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89  「ラジオ深夜便のつどい」宇治の旅
平成26年 9月 6日



恐らく当たるまいと駄目もとで応募した「NHKラジオ深夜便のつどい」、どうしたことか当たってしまい、その当日の土曜日がやってきた。
今年の春、世界遺産・国宝「平等院鳳凰堂」が一年半にわたる修理工事を終え外装を一新したのを機に企画されたもので、内容は平等院住職の講演と深夜便アンカーのトーク・ショウの二部構成。大好きな須磨佳津江アンカーが出演するとあって一縷の望みを託していたものである。 日帰り悠々、平等院を見学する時間も十分取れ、天気が良ければスケッチも出来るかと期待が膨らんでいた。
応募一枚で二人の席が用意されているので、宇治市在住の友人に声をかけてみたがあいにく都合が悪く、一応相棒(女房)に水を向けてもさっぱりなのをいいことに、結局気ままな“一人旅”を選択したのである。

【第一幕 平等院鳳凰堂 拝観】
朝5時に起床、豆蔵散歩などいつものルーティーンをこなして6時に家を出た。
愚図ついていた天候もどうやら快方に向かっているようで空は明るい。
準備した予定表(ジパング割引活用)に従い7時27分発の新幹線「ひかり」に乗車、久しぶりの新幹線ホームはシーズンの狭間なのか思ったより閑散としている。
軽食を買い込んでちょっとした旅行気分、深緑の中で色付き始めた秋の気配が間断なく窓外に走る。
京都で奈良線に乗り換え9時前にはもう宇治駅頭に降り立った。
平等院までは徒歩10分、週末のかき入れ時とあって開店準備に忙しい街頭を歩いたが、すっかり晴れあがった空から照りつけ始めた陽射しが残暑の厳しさを予告している。
開門して間もない筈の表門の前にはもう観光客が列を作っていた。
阿字池のほとりへ出ると装いを改めた鳳凰堂が両翼を拡げた“鶴翼の構え”で迎えてくれた。
塗り替えられた柱や桟木は新築の神社仏閣に見かける鮮やかな丹色かと想像したが、意外に落ち着いた色調でむしろ茶褐色に近い。鈍く光を吸収する瓦とともに黄金色の鳳凰や純白の壁を引き立てて鮮やかながら穏やかな雰囲気である。静かな水面に投影する姿は寺院と云うよりは宮殿と呼ぶのが相応しい。

さらに料金を払って堂内を拝観、約15分のガイド付き入れ替え制である。
中堂の真ん中に結跏趺坐する像高2.8mの本尊阿弥陀如来(国宝・定朝作)は圧倒的で、 和様仏像の嚆矢とされる柔和な眼差しを仰ぎみたとき思わずこうべを垂れ手を合わせる。
黒い漆の上に貼られた金箔が1、000年を経てもなおその輝きを保っていることと六材を使った寄木造りであることを全く感じさせない技術は驚きという他はない。光背や天蓋の精緻な技巧と時を経た金箔の深味が阿弥陀如来の威厳をさらに高めているようである。 格子の中の板壁に描かれた来迎図などは劣化が進んでいるうえに暗くてよく分からなかったのは些か心残りであった。

拝観を終えたあと阿字池の畔を一周、優雅な鳳凰堂をあらゆる角度から拝観しながらスケッチ・ポイントを探る。鳳凰堂は中堂を中心に右手に北翼廊、左手に南翼廊、裏側に尾廊の4棟からなり尾廊はまだ少し工事が残っているようであった。
また中堂と北翼廊の間に無粋なマンションが顔を覗かせ“悠久の空間”を穢してしまっている。景観条例が出来る前に建てられたようで植栽(楠)の成長で隠されるのを待っているとか。
南翼廊側から中堂を望見し手前の池に睡蓮が浮く辺りが絵心をそそるポイントであった。
さっそくじりじりと照りつける陽射しの下で立ったままの難行(スケッチ)に移る。観光客の好奇の目は平気だが暑さの中での小一時間は堪えた。一応の素描を終えた時、喉はカラカラ、時計は11時を回りそろそろと退出する。(右:現場の素描に後日彩色したもの)

【第二幕 「深夜便のつどい」参加】
あとは「つどい」への参加、その前に腹ごしらえをと行きずりの店に入って冷やしうどんを食べる。いつもなら描いた絵を肴にビールでもということになるのだが、さすがに今回はメインイベントに備えて 自粛した。
宇治駅前のバス停に行くとそれとわかるシルバー達がかなり集まっている。
会場の宇治市文化センター行きのバスはすし詰め状態、10分程の我慢で小高い丘にある会場に到着した。
応募者が多く予定の小ホールから大ホールに変更したと聞いていたが想像以上の人波にびっくり、その殆どが中高年で恐るべきはシルバー・パワーである。当選の葉書を座席指定券に引き換え席に座って会場を見渡した。埋まった席数から推定すると参加者は1、500人を越える。司会のアナウンサーの話によると応募が約1、500通、1通2人分だから当選の確率は2分の1ということになる。50%の幸運であった。

ほぼ満員の熱気の中で「つどい」が始まった。
第一部は平等院住職の講演で今度の大修理に立ち会った経験をもとにしての演題は『修理は何をあらわしたのか』。
講師神居文彰氏は住職歴20余年、かなりの年配と思いきや50歳そこそこで美術院監事、大学理事や講師など幅広く活躍している。
冒頭、10円玉のデザインに平等院鳳凰堂が採用されているが表側か裏側かと問いかける。全ての硬貨は「日本国」と刻印されている方が表だそうでいきなり意表をつかれた形だが、さり気なく聴衆を惹きこむ話術も巧みである。
・・・・・・修理工事は大別して@柱や桟木、白壁の塗装 A瓦の葺き替え B金工品の渡金の3点で、@では柱や桟木の塗装の色調に議論があり最終的に丹色の明度を抑えたこと。Aでは全部で50,000枚を越す瓦のうち1,500枚程が平安時代の創建時のものであることがわかったことを紹介した。特に創建時の瓦の土質が均一でなくバラバラの混在状態であったことが判明、むしろ均一な土質に加工した後代の瓦の方が気温差に弱くひび割れが目立っていたことから、ありのままの自然の強さを示す一例ではないかと力説していた。
プロジェクターに壁画(大和絵風の来迎図)を映しての絵解きも興味深かった。
また工事のために覆った建屋に一本300Kgの丸太を5,000本も使用したが、こんな工事は創建以来初めてであることなども披露した。古代建築の修復工事は凡そ150年に一度の頻度が普通だが鳳凰堂は美しさを優先したため構造が複雑で無理があり、6〜70年に一度は行う必要があるという。(前回は1950〜57年に解体修理)
平等院が創建(1052年)された平安中期から後期に移る時代は天災・人災の頻発で世相が荒れ始め厭世気分が横溢、現世より来世の救済を願う浄土教が浸透していた。そうした時代背景のなか時の関白太政大臣藤原頼道が“この世で極楽浄土を観想するため”に創建したとされ、鳳凰堂だけが度重なる災厄を奇跡的に免れて1、000年後の今日に到っているのである。

住職氏によれば鳳凰堂の背後(西方)に沈む日輪(日没)を目に刻み、“いのちの先のいのちのふるさと”(死後)として救済を願う「日想観(にっそうかん)」を鳳凰堂自らが体現しているという。広い池に配したこのお堂は周囲の自然と一体化し凝縮された空間ではなく“解放された空間”として観るものに平穏な安らぎを与えている。そこに和様(日本的)文化を読み解くカギがあるのではと語りかけ、 自然そのままに他ならぬ全てを“そうであるなら“と受け止める別れの挨拶「さようなら」は他に例をみない日本独特の文化であると講演を締めくくった。 須らく万物に命ありとした日本人の自然観を思い起こす結びであった。

15分間の休憩をはさんで第2部はいよいよ須磨佳津江アンカーの登場である。
お相手はやはり深夜便の人気アンカー明石勇で息の合った軽妙な対談が始まった。
さっそく用意してきたオペラグラスで須磨アンカーの表情を探る。年甲斐もなく気分は“おっかけ”だが、評判通りの美形で65才になるとはとても思えぬ若さについ見とれる程。花を盛ったテーブルの両側に座っての舞台だが写真撮影禁止が何とも痛い。仕方がなくスケッチブックを拡げて奥の手を使う。(左)
東女のOGで娘の先輩にあたるというのもちょっと嬉しい。
聞きなれた語り口は、相手を気遣いながら茶目っ気たっぷりの合いの手を入れ、時折ウィットに富んだ薀蓄を織り交ぜる。明石アンカーとの相性も良くたちまち打ち解けた空気が会場を満たし始めた。
話題は平等院の修理や宇治茶の話、源氏物語や鵜飼いに夫々の趣味(花と登山)など多様なトークに花が咲く。
明石アンカーがNHKの朝ドラ「花子とアン」に時代考証役(戦前のラジオ放送)として関わっているとのことで、“照れる明石に茶化す須磨”の掛け合いが面白かった。
また須磨アンカーが相方を務める五木寛之の「歌の旅人」の裏話も毎回欠かさず聞いている番組だけに興味深く、また最後に参加者からのユーモラスな質問に答えるアンカーも爆笑を誘って実に楽しい「つどい」であった。
どうしたら若々しい声を保てるのかの質問に「声は意識していない、ただ伝えたいことは何かを常に念頭に置きながら 心にはいつも青春を 保つように心がけている。」と答える須磨アンカーが益々好きになった。そして大ホールを満員にする人気も宣なるかな、その秘密を垣間見た気がする。
(なおこの模様は9月26日(金)夜11時20分から翌朝にかけてのラジオ深夜便で放送される。)

午後4時10分予定通りプログラムは終了したが、出来ればアンコールでもしたい気分で会場を出る。ロビーで販売していた須磨アンカーの対談集「花が好き、自然が好き」を買って外に出るといつの間にか雨模様になっていた。あまりの変様に驚きながらバス停に行ってみると案の定長蛇の列、臨時バスが出るわけもなく暫く待っていたが、道路はノロノロ運転の車で混雑し一向にバスが来る気配がない。タクシーを捕まえる確率などゼロに近いとなると最早歩くしかない。用意してきた地図を見ると30分も歩けば宇治駅に辿りつけそうである。
幸い雨も小やみになり下り坂なので足取りも軽い。20分余りで駅に着き、あとは順調に乗り継いで京都発の「ひかり」に乗車した。
関ヶ原辺りで雨足が強くなり名古屋に着いた頃には本降りとなっていた。
昨夜も雨だったのでちょうど平等院拝観の時間帯のみ天気の神様が晴天を用意してくれた勘定になる。このところ恨みながら空を見上げることが多かったが今度ばかりは深甚なる謝意を以って見上げねばなるまい。

かくして修理成った西方浄土を巡らせて頂いたうえに憧れの“ナマ須磨”を拝むことが出来たという、まさに現世に至福の一日が終わる。 7時半豆蔵の出迎えを受け帰宅した。

(了)