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76  『なでしこジャパン』世界の頂点に
―女子サッカーシンデレラ物語―

平成23年7月21日



午前3時半起床、洗顔もほどほどにテレビのスィッチを入れる。
5万人の大観衆で膨れ上がるフランクフルトのサッカー・スタジャムが映し出され、第6回ワールドカップ女子サッカー決勝戦、強敵米国に「なでしこジャパン」が挑戦する歴史的一戦の幕が切って落とされようとしていた。

「なでしこジャパン」はここまで予選リーグを2勝1敗勝ち点6で2位通過し決勝トーナメントに進出、初戦の相手は3連覇を狙う地元ドイツでどう見ても勝ち目は薄いと見られていたが1−0で快勝し世界を驚かせた。スエーデンと当たった準決勝は先制を許したものの3−1で逆転勝ち、あれよあれよという間に今日の決勝に進出してしまったのである。

国民の関心も勝ち進むにつれてうなぎ登りでドイツに勝ったあたりから異常に高まり最高潮に達した。
しかしさすがに世界ランク1位の米国との決勝戦は過去24回対戦し一度も勝っていないという相手で、大会直前の練習マッチでもいいところなく連敗している。どこまで善戦できるのか、あまり無様な負け方はして欲しくないというのが正直な私の思いであった。
「君が代」と「星条旗」・・・両国国歌の演奏のあといよいよキックオフ。

やはり平均身長で10cm近くも差がある米国“巨女軍団”のスピードとパワーは桁違いで次々と強烈なシュートが日本のゴールを襲う。硬さがみえる日本のパスサッカーも乱れがちで中盤でカットされてはピンチを招く。しかし必死のデフェンスと幾度となくシュートがバーをたたく幸運に恵まれ何とか持ちこたえているうちに日本にも隙を衝くカウンター攻撃が出始める。
シュート数は5−12と圧倒され劣勢は明らかだったが、兎にも角にも0−0で前半を折り返すことに成功した。
後半に入っても試合の様相は変わらず24分途中出場のモーガンが猛烈なスピードでロングパスを受けて走り込みディフェンダーを振り切って右隅にゴール、ついに均衡は破られた。勢いを得た米国がさらに追加点をと前がかりになったがそこに隙が生じた。
36分永里が絶妙の縦パスを繰り出すと丸山がドリブルで切り込む。シュートは阻まれたがこぼれ球を宮間が蹴り込んで同点とした。
残り時間10分を切りそろそろ逃げ込みを図ろうかというところで米国に迷いが生じたか、思いがけぬ失点に動揺し疲れも出始めた。元気を取り戻した日本の執拗なディフェンスに手を焼き試合は延長にもつれ込む。
意外な展開に観衆も判官贔屓か“USAコール”より“日本コール”が目立ってきた。

こうなれば試合は互角、なでしこ達の動きもよくなり或いはと期待を抱ける展開となった。しかし“そうはいかないわよ”とばかり延長前半終了間際に身長181cmのエース・ストライカー、ワンバックが豪快なヘディング・シュートを決め再び米国がリードした。
延長後半に入り息詰まる攻防も一進一退、無情に時が刻まれ残りあと3分。勝利を確信し守りを固めて時間稼ぎの体制に入った米国、さすがに駄目かと諦めかけたその時最後のチャンスが訪れた。
ゴール前の混戦から左コーナーキックを得る。ゴールキーパーが接触して倒れたため試合進行が止まったわずかの時間にキッカー宮間と沢らが何やら耳打ち、これがものを云った。
ニア・サイド(ゴールライン近く)に蹴り込んだボールを、一瞬でマークを振り切って前に出た沢がピンポイントで合わせ右足で後方への難しいボレーシュート(写真)、ゴール前に詰めていたランバックに触れてコースが変わりそのままゴールネットを揺らす。まさに執念が生んだ奇跡的な同点ゴールとなった。
手中の勝利をフイにし呆然と天を仰ぐ米国の選手たち・・・結局2−2のタイスコアでPK戦により決着をつけることになるのだが、タイムアップ寸前に見落とせないプレイがあった。
米国・フォワード陣(モーガン?)の最後のラッシュを身を挺して防いだ岩清水の果敢なプレイである。ペナルティエリアすれすれの正面でこのタックルがなければおそらく決勝点に結びつく戦慄のシーンであった。レッドカードで退場したがフリーキックも外れて価値あるビッグ・プレイとなった。

そして場面は過酷なPK戦に移る。
がっくりと座り込み緊張で頬を強張らせる米国の選手に対し生き返った「なでしこジャパン」の選手たちは生気にあふれ、佐々木監督を中心に組んだ円陣には笑顔がこぼれていた。この時監督は「ここまで来たらもう充分だ、あとは楽しめ!」と笑顔で話し緊張を和らげたという。
こうなると勝敗の帰趨は明らかでGK海堀が2本を止めるなど4人蹴ったところで日本が3−1とリードし、ついに強敵アメリカを下したのである。
勝利が決まるや選手やスタッフ達が一斉に飛び出し歓喜の輪が広がった。信じられないようなこの光景に皆夢心地であったに違いなく、満員のスタジャムは大歓声に包まれた。
金色の紙吹雪が舞う中、夢にまで見た“ワールドカップ”を高々と掲げて表彰台に上る選手たち、その胸には燦然と金メダルが輝いている。
120分間の激戦を固唾を飲んで見守ってきた多くの国民はテレビの前で歓声を上げ早朝の街は湧き返っているに違いない。久しぶりに味わう興奮と高揚感であった。

最優秀選手賞(MVP)には最多得点(5点)を挙げてチームを引っ張った沢が文句なしに選ばれ、決勝戦のプレイヤー・オブ・ザ・マッチにはGK海堀が選ばれた。大会オールスターには両選手のほか大野、宮間が選出された。特に沢は今度の大会が“沢の大会”と称されるほど注目度は傑出していた。
さらに「なでしこジャパン」は全6試合を通じ警告5退場1でフェアプレイ賞も獲得し、なでしこの名に恥じない品格も備えたまさに名実ともに世界一の座に就いたわけである。
そしてどの試合でもそうしたように大震災支援への感謝の言葉を記した横断幕を掲げてピッチを一周、観客の惜しみない拍手に包まれる感動的なシーンが映し出された。

To Our Friends Around The World   Thank You For Your Support

海外のメディアもそろって驚きと称賛の声を上げ、大震災に苦しむ日本の現状に希望と勇気を与える素晴らしい贈り物と、どの国も口を極めて彼女たちの勝利を称えた。

歓喜の冷めやらぬ間の翌19日監督や選手たちはフランクフルトを発ち成田に帰国した。6月中部国際空港を出発した時はサポーターの姿はなく報道陣も僅かに5人という淋しい風景であったが、世界一の凱旋帰国には何と400人のサポーターと空港始まって以来の260人に及ぶ大報道陣が詰めかけたのである。
その足で首相官邸を訪ね報告すると“辞めろコール”の渦中にある菅首相が「私も諦めずに頑張りたい」と呟いたとか。
その翌日はテレビ各局に分刻みの引っ張りだこ、金メダルを胸にかけた監督や選手達が大写しの画面に登場した。巷では一人数百万円の報奨金や名誉市民表彰、CM出演の話など俄か仕立ての騒ぎが繰り広げられる。 まさに現代の「シンデレラ物語」である。

だがその狂騒ぶりには少し不安を感じる。
一気に駆け上がった世界一の座は十分な土壌の上に築かれたものではない。初めて日本選手権大会が開催されたのは30年前、アマチュアの女子リーグが発足して22年になるが所属選手は現在231人(うちプロ契約6人)に過ぎず全体の競技人口も3万人に満たない。女子サッカー発祥の地ドイツはもとより、プロ・リーグがあり競技人口は3百万人という米国などとは比較にならない貧弱な環境である。
日本ではまだまだサッカーは男のスポーツという感覚で関心は薄くリーグ戦の観客は1試合平均1,000人にも達していないという。名前を知られている選手は沢ぐらいのもので他は今度のW杯で初めて知る名前ばかりだ。
そんな中で素質のある選手を探し出して海外移籍など英才教育を施し代表チームの骨格を作り上げているのが現状で、主力選手の多くは欧米のプロ・リーグ経験者で占められている。
沢主将が表彰台で「サッカーの神様って本当に居るんだな」と呟いたように、掴んだ世界一の座はいくつもの神がかり的な幸運が重なった結果で必ずしも実力で勝ち取った栄冠とは云えないものと謙虚に受け止めるべきであろう。
そして驕ることなく初心に返って9月から始まるロンドン五輪のアジア予選(中国)に臨まねばならない。パスと連携プレイで相手を崩す組織のサッカーは各国の標的にされ、浮かれていると足元を掬われかねない厳しい戦いが間近に迫っているのだ。
“なでしこの顔”沢も32歳、次の世代を引っ張る中心選手の育成も急務である。国民を熱狂させたこの歴史的快挙を契機とし各層のリーグ・トーナメントの充実や選手の待遇改善を図り競技人口の拡大など基盤作りを進める糸口にして欲しいものだ。

今度のドイツ大会は時差の関係で早起きを強制されたが、観戦を重ねるごとに女子サッカーのレベルの高さに驚かされ、“物足りないのでは”との先入観は見事に霧散した。サッカーは格闘技といわれるがそのスピードといいパワーといい戦術といい男子のそれに劣らぬ迫力を感じさせてくれたばかりか、女性らしい優しさや可愛らしさが随所に顔を出しすっかり魅了されてしまったのである。
因みに「なでしこジャパン」命名の由来は2004年アテネ五輪に出場する代表チームの認知度を高めようと公募、2700件の中から選ばれたもので日本女性の心の強さと直向きさがチームに宿るようにと名付けられたとある。

(参考)「なでしこジャパン」今大会の成績

月 日対戦相手スコア得点者
グループ・リーグ(B)6/27ニュージーランド○2−1永里、宮間
7/1メキシコ○4−0沢3、大野
7/5イングランド●0−2
※勝ち点6、グループ2位で準々決勝進出
準々決勝7/9ドイツ○1−0丸山
準決勝7/13スウェーデン○3−1川澄2、沢
決 勝7/17米国○2−2 PK3−1宮間、沢


(了)