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82  花のお江戸一人旅
平成24年9月10〜12日


9月10日(月)
今日から三日間東京見物の旅に出る。
直接の動機はフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」来日の知らせで昨年11月に遡る。それに何かと話題を集め変貌を続ける首都東京をこの目で確かめておきたいという御し難い心情が加わったものである。体のいい「おのぼりさん」といったところだが勿論そうした旅は一人で出かけるというのが私の確信的信条だ。
東京の空模様は連日晴れ時々曇りの予報で残暑はことのほか厳しいようである。

フルポケットのチョッキを着込み普段のスニーカーを履いてザックを担ぐというスケッチ旅行の気楽な出で立ち、うるさい相棒(女房)が一緒ではこうはいかない。満員の通勤電車で出発し9時24分発の「ひかり512号」に乗り込んだ。観光客や出張のビジネスマンで車内はほぼ満席、現役の頃を思い出して昂ぶりを覚える。
東京に近づくと高層マンションが目立ち始め街全体が背伸びを始めたような印象を受ける。過密都市は空へ伸びるしか仕方がないのであろう。
東京駅に着くや丸の内側に出た。
旅の目的の一つがその東京駅・丸の内駅舎である。
復刻の大改装が終わり両翼にドーム屋根が再現された威容を是非スケッチしようと企んでいる。まずはその下見をしておこうと思い立った。北口に回り中央郵便局の前からの眺めが最高で陽射しの当たり具合が素晴らしく真新しいドーム屋根がきらきらと輝いている。まだ工事中の養生が少し残っているがあまり気にならない。(グランド・オープンは10月1日予定)
幸い人通りも少なく路上にイーゼルを構える“戦友”の姿もあり、いっそのことチェック・インまでの間に一枚描いてしまおうと決意した。スケッチ・ブックは立ったまま描けるようにと小さめのものを用意している。
複雑な建物の構造にてこずるなど一時間程の素描で引き揚げたが、途中敷地に足を踏み入れたというので警備員に注意される一幕もあった。いきなりイエローカードを貰った気分で絵描稼業も結構骨が折れるものである。
昼食をとり1時半にホテルにチェック・イン。
一人旅の宿は利便性の良さで現役時代によく利用した八重洲ターミナル・ホテルである。こちらも全面改装されていてガラリと様子が変わっていた。
小型のザックに必要最小限のスケッチ用具などを詰め込み足取り軽くホテルを出た。

午後の予定は両国界隈に遊ぶことにしている。
まずは酔友らが推奨した江戸東京博物館見学である。大相撲中継でよく見かける変わった格好の建物で、開催中の二条城展と大掛かりなジオラマ仕掛けの常設展示を楽しんだ。スペースで見る江戸城や大名屋敷の豪壮さと対照的な町民の住まいや暮らしのつつましさが印象的である。狩野派の障壁画が目立つばかりの二条城展は些か食傷気味といったところか。
“中入り”の頃合いを見計らって両国国技館へ。
秋場所二日目の興行中で大相撲ファンとして一度は入ってみたい「聖地」である。3,600円のC席(椅子)券を買い入館した。
二階椅子席最後尾から館内を見渡せばテレビ中継でお馴染みの風景であったが、やはり多く見積もっても6割ぐらいの入りで桟敷席には空席の座布団が目立っている。
ちょうど土俵上ではチェコ出身で痩身の人気力士隆の山がしぶとく動き回って勝ち星を拾い館内は大歓声に包まれていた。やはりテレビ桟敷では味わえぬ臨場感がある。応援する力士が登場すると甲高い声があちこちから飛び場内を盛り上げて力士の背中を押すという構図がよく分かる。見回すと思いがけぬ近さに優勝額が掲げられていた。その32枚全てが外国人力士で占められている図は何とも情けない。
中座して館内に設けられている相撲博物館を見物した。子供の頃の憧れの的であった大横綱栃錦と春日野部屋の特別展示が行われていたが、意外に小さな規模で些か期待はずれであった。
横綱大関7人が全員白星を並べる充実した土俵に満足しながら、林立する力士幟やハネ太鼓に送られて夕暮れの両国駅を新宿に向かう。

新宿での目的は画材専門店「世界堂」と一夜の居酒屋捜しである。
以前に一度来たことがある「世界堂」は五階建てのビル全体が画材売場で日本一の規模ではないかと思っている。使い慣れたお気に入りの固形水彩絵の具と鉛筆を探しているのだが名古屋では見つからず、「世界堂」ならばと期待してやって来たという訳である。
確かに品ぞろえは格段の多さであったが、メモしてきた銘柄のものが古すぎるのか見つからず限りなく似たものを選んで店を出た。

時計は7時半を回り、さて・・・と居酒屋捜しを始める。
さすがに新宿、若者たちで溢れかえる雑踏を潜り抜け、裏通りの小路を入ったところで 赤提灯がぶら下がる「千草」という名の居酒屋を見つけた。
まさにイメージ通りの店であった。(写真)
傷だらけのいかにも時代物のカウンターに座り、さっそく熱燗の二合徳利を注文した。肴は「カツオの土佐造り」と「豚のキムチ炒め」でチビリチビリと始める。
入り口近くの囲炉裏を囲む席では常連らしい初老の男たちが六人程の楽しげな宴の最中で、カウンターの端にはもう一人孤独の酒を楽しむ老人がいた。
店主夫婦の話だと創業は昭和11年で、戦争の惨禍を潜り抜けてきた新宿の主のような店だと自慢していた。だが二代目の店主も私と同じ73才で後継ぎがいないと淋しげである。
目の前には金魚と泥鰌がせわしげに泳ぎ廻る水槽があり底には一匹の小さな蛙が息を潜めていた。思わず我が身に置き換え苦笑い、心地よき酔いに身を任せながら行きずりの「止まり木」を後にした。
時計は9時半を回っている。まだ続く雑踏の中をご機嫌でホテルに向かった。

9月11日(火)
午前3時、目が覚める。
折角の時間を持て余すのも勿体ないと、机に向かい撮った写真を見比べながら東京駅のスケッチに彩色を施す。なるべく印象が薄れないうちに行うのがこのての作業のコツである。夕べの酒もすっかり抜けて体調はすこぶる良好だ。
予定では6時ごろに出発して東京駅の早朝スケッチを敢行することにしていたが既に実行済みである。そこで今日は午前中に予定していた最大の目的であるフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に逢うために最善を尽くそうと考え、早朝の美術館に並んで機先を制する作戦に出ることにした。
今月17日の会期終了を間近に連日長蛇の列が出来ているという情報もあり、実際に見てきた人からその混雑ぶりを聴いている。勿論切符を買うために並ぶ余分な手間を省くためすでに前売り券は手中にしている。
“恋人”に逢うような気分で6時勇躍ホテルを出た。
朝食をどこで摂ろうかと思案しているうちに足は勝手に東京駅のホームへ、そして本日の“戦場”上野へ向かった。天候は晴れ今日も暑くなりそうな気配である。

腹が減っては戦が出来ぬと上野御徒町の裏通りで24時間営業の食堂「磯村水産」の看板を発見。
数人の客があり朝から酒を飲んでいる輩も居る。“恋人”に逢おうという時に酒は不謹慎と誘惑を振り切り、鮪の二色丼を注文したがこれが絶品で市場から仕入れたばかりの生きのいい刺身が乗っていた。これは朝から縁起がいいとしっかり腹ごしらえをするや上野公園へ・・・・・時に7時10分、 9時半開場までには2時間以上もある。
第一のお目当て「マウリッツハイス美術館展」の東京都美術館に行ってみると周りに誰も居ない。近くには犬連れの人影がチラホラ、肩透かしを食った感じである。仕方なく太陽が照りつけ始めた公園の中を散歩したりスマホをいじったりして、さながらホームレス気分で時を過ごす。ベンチにたむろする“本職”の姿は相変わらずだが、上野名物の“青色シート”は全て取り除かれ、静謐な公園の佇まいを取り戻していた。
ようやく8時頃になって整理員が出てくるや列が出来始め20番目くらいの位置に並んだ。あとは立ったまま時間の経過を待つだけ、スマホ(ワンセグ)や携帯ラジオが強力な助っ人になってくれる。
夏の日照りの中、列はみるみる伸びてその最後尾は確認できないほどに。
8時50分見かねての繰り上げ措置か係員が地下一階の館内に誘導を始めた。
改札口と入場券発売所に出来た二つの列で悠に500人は超えているだろうと思われる。トップ・グループの優越感に浸りながら10分ほど待っていよいよ改札が始まった。
案内図で確認した通りお目当ての「真珠の耳飾りの少女」の居る一階に急ぐ。そこは数人の姿があるだけの期待通りの情況であった。それでも案内にせかされながら「真珠の耳飾りの少女」の前へゆっくりと歩を進める。まずは瞳、唇、耳飾り・・・・・に施された光の点描を間近(1m程)に観る。その後柵の後ろに下がって3mほどの距離から今度は頭越しに絵全体を観賞した。トップ・グループの恩典でこの場所ではせかされることなくじっくりと観賞できた。独特の光の描写にフェルメール・ブルーとイエローの対比、そしてあの蠱惑的で幼さが同居する瞳と唇に惹きこまれる。
脂の乗り切ったフェルメール最盛期の代表作を目の当たりにするまさに至福の数分間は瞬く間に過ぎ、続く人並みに譲って“少女の部屋”を後にした。
一階の隣のブースにはレンブラントの代表作「自画像」があった。この絵もこの展覧会の目玉の一つで厚塗りの暗い画面に繊細な光と生き生きとした質感の描写は見事という他はない。またハルスの「笑う少年」にも強烈な印象を受けた。
地下一階に戻りもう一枚のフェルメール「ディアナとニンフたち」を観賞した。フェルメールにしては大型の絵(1m四方)で物語画から風俗画に転じる過渡期の作品として知られる。描法の違いから近年までフェルメールの絵とは認められていなかったという曰くつきの作品である。
二階に上がるとフェルメールと同時代にオランダなどで活躍した多くの風俗画家の絵が並んでいたが、同様のテーマを扱ったフェルメールの絵とは比較にならない。
余分なものをそぎ落とし主人公の瞬間の描写に的を絞ったフェルメールの絵の魅力を改めて思い起こさせてくれただけであった。
入場数をコントロールしているせいか最初のグループに入った私たちは望外の時間と空間を得たようである。作戦成功、努力の甲斐があったというもので、なお続々と列をなす来場者を尻目に東京都美術館を出た。
じりじりと照りつける太陽の下ミンミン蝉の鳴く上野の森はまだ真夏である。

 
@ ≪真珠の耳飾りの少女≫ 1665頃
マウリッツハイス美術館蔵
A ≪ディアナとニンフたち≫ 1653-54
マウリッツハイス美術館蔵
B ≪真珠の首飾りの少女≫1662-65
ベルリン国立美術館蔵
踵を返して今度は「ベルリン国立美術館展」が開かれている国立西洋美術館へ、こちらにもフェルメールの傑作「真珠の首飾りの少女」が来ているのである。
こちらは殆ど待ち時間が無く入館できた。いずれ劣らぬ傑作だが「耳」と「首」の一字違いでその人気は随分の差となっている。
中世の宗教画や彫刻の時代からルネッサンスを経て肖像画や風俗画の時代に移る美術史的展示が特徴で、やはりここでも主役はフェルメールとレンブラントであった。
お目当てのフェルメールの「真珠の首飾りの少女」とレンブラントの「ミネルバ」、「黄金の兜の男」を集中的に観賞した。「真珠の首飾りの少女」の柔らかな光を吸収する壁が鏡を覗き込む少女の表情と両手を際立たせ、次の瞬間少女の両手がどう動くのか想像をかきたてるのである。レントゲン写真によるとこの壁には初め地図が描かれていたとのことで、その後厚く塗り重ねられ痕跡は全く見られない。 フェルメールが追い求めたひとつの到達点と云える作品なのかもしれない。
レンブラントの「黄金の兜の男」は金色に輝く兜の描写が鮮烈な印象を与えていた。

さすがに美術館の“はしご”は疲れるもので足は棒のようになったが、実質約2時間の観賞でそれぞれの要所は確実に抑えられたと感じる。 公園内のレストランで小憩の後、今度はツタンカーメンが来ているという上野の森美術館へ。予定外だが折角だからと行ってみると炎天下に長蛇の列、尻尾を巻いて退散した。
佳きポイントがあればスケッチでもしようと思い不忍池方面へ足を伸ばす。ボート池のベンチで描き始めたが暑さに負けて駄作に終った。欲張り過ぎというものだろう。

池近くの食堂で昼食を済ませ元気を取り戻すと、予定の新名所「東京スカイツリー」見物に出発した。
地下鉄銀座線で浅草へ、隣接する東京スカイツリー・ラインに乗り換えて隅田川を越えるとすぐスカイツリー駅に到着した。まずは付属のイーストヤードから一周することにする。見上げるスカイツリーの高さ634mは圧倒的で、青空に延びる姿は日本の技術力の象徴として頼もしく誇らしげであった。昨年の東日本大震災に遭ってもびくともしなかった強靭な構造こそ蓄積してきた日本の底力なのだと逞しい塔脚を見上げながら感じ入ったものである。
タワー・ビル(30階)からの眺望を楽しみ、そらまち商店街を探索する。
つい先日、開業して100日余り既に来場者数は1,670万人に達したと報じられていた。今日も大変な人出で歩くのにも難儀する程である。何しろ一日平均17万人が押し寄せているのだ。そのうち10%の来場者がスカイツリーの展望台に登っているという。
こちらも大変な混雑だろうとタワーヤードに行ってみるとやはり長蛇の列で1時間待ちと表示されていた。
夕方5時に新宿で先輩と会う約束をしており、残りの時間は周辺からの撮影ポイントを捜し北十間川沿いに歩いてみることにした。開業当時問題になった“周辺の不届き者”の姿はなくパトロールのおじさんが目立つ程落ち着いていた。夜になって湧き出てくるのだろうか。周辺の道路や川辺は綺麗に整備されていたがどことなく味気なく乾いた感じが物足りない。
ようやく陽が傾く頃、疲れ果てた足を引きずりスカイツリー駅に戻り新宿に向かった。
新宿駅南口に出ると約束通り中折帽を被ったK氏が現れる。何年ぶりかで逢う先輩は全く齢を感じさせず、ゴルフ焼けしていて健康そのもののよう見受けられた。
K氏いきつけの天婦羅料理店で3時間程も語らったであろうか、快く付き合ってくれたことに感謝し名残を惜しみつつ別れる。心地よい酔いに身を任せつつも現役の頃のように乗り越すこともなく無事ホテルに帰投した。

9月12日(水)
何処へ行ってもどんなに疲れていても朝の強さは変わらない。
6時を回った頃にはもう山手線の電車の中である。ホテルをチェックアウトし大きなザックはコインロッカーに収めて今日も軽快な出で立ちだ。
今日も上野経由浅草へ、浅草寺で早朝スケッチを敢行しようというのである。
人影もまばらな雷門からシャッターの降りた仲見世を通って浅草寺でお参りを済ませる。7時前とあって境内はいたって静か、石段に腰を下ろし朝陽に輝く五重塔をスケッチし始めた。調子よく鉛筆を運んでいると何処からか警備員がやってきて“座り込み禁止”だという。それならと立って描き続ける。ここでもイエローカードをつき付けられた格好だが、この程度で腐っていては“絵描き魂”に悖るというものである。
しかし立ったままの彩色は難しく鉛筆描きのみで引き揚げることにした。

雷門近くで軽食を摂り再び東京スカイツリーに向かった。
当初は近くで威容を見るだけで十分と思っていたが、来てみると一番高いところまで登ってみたいと思うのは人情というもの、プログラムを変更してスカイツリー“搭乗”を組み込んだのである。幸い開業時間を少し回ったところで殆ど待ち時間なく分速600mの高速エレベーターに乗り込んだ。
あっという間に地上350mの「天望デッキ」に到着、続いて450mの「天望回廊」行の切符を買う。しめて3,000円が高いか安いか考えている暇も無く地上450mの“天空”に降り立った。
少し傾斜のかかった回廊を歩くと451.2mの最高到達点「ソラカラポイント」に着く。殆ど海抜ゼロだから建物だけで経験できる世界最高の高さだ。この高さを実感するため外気に触れたらどんな気分だろうと想像する。思った程の混雑もなく綺麗に晴れあがった空の下に広がる東京のパノラマを堪能した。林立するビル群や公園の森・・・一昨日、昨日と歩いた両国、上野、真下に浅草が確かめられた。まるで遊覧飛行の気分で、これが夕景から夜景になればどんなに素晴らしいだろうと思う。
トータルで30分程も遊んだであろうか再び高速エレベーターに乗って降下、気圧の変化で鼓膜の異常を感じる程であった。
タワーヤードの屋上に出ると皆が上を向いて何やら興奮している。スカイツリーが青空に影を落とす珍しい光景が観察された。(写真)
約1時間の“登頂”を終えて浅草に戻る。
その頃には仲見世も開店し大変な数の観光客で溢れ返っていた。東洋系の観光客が目立ち甲高い声があちこちで姦しいい。そんな喧騒を避けるように気の向くまま“六区ブロードウエイ”に歩を運ぶ。夜の街の昼行灯は呆けた感じで締りがないが、あの懐かしいロック座は今も健在であった。
下町風情の残る裏通りを歩くと思いがけない方向からニョッキリとスカイツリーが顔を出したりする。隅田川を挟んだ浅草とスカイツリーは一体で新しい浅草の風景に違いない。
浅草寺の境内に戻り木陰のベンチで一休みしているうちに、眼前の雄大な本堂を描いてみたい衝動にかられスケッチ・ブックを拡げた。
ここは近所の老人たちのたまり場になっているらしく所在無げに集まって来ては世間話に花を咲かせている。隣に座った二人の会話が聞くでもなく耳に入ってくる。
肺がんを患い処置なしと云いつつタバコを吸っている一人が相手にしているもう一人は肝硬変で一日おきに医者通い、二人とも先がないといいながら屈託もない。
気がつくと周りに7〜8人の顔馴染みらしい老人たちが話の輪を拡げている。そのうちの一人が絵を覗き込み親しげに話しかけてきた。応対しているうちにいつの間にか仲間になったような気分になっている。格好といい風貌といい違和感なく溶け込んでいたに違いない。
一時間ほどで描き上げ潮時を見て引き揚げる。先程の老人が笑顔で手を振っていた。何やら心温まる下町風景である。

人混みをかき分け隅田川河畔の水上バス乗り場へ向かう。昼飯時で近くのとんかつ屋に入ったが、とんかつの味もさることながら冷たいビールが格別に旨かった。
午後は隅田川クルーズを楽しもうという趣向である。
それにしても平日というのに浅草へ繰り出した人の多いこと・・・海外からの旅行客も沢山来ているが、やはりスカイツリー景気なのだろう。人力車やパンダバスが通る街の至る所から顔を出すスカイツリーの磁力はたいしたものだ。
午後1時発の乗船券を買う。定員500名程の大きな遊覧船に乗客は100名程か、予定通り出航し日の出桟橋へ向かった。 白雲が浮かぶ夏空の下、隅田川に架かる様々な形をした13の橋を次々とくぐっていく。見上げる東京の空は意外に美しい。川辺に林立する高層ビルとが織りなす無機質な景観は首都東京を象徴する新しい顔である。 ここでも主役はスカイツリーであった。

川風に吹かれながら約40分のクルーズを楽しみ日の出桟橋で陸に上がる。
まだ時間はたっぷりありレイルバス「ゆりかごめ」に乗ってお台場海浜公園へ足を伸ばしてみることにした。レインボー・ブリッジでお台場へ渡り海浜公園に出たが、ただ砂浜と松林が続くだけで何の変哲もない。砂浜に寝そべって肌を焼く若者の姿がちらほら、散歩道に沿って歩いてみたがジリジリ照りつける太陽にスタミナを消耗しただけであった。
程々にして駅に戻り新橋へ、JRに乗り換え東京駅に帰った。
これで本日も予定の行動は全て実行、残暑厳しい中でよく頑張ったものと我ながら褒めてあげたい気分だ。
買い物をしたり、コーヒーを飲んだりして時を過ごし5時33分発の「ひかり523号」で帰途に就いた。
最後の旅の味はデパ地下で買い込んだ「牛タン弁当」に生ビール、例によってギッシリ書き込まれたメモ帖を開きながら夕暮れ迫る東京を後にしたのである。

かくして三日間の『花のお江戸一人旅』は無事終る。フェルメールの「光」とスカイツリーでリメイクされた下町の「空」・・・・・期待に違わず心に残る旅となった。楽しみにしていた東京駅や浅草寺のスケッチも出来た。それに73才になろうとする老体にどれだけの体力・知力・気力が残っているかを試す折ともなったのだが、まだまだ全てに余力を残していると実感できる嬉しい旅でもあった。