■保存版■
保存版ー目次へ戻る
BACK TO <TOP PAGE>

79  男のスパゲッティ
平成24年4月6日



名古屋は栄の繁華街、栄三丁目(住吉町)のビルの二階にスパゲッティ専門のレストランがある。
「ヨコイのスパゲッティ」といえば名古屋ではちょっとしたブランドで錦三にも姉妹店を出している。
「名古屋名物元祖あんかけスパゲッティ」という“尊称”もあるくらいで、少々くどい位の味が名古屋好みなのであろう。
ネットでは「スパゲッティ・ハウス・ヨコイ」などと洒落た名前で紹介されているが、私は長年の愛着で「ヨコイのスパゲッティ」、略して「ヨコスパ」と呼んでいる。

栄に出た折の昼食は腹の調子が悪くない限りこの店と決めていて、いつも「スペシャル(普通)」(600円也)を注文することにしている。
油たっぷりのフライパンで炒めた太目(2.2mm)の麺に酸味の効いた秘伝のソースをかけ、その上に細かく砕いた玉子とソーセージが三切ればかり乗るという実にシンプルで分りやすい仕立で、いわばヨコスパの“原理的メニュー”と心得ている。(写真)
バイキング、ミラネーズ、サンジェルマン、ミートボール等々乗せる具により多彩なメニューが並んでいるが、程よく炒めた麺といかにも煮込んだという感じのねっとりとしたソースを純粋に味わう為には余計なものは不要と拘り続けているのだ。
(普通)というのはボリュウムのことで標準の量(1.0)である。
イチニー(1.2)、イチハン(1.5)、ダブル(2.0)という具合に設定されていて、若いころはイチハンが普通で調子がいいと山のようなダブルを競って平らげたものだ。
近頃ダブルを注文する剛の者は影を潜めているようで、たまに挑戦している人を見ると拍手を送りたい気分になる。

テーブルに置かれたタバスコと胡椒を振りかけ、麺にたっぷりとソースをからめて食べ始める。麺は硬めで歯ごたえもちょうどよくソースの味が口中一杯に広がり、引き立て役のソーセージが程よく調和して実に幸せなランチタイムとなるのだ。
いつもソースを多めにかけてもらい、少々お行儀が悪いが麺を食べ終わると皿に口をつけて残ったソースを啜りきって満ち足りたフィニッシュを迎える。
店を出ても口中に残ったソースの味はしばらくは消えず、回数を重ねるごとに五臓六腑に沈殿していく。そしてその記憶が再び足を運ばせ病み付きになり中毒症に罹ってしまうというわけだ。
店内を見渡すと来店客の殆どが男性で、それもオジサン族の占める割合が多い。この傾向は昔から変わらず酸味の効いた秘伝のソースはどうやら男性向きのようで、たまに女性の姿があっても家族連れとか男性同伴のケースが多い。
“通”の間では「男のスパゲッティ」と呼ばれ「ヨコスパ中毒」と揶揄される所以でもある。
オジサン族のなかにはビールのつまみにしたりご飯のおかずにする輩もいる。中毒現象の一つと云えなくもないが何か踏みつけにされているようで心地よい風景ではない。
このソースや麺は店頭や通販で買い求めることができ自宅で賞味も可能であるが、試した限りでは店で食べるスパゲッティとは比べ物にならない。 大きなフライパンで豪快に油で炒める麺の仕上がり具合にあるとみているが如何であろう。

ところで私の「ヨコスパ」との付き合いは長く、昭和38年(1963)のヨコイ創業時に遡る。
ちょうど私も本部(錦3丁目)勤務となった時で出会いからして運命的であった。
当時の「ヨコイ」は三つ蔵通住吉町の交差点西南角の小さなビル(塩野ビル)にあり、 狭い階段を上がるとカウンター7,8席だけの狭い店であった。カウンターで食べている人のすぐ後ろに夫々一人づつ立って待ち、中に入れない人は階段で待たされるといった具合で、お昼時はおちおち食べていられない程の繁盛ぶりを今でも鮮明に覚えている。
勿論夫婦だけで切り盛りしていたのだが、当時の秘伝のソースは現在に至るも全く変わりなく半世紀にわたって守り抜かれてきているのである。
昭和45年(1970)、現在の店の筋向い(なだやビル)に2代目の店として開店、使用人も増えて堂々とした店構えになった。2号店として錦店を開設したのもこの頃と聞く。
昼食ばかりでなく残業時の夜食にもよくでかけたが、たまにプロ野球の選手が顔を見せることがあり、大洋ホエールズの秋山や土井選手を見かけた思い出もある。
やがてこの店も手狭になり昭和50年(1975)に現在の場所(サントウビル2階)に移って、客席数50席、板場の調理人やウエイトレスなど10人前後が働く立派な店に衣替えしオープンした。(写真)
支店勤務になった時も福岡への単身赴任の時も、やはり“中毒”なのだろうと半ば呆れながら機会を見つけてはせっせと出かけたものである。なにしろ思い浮かべるだけで唾が溜まるほどだから中毒という他はない。

3年前(平成20年10月)には長年にわたり屋台骨を背負ってきた店主が他界、親父そっくりの長男が跡を継ぎ女将さんと共同で経営し今日に至っている。その女将さんが今もなお元気一杯でレジに立ち愛想よく客を迎えているのだ。
同じ名古屋ブランドでも「味噌煮込みの山本屋」や「矢場とんの味噌カツ」のように、国内はおろか海外にまで手を広げるという風潮の中で、「ヨコイのスパゲッティ」はひたすら秘伝のソースを守り無理をせず堅実経営の道を歩み続けている。そんな店の在り様が「ヨコスパ」の魅力を一層引き立てているようでもある。
リタイア後、足を運ぶ回数もめっきり減ってはいるが、名古屋へ出る折にやはり中毒患者とおぼしき友人と示し合わせて出かけたもので、その友人もリタイアしたためこの頃は一人だけで楽しむ「孤独な男のスパゲッティ」となっている。
振り返れば酸味たっぷりのこのソースの味は、仕事の合間の気分転換や友人・同僚との語らいの楽しみを増幅させてくれる“隠し味”のようなものであったが、今では来し方を懐かしく思い起こす“誘い味”といったところか。

来年、愛してやまぬ我らの「ヨコスパ」は創業50周年を迎える。

(了)