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87  冬の味覚・南知多紀行
平成26年2月25日〜26日



ようやく春の鼓動が感じられる「三寒四温」、そのサイクルがうまくかみ合って誠に快適な日和に恵まれた。
今回で25回目となるダリヤ会の旅は、知多半島に遊び冬の名残の味覚を楽しもうという企画だ。現役の頃の縁ですっかり知多通になっている末松さんのお世話である。

(2月25日)
それぞれのルートから集結した4人は午前10時常滑駅頭に立った。
プログラムのスタートは“日本六古窯”(注)の一つ常滑の「やきもの散歩道」で、凡そ1.6Km約90分の見物コース散策である。市の中心部の起伏に富んだ丘陵地は如何にも窯造りに適しているようであるが、狭くて複雑な道筋はなかなかに手強い。
地図を片手に何度か迷いながら歩を進める。よくもまあと感心させられる程に狭い地形にへばりつくように家が建ち、すれ違うと肩が触れ合うほどの細い路地が入り組んでいる。
四人が白髪頭を寄せ合い地図を見比べながら歩く様はさながら学童のオリエンテーリングで、同じ道を行ったり来たりする場面も二度、三度。
我らの他にはグループで賑やかに見物する人達や一人で歩いている人、労わりながら歩く老夫婦連れ、手をつなぐ若いカップルなど様々で平日にしては人出が多い。
見通しの良い丘に立つと黒い板壁や屋根瓦の間から煉瓦で築いた独特の四角い煙突が何本も突き出ていて、如何にも常滑らしい風景である。(写真)
現在は全く使われなくなっているが最盛期には60本程もあったという。
林立する煙突から石炭を焚く黒々とした煙が立ち登る様は壮観であろうがあまり見たくない光景だ。因みに家々の板壁が真っ黒に塗られているのはどうせ煤で汚れるなら初めから黒く塗っておけばいいとの知恵だそうで推して知るべしか。
路地を挟んで所々に窯元の店やギャラリーがあったが、平日だからか殆どの店は“CLOSE”であった。 常滑焼と云えば土管や甕など産業陶器を連想するが、縁起物でお馴染みの“招き猫”は全国の約8割が当地で作られているという。

目を奪われたのは「土管坂」。狭い坂道の左側に明治10年頃の土管63本、右側に焼酎瓶390個が埋め込まれている。路面には土管を焼くときに使われた丸い焼台が敷き詰められていた。
もう一つの目玉は「陶栄窯」、日本最大級の“登り窯”で傾斜を利用した八つの焼成室からなり、10本の煙突が並ぶ大掛かりな構造に驚く。昭和50年ごろまで現役であったとのことで国の重要文化財に指定されているが、 これらはまさに常滑の記念碑的スポットである。
約90分程“徘徊”した後は待望の昼食、コースのほぼ中央にある瀟洒な佇まいの「古窯庵」の暖簾をくぐる。程よい疲れに喉越しのビールは格別で選んだメニューは“鴨鍋せいろ”であった。
元気を取り戻した一行は近くにある回船問屋「瀧田家」を見学する。生産と交易は対をなすもの、屋敷のすぐ下にあった桟橋から大量の産業陶器を積み出す往時の繁栄ぶりが偲ばれ数々の資料を見て回った。

次のプログラムは「INAX ライブ・ミュージアム」の見学である。
やきもの散歩道の南端から約1.5Km15分ほどの距離で、歩き始めたのはいいが道を一本間違えてしまい旅慣れた老人たちも些かグロッキー、ようやく辿りついて一休み。
総合受付のある「世界のタイル博物館」から見学を始めた。
ここでは世界最古のタイルの実物(8片)が展示されていて目を引く。エジプト・サッカーラにある階段ピラミッドの地下28mにあった古代エジプト第3王朝ジュセル王の墓室通廊壁を飾っていたものでBC2,650年頃のタイルというから驚きである。
「窯のある広場資料館」では大きな窯と大きな煙突が保存展示されているほか土管に関する資料が展示されていた。テラコッタ展示などの「建築陶器のはじまり館」 や「ものづくり工房」「土・どろんこ館」「陶楽工房」など体験型展示館を見て回りコーヒータイム。
一休みの後バス通りまで移動し路線バスに乗った。
やってきた知多バスは意外と混んでいたうえ、辺りを憚らず大声でしゃべる老人や騒がしい高校生らの埒もない会話に耳を煩わされながら窮屈な座席で40分程を過ごす。 これも気ままな旅の徒然か、知多半田駅から電車に乗り換えて河和まで行きそこからタクシーで師崎近くの今宵の宿『活魚の美舟』に向かった。

この宿は昨年11月中学校の同窓会で利用した収容人員300人程の大きなホテルである。売り物の活魚料理や伊勢湾に面した大浴場など大変好評であったことから利用を勧めたもので、午後5時予定通り到着した。
部屋は最上階の709号室で見渡す限りの伊勢湾を眺めながら小憩の後さっそく大浴場へ。他に客もかなり入っているようだが我らの他は数人程度、夕暮れには少し間があるようで海原に迫り出したような感じの露天風呂をゆったりと楽しむ。
地形の関係で夕日を見ることが出来ないのは残念だが、うっすらと茜色に染まりつつある雄大な景観は得難い馳走であった。勿論この会の伝統である「裸の記念撮影」も怠りなく実行している。
6時半いつもの調子で宴が始まった。
やはり海の幸は新鮮そのもの、つい先程まで宿の生簀で泳いでいた鯛や鮃、やりいかの活造りにまだ触角を動かしている伊勢海老の刺身、鮑の照り焼きなどなど次々と運ばれてくるお膳立ては期待通りであった。ひところに比べると酒量も減ったがそれでも一合徳利9本、ビール3本となかなかの健啖家ぶりである。
2時間ほどで宴を切り上げたがこのまま部屋に戻るのは些か勿体なしと宿内のカラオケ・クラブ「夢ごこち」を覗く。時間が早いせいかまだ誰も居ない。 「1ドリンク2時間歌い放題一人1,500円」で成約・入場。さっそく歌い始めたものの間もなく他の客がドヤドヤと押し掛け始め広いクラブはほぼ満員状態となる。歌の順番もなかなか回ってこなくなり曲目もやたらに騒がしくなって鼻白んだが、それでも2時間ぎりぎりまで粘り部屋へ戻った。
心地よい疲れに忽ち眠りに落ちる。万歩計によれば本日の歩数は15,000歩とか、よく歩いたものである。

(2月26日)
食べ過ぎ飲み過ぎで少々重い感じの胃袋を抱えながら6時半に起床。
カーテンを開けると窓一杯に薄鼠色の伊勢湾が広がり、晴れあがった空は紅をさし始めて日の出が間近かであることを教えている。静かな海辺の夜明けであった。
素早く着替えて早朝スケッチへ、海沿いの国道を師崎港目指して歩き始める。潮の香りを存分に嗅ぎながら約15分程で港に到着した。既にチラホラと人影があり、海鳥の鳴き声に交じって漁船のエンジン音が聞こえてくる。港の早い朝が始まっていた。
日の出は過ぎて東の空に浮きあがった太陽がその輪郭も鮮やかに輝いている。
黄金色の太陽とやや紫がかった茜色に染まる空を、油を引いたような海面が映し返すという美しい光景に目を奪われた。漁船を配した適当なポイントを捜しこの瞬間を逃すまじとカメラに収めさっそくスケッチに取りかかる。熱中して約40分素描を終え急ぎ宿に引き返した。仲間のリズムを乱すわけにはいかない。(左:帰宅後彩色したもの)

時計は8時、皆と合流して朝食の席に就いた。昨夜と同じ場所だが海辺の陽光が一杯に溢れている。
師崎港往復が効いたかお腹の具合も完全に復調、迎え酒を頂きながらご飯もお代わり、焼き味噌の味がまた秀逸であった。
出発まで少し間がありそれではとひとり朝風呂を楽しむ。さすがにこの時間に風呂へ来る人は居ない。露天風呂では伊勢湾を独り占めしているような爽快な気分に浸らせて貰ったが、まさに旅の裏ワザ、“早起きは三文、四文の得”というわけである。

そして最後のプログラムは海を渡っての篠島観光だ。
宿の車で師崎港へ送ってもらい高速船に乗って篠島に渡る。
観光協会に寄ると予約したガイドの三鬼さんが待っていた。篠島生れの篠島育ちという生粋の“島っこ”は我らと同世代の爺さん、すぐ打ち解けて楽しい道行となったが、メンバーの年恰好を見て短い方のコースを選んだようである。

まず篠島へ来たらここを訪ねなければ来たことにならぬという北端の中手島(島と云っても陸続き)へ案内された。伊勢神宮に奉納される「御幣鯛(おんべだい)」の調整場所や保管のための山上の社を拝観する。篠島は古くから伊勢神宮と特別の縁で結ばれており、その証として遷宮によって生じる廃材を譲り受け社殿を建造しているという「神明神社」、さらにその廃材を活かした「八王子社」を訪ねた。廃材とはいえ実に堂々とした社殿で伊勢神宮に通じる風格を漂わせている。
こうした伊勢神宮との深い関わりが島に暮らす人達の誇りとなっているようで、案内にも力が入っていた。。
さらに海から引き揚げられたという薬師如来像がまつられ八王子社の狛犬が鎮座する「医徳院」、南北朝時代渡って来た南朝の義良(のりなが)親王のため飲料水を求めて掘り当てられたという「帝井(みかどい)」などを見て回った。
この辺りは民家が密集する島の中央部で狭い坂道が入り組んでいる。医徳院近くの高台からは漁船がひしめく篠島港を一望することができた。
かくして約二時間の観光を終え中心街に降りる。
ちょうど昼時でガイド氏お勧めの食堂「とねさん家(ち)」でお目当ての名物「じゃこ飯」」を注文した。当地特産のちりめんじゃこがふんだんに盛られた丼飯であった。旅先での食事は旅情という風味が加わって一段と美味しいもの、終章に相応しくたっぷりと腹を満たして海沿いの道を港へと戻る。
これで今回の旅のプログラムは滞りなく終了しあとは 帰途を辿るのみとなった。
午後になって雲が厚くなり海も沈んだ色に変わり始めていたが、高速船の泡立ち尾を引く航跡はやがて何事もなかったように消えていく。
友と別れ一人家路に就くプラットホームについ今しがたの愛しき時を追う、ふっとかすめる寂しさは年のせいであろうか。
ともあれ楽しかった知多の旅、世話をしてくれた末松さんに大感謝である。

(注)日本六古窯
平安から鎌倉時代に始まった陶磁器窯のうち良質の器を効率よく生産し各地へ販路を拡大、産業として根付き今日に至っている六つの窯の総称。
・瀬戸焼:愛知県瀬戸市
・常滑焼:愛知県常滑市
・信楽焼:滋賀県甲賀市
・越前焼:福井県丹生郡越前町
・丹波焼:(立杭焼) 兵庫県篠山市今田町立杭
・備前焼:岡山市備前市伊部

(了)