちに大自然は優しく応えてくれた。一年という時の区切りを雄大な天空の営みに委ね、自らの歩んできた道を辿り行く末を思う縁にしようとの健気な願いが充満しているようである。
満足気な表情を浮かべながら衆生はぞろぞろと下山を始めた。

自分もその行列に加わるが、下山する時楽しみにしている撮影ポイントがある。 半分くらい下りてきたところに南方を見渡す見通しのいい場所があり名古屋を遠望することが出来る。
都心に林立する超高層ビル群がまるで蜃気楼のように浮かぶ光景なのだが、今年はさらに数が増えて「群」と呼ぶに相応しい風格を備えてきている。
超高層ビルが建ち始めた頃から成長発展する名古屋を実感させてくれるお気に入りのスポットで、初日の出を寿ぐかのように今朝はその一棟が白く輝いていた。
デジカメの望遠機能をフルに使って撮影したがやはりポケット・カメラでは限界がある。(写真―左の山影は標高275mの尾張富士)
ゆっくり下山し無事駐車場に戻った。数年前まではお寺の境内で熱々の豚汁が振るまわれていたことを懐かしく思い出す。

元旦のルーティンはこのあと行きつけの喫茶店「RED WOOD」で初釜ならぬ「初珈琲」を頂き、「三社詣で」と称して団地周辺三神社(神明、天地、黒木)へ初詣でに廻る。大した屈託もなく平穏な暮らしが出来ているのもそのお陰と真面目に信じているのである。

(了)