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83  松井秀喜・現役引退
平成24年12月28日


12月28日早朝、松井秀喜引退のニュースが飛び込む。ある程度は予想していたものの、やはり寂しさは拭いきれない。
午前7時を回った頃ニューヨークで開かれた記者会見の模様が中継された。目を潤ませた松井のごつい顔が大写しになっている。(写真は朝日新聞から)
「大リーグに来て10年間命がけでやってきたが、結果が出なくなったので引退を決意した。10年前までは“巨人の四番”として誇りと責任を待ってプレーしてきた。日本に戻ってプレーすればファンは10年前の姿を追う。正直言ってその姿に戻れる自信はない。」と自らの退路を断ち、いかにも野球を愛し続けた男らしい見事な引き際であった。

20年間の松井の野球人生を貫いたものは“フォア・ザ・チーム!”、チームの勝利に貢献することが全てに優先するという彼のプレーと野球ファンを大切にする言動にその精神はにじみ出ていた。
自分は人後に落ちぬ巨人ファンだと自負しているが、豪快な打撃とともに野球に取り組む姿勢に魅了され、いつの間にか「大の松井ファン」にもなっている。ナゴヤドームへ観戦に出掛けると不思議なほどに豪快なホ−ムランを打って見せてくれたものだ。
殊勲打を放って大観衆の歓呼に応える松井も、凡打に終わり悲しげに天を仰ぐ松井も大好きである。

大リーガー松井秀喜を語るとき四つのシーンが頭に浮かぶ。
一つ目ははヤンキース入団一年目(2003)のヤンキー・スタジャム開幕戦でのまさかのグランドスラム・デビュー。
二つ目は四年目(2006)、レフト前の飛球を追い不器用なダイビングで左手首を骨折した衝撃的映像。
三つ目は怪我から復帰し2009年のワールド・シリーズでMVPに輝く大活躍を見せ、夢にまで見た歓喜のニューヨーク凱旋パレード。(日記こもれび掲載 「ニューヨークを熱狂させた男・松井秀喜」に詳報)
そして四つ目はその翌年エンゼルスへ移籍し、ヤンキースの本拠地初戦の試合前に赤いユニホームを着て出てきた松井を満員の観衆がスタンディング・オベイションで迎えた感動のハプニングで、さらにヤンキースの全選手が飛び出してきて親しげに言葉をかけていたあの光景である。(写真)

ヤンキースの主力打者としてその地位を固めた矢先の左手首骨折のアクシデント、続く翌年、翌々年と膝の故障に見舞われ治療と練習の相克に悩み続けた。
たが何とか克服し復帰を果たしたものの守備に不安が残って、彼にとっては如何にも不本意なDH(指名打者)中心の出場になってしまう。
2009年のワールドシリーズMVP獲得の翌年、意外にも契約更新のオファーが無くヤンキースを去ることになる。以後はエンゼルス、アスレチックス、レイズと渡り歩くが、結果を残すことが出来ず今年の7月屈辱の戦力外通告を受けた。
そして他チームからのオファーも無く38歳で引退を決意するに至ったのである。

栄光と挫折・苦闘が綾なす10年間はジャイアンツで培った“四番打者の誇り”に貫かれた軌跡でもあった。
“ジャイアンツ四番打者の誇り”をまざまざと見せつけてくれたのが平成14年(2002年)のシーズン終盤、ホームランと打点の二冠を確定し残る打率は厘毛差で福留(中日)と争う状況で三冠王が目の前にあった時である。松井は最後までフルスィングのスタイルを崩さず、結局三振を繰り返して三冠王を逃すことになるのだが、ヒットを稼ぐために姑息な策を弄することなくあくまで名門ジャイアンツの四番打者としての誇りを持って戦い抜き感動を与えてくれた。
そして翌年海を渡って大リーグの名門ヤンキースのピンストライブに身を包むことになるのである。(日記こもれび掲載 「松井秀喜・男の美学」に詳報)

38歳の年齢はこの頃の野球選手の寿命ではない。
イチローは39歳、今シーズン途中でヤンキースに移籍して実績をあげ2年契約をかち取っている。
会見で松井は「何一つ悔いはない」と言い切っていたが、この年齢で現役を退くのは本意であろう筈がない。
無念の気持ちを押し殺して“己の美学”に殉じ、感謝の言葉を繰り返しながら静かに退場したのである。

大きく掲載した翌日の新聞を読み漁ったが引退を惜しむ声や労いの声など様々で、師と仰ぐ長嶋茂雄を始め、イチロー、原辰徳、阿部慎之助、親友デレク・ジーター、ジョン・トーリ(前ヤンキース監督)スタイン・ブレナー(ヤンキース・オーナー)らの言葉(内容略)が松井秀喜の存在の大きさと豊かな人間性を如実に物語っている。
とりわけイチローは彼にしては珍しく感傷的な言葉で次のように語っている。
「野球観など何時間も話し合った時僕と全く違う思考で興味深かった。ヤンキースでプレーして改めて松井選手が残した実績が如何に重く難しいことであったかを知った。中学生の時から存在を知る唯一のプロ野球選手がユニホームを脱ぐことは、ただただ寂しい」と。
「全く違う思考」とは・・・・・まずはチームそして野球ファンであり、その期待に応えるために研鑽を積み自分を磨くのであって、チームの勝利のためには自分の記録などは二の次であるということだろうと推察している。 言い訳や不平不満など一切口にすることなく私情を抑えチームやファンのためにプレーと言動を集中する姿勢は周囲の人々を惹きつけずにはおかない。
ヤンキースからはコーチ招請の話が舞い込んでいるとの噂もあり、かのナベツネも将来は巨人監督に招きたいとえらい入れ込みようである。
しばらくは疲れを癒すとのことだが、野球漬けの前半生を振り返りこれからは自分の経験をいい形で伝えられる土台作りを始めたいと意欲を述べている。 175本(日米通算507本)のホームランを打った偉大な日本人大リーガーの看板を背負って、第二の人生に歩みを始める松井秀喜にエールを送り今後の活躍を楽しみにしたいものである。

来年春待望の第一子(ゴジラ二世)誕生の予定とか、
彼は結婚に際しても妻女を人目に曝すことを潔しとせず、名前すら公表していない。
家族への労わりと私事を慎む気持ちのなせる業と思うがその徹底ぶりは見事という他はない。
せめて夫婦揃っての子煩悩ぶり位は見させて貰ってもいいのではないか。


(了)