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94  喜寿記念同窓会は大阪へ
平成27年10月7日〜8日



(10月7日)
日本人2人目のノーベル賞受賞を告げる新聞を片手に高校の同窓会「燦々トンボ遊々会」に出発、久しぶりにラッシュアワーの電車に乗る。
昭和33年春卒業の気の合った仲間が集まる有志の会で29名(男18、女11)が在籍、トンボは校章(蜻蛉章)からとっている。
20回目となる今回はちょうど喜寿に当たり関西在住 者の世話で大阪へ足を伸ばすことになった。願ってもない快晴、台風の影響で東北、北海道は大荒れだが西の方は安定した好天続きで幸運という他はない。
名古屋駅に集まる予定の10名は定刻(9時半)には顔を揃え、既にバス・バースに到着している地元(飛騨市・高山市)からの9名が待つ小型バスに合流して一路西へ向かった。久しぶりの再会に歓喜の声が弾む。
すこぶる順調に走って正午にはもう今宵の宿に到着、首を長くして待っていた幹事4人が加わって総勢23人となる。
宿は国家公務員連合会の施設で14階建てのホテルである。
昼食はホテルの一室で最初の会食。ちょうど大阪城公園の南に位置し大きな窓からは燦然と輝く大坂城が迫るという望外の馳走に思わず感嘆の声があがった。

修学旅行気分の第1章は「造幣局見学」、春の八重桜で有名だが今は少し色付き始めた並木に秋の静けさが漂うばかりで人影もない。最初に博物館を見て回り係員の案内で工場を見学する。大きなロール状の金属板から硬貨に仕上がり袋詰めされ金庫に収まるまでの製造ラインを目視でき、厳格な品質と員数管理のもとにほぼ完全に自動化されていた。
地方自治法制定60周年記念事業として平成20年から造り始めた都道府県別記念貨幣が来年完了するとのことでその華麗な展示が目を引いた。因みに岐阜県は鵜飼い(千円貨)と白川郷(五百円貨)をモチーフにしたデザインであった。
第二章は大坂城で、内濠に近い場所までバスで乗り入れ天守閣に登る。車椅子も用意され幹事の行き届いた配慮が嬉しい。互いに労わりながらの微笑ましい風景だ。自分は幾度となく訪れているので勝手をさせて貰いスケッチブックを拡げることにした。小一時間の早業で天守閣を一枚、正門の桜門付近で一枚素描を仕上げる。この頃はどこの観光地も外国人(特に中国人)が溢れているが、大坂城も例外ではなく甲高い中国語が氾濫していた。
そして幹事が是非見て欲しいと意気込む「飛騨之森」へ向かう。
大阪城公園の中にある何の変哲もない森だが、石碑には昭和42年に近畿飛騨会が大阪市の緑化運動に協力し造林した旨刻まれていた。郷土の先輩の足跡が随分励みになったとは幹事の言である。忍び寄る夕闇に急かされながらホテルに戻った。

6時から待望の宴が始まった。
ライトアップされた大坂城が浮かぶ素敵な舞台背景を改めて楽しみながら、まずは掲げられた蜻蛉章の会旗を仰ぎ恒例の校歌斉唱と物故者への黙祷を行う。
そして一年ぶりで能登以来の同朋の無礼講が始まった。
程よい疲れが酔いを進めて次第に盛り上がる。
寄る年波に会の今後に話が及ぶのは自然の成り行きであるが、みんなの意見は80才位までは続けようというのが大勢で、回を重ねるごとに深まる絆の強さが滲む。来年は名古屋在住者の幹事で秋に企画するということに落ち着く。
喜寿を迎えてもなお意気は壮んである。
時計は9時を回って万歳三唱でお開きとなり夫々の部屋へ引き揚げた。 ビジネス・ホテル仕様で大浴場が無く“裸同志の湯あみ”が楽しめなかったのは温泉好きの仲間には少々物足りなかったが贅沢は言うまい。

(10月8日)
第二日目も雲一つない秋空に恵まれる。
朝食はバイキング、昨夜の酒も霧消し至って食欲旺盛のようだ。
今日は川と空から水の都大阪を実感しようとの趣向で第三章は天満橋から難波までの「運河のクルーズ」である。
午前9時、大川(旧淀川)沿いの八軒屋浜で遊覧船に乗り込む。総アルミ製の船は電池モーターで走るという環境に優しいすぐれもの、橋をくぐるため平べったい造りになっていて50人位は乗れる。
桟橋を離れ一旦遡上、造幣局辺りでUターンし土佐堀川に入るとすぐ左折し東横堀川を南下、道頓堀で直角に右折して難波(浮庭橋)に到る約6kmの運河である。
東横堀川の途中には満潮時海水の流れ込みを防ぐために水位を調節する「閘門」があり、通過してその仕組みを体験する。上空には無粋な高速道路が走っていて圧迫感があり窮屈な思いをしたが、道頓堀に入ると解放されていきなり青空が拡がった。
両岸の遊歩道越しに道頓堀や宗右衛門町の繁華街が顔を覗かせ食い倒れの賑やかさが垣間見える。
終点難波で川から上がり第四章は話題の新名所アベノハルカスへ、今度は地上300mの展望台から大都市大阪を見下ろそうという粋な企画だ。 16階でエレベーターを乗換え60階までおよそ250mを一気に登る。所要時間45秒という速さ(時速20km)で視覚で実感できるような工夫がこらされている。
360度見渡せる展望台は眼下に大阪市内が拡がり澄み切った青空に遥かな眺望が効く。縦横に伸びる町筋の中に現役時代に幾度となく訪ねた梅田から御堂筋、難波のビジネス街が懐かしい。随分超高層ビルが増えているようで商都大阪の活力を見る思いがする。
暫く“空中散歩”を楽しんだ後昼食は12階の食堂街で最後の会食となり、全プログラムは無事終幕を迎えた。

色々とお世話になった幹事らと別れバスは一路名古屋へ向かう。
ラッシュに見舞われることもなく高速道路をひた走って午後4時15分名古屋駅に到着、我等は郷里組を見送って散会した。 実に楽しい二日間であったがやはり別れには一抹の寂しさが伴うのも致し方がない。
取敢えず来年の秋まで皆が達者で過ごして欲しいと願うのみである。
幹事諸兄の一方ならぬ尽力と篤き心遣いに改めて感謝の意を表したい。

(了)