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75 水芭蕉の尾瀬
平成23年6月12〜14日



(6月12日) “前奏曲”は谷川岳眺望

友人夫妻を案内しての尾瀬トレッキングの旅出発の朝である。
5時に起き出してパソコンを覗き込む。
このところ毎朝の日課で「お気に入り」には現地(群馬県片品村)のピンポイント天気予報がセットされている。今朝の予報では明日のトレッキング本番も含めて日中は晴れマークが並んでいた。この梅雨時にまたとない吉報でまさに天佑というべきか。
浮き立つ気分を押さえながら最後の準備確認を終え出発時刻を待つ。
もともとこの企画は昨年の暮れ友人と酒を酌み交わしながらの“尾瀬礼賛”から始まった。
「目を患っている妻にせめてもの孝行を」との友人の気持ちにほだされひと肌脱いだというわけだが、自分にとっても平成17年8月と昨年7月に続く3回目で“未踏”の「水芭蕉の尾瀬」に照準を合わせるという狙いがある。
ただ梅雨のまっただ中だけに覚悟はしているものの空模様だけが心配の種であった。

晴れ間が覗き明るくなった空を見上げ幸運に感謝しながら午前7時合流場所の日本ライン花木センターに向かう。夫妻は既に到着していて、さっそく友人の車に移乗し約束通りハンドルを握る。乗りかかった船・・・で旅のガイドから運転、会計まで引き受けまるで添乗員であるが、日ごろお世話になっている友人のため張り切らざるを得ない。幸いうるさい相棒は今回は愛犬とともにお留守番という訳で至って身軽である。
さて今日は日曜日、この19日で廃止となる休日千円の恩恵にあずかる。多治見インターから中央、長野、上越、関越と高速道路を乗り継いで水上インターまでの約420キロを一気に走り抜き、正午前にはもうJR上越線水上温泉駅の駐車場に到着していた。
お天気次第の行きがけオプションとして谷川岳眺望を楽しむことにしていたものである。
昨年無念の雨の中に降りたった見覚えのある駅前風景は明るい夏の陽光に包まれていた。
駅前の蕎麦屋でこの地方名物の「舞茸そば」に舌鼓を打ち店を出るとまた一つ幸運に恵まれる。夏の本番に備え試験運行中のSLが駅の構内に入ってくるというハプニングに大喜び、プラットホームには大勢の客がカメラを向けるなど時ならぬ騒ぎであった。
山道を登って土合の谷川岳ロープウェイ駅へ。
登るにつれて雲の量が増しているようだったが、雨の心配は全くなくロープウェイ駅は日曜日らしくそれなりの賑わいを見せていた。
標高1310mの天神平からさらにリフトに乗って天神尾根の峠(標高1500m)に向かう。さすがに半袖のシャツでは肌寒さを感じたが、手前の天神尾根から谷川岳(標高1980m)さらには朝日岳を望む眺望は素晴らしく、頂上から沢にかけての雪渓も鮮やかで縦走を試みる登山者の姿も見える。
花の季節はまだ先のようで足元にはわずかに赤紫色の三つ葉つつじが咲いていた。
昨年雨雲とガスで視界ゼロの“恨みの昼食”を摂った「ビューテラスてんじん」で遥かな山々を眺めながら熱いコーヒーを飲む。今回は格別の味と香りであった。

素敵な“前奏曲”を楽しんだあと再び水上インターから関越高速道に乗り沼田へ戻って沼田街道を老神温泉へ向かう。
そして午後4時女将の待つ白壁の宿「牧水苑」に到着した。玄関脇の大きなヤマボウシの木が雪のような満開の花をつけシンボルの白壁と競い合っているようであった。今日は他に二組の夫婦連れの客があるのみで瀟洒な露天風呂の温泉も独り占めの贅沢を味わうことができる。
6時から「山茶花の間」で夕食、陽気な友人夫妻に惹き込まれながら互いの過ごしてきた人生を振り返るなど酒も進んで楽しい宴となった。明日への期待も重なってつい時を忘れ中居さんに促されてお開きとなる。

(6月13日) 水芭蕉の尾瀬トレッキング

屋根をたたく雨の音で目が覚める。この地方の予報は晴れと出ていたのでまさかと思ったが明るくなるにつれ雨も上がり少しずつ晴れ間が覗き始める。やはり願ってもない好天のようである。
朝食をしっかり腹に収め念入りに支度を整えて午前8時勇躍尾瀬に向かって出発した。
持ってきた雨具は不要、登山靴も履かず軽いスポーツシューズという出で立ち、リュックにはスケッチ用具を詰め込んだが気持ちと同じように軽い。途中で宿が手配してくれた「舞茸弁当」を受け取り、戸倉でマイカー規制のために乗合タクシー(10人乗りワゴン車)に乗り換えて9時半予定通り鳩待峠に到着した。
広場には尾瀬ヶ原を目指す沢山のトレッカー達が集まり次々と山道を降りていく。
さっそく私たち3人も元気よく尾瀬ヶ原に向かった。
標高1500mの峠の空は雲に覆われていてさすがにひんやりしていた。山の天気は不安定でウィンドブレーカーぐらいは持ってきた方がよかったかとちょっと後悔したが、そのうちに晴れるだろうと気合を入れる。
昨夜来の雨で足元が滑りやすく友人夫妻のペースに合わせてゆっくりと慎重に降りて行った。途中で夫人が滑って尻餅をつき手首を少し痛めたようだが約1時間で山ノ鼻に到着した。
6月の尾瀬は新緑の季節で白樺の幹が引き立ち、梢をわたる鳥のさえずりも活発で楽しげである。雲間の青空を背景に雪渓も鮮やかな至仏山が思いがけぬ間近に顔を出していた。
ビジターセンター前の広場は思い思いの登山着姿のトレッカーや野外学習の学童たちで賑わい、待ちかねた尾瀬のシーズン到来を喜ぶ華やいだ空気に満ちていた。

小憩を取り10時50分尾瀬ヶ原を歩き始める。するといきなり湿原一面の水芭蕉が眼前に拡がった。周囲の森の新緑に縁どられ柔らかい陽光を弾いて一段と輝いて見えている。
これが“水芭蕉の尾瀬”かと思わず立ち止まり嘆声をあげた。乗合タクシーの運転手の話では少しピークは過ぎているとのことであったが、競うように純白で可憐な花弁は濃緑色の葉に包まれて十二分に瑞々しく、この先どんな景観が楽しめるのかと期待が膨らむ。
点在する池塘を巡る木道にはトレッカーの列が続く。
雪解け間もない湿原は水枯れの草が目立ち水芭蕉以外の花は少ない。しかし足元をよく見るとミツバオーレンなどの小さな花が背伸びをして咲いている。黄色い五弁のリュウキンカがところどころで彩りを添えていた。
正面に聳えている筈の尾瀬のシンボル燧ケ岳は残念ながら雲に遮られてその雄姿を見ることは叶わなかった。
50分程歩いて牛首分岐に着く。
思ったより早いペースで友人夫妻の様子も元気そのもの、この分では大丈夫とさらに1km先の「中田代下ノ大堀」まで足を伸ばすことにした。至仏山を背景に下ノ大堀川の水辺に浮かぶ水芭蕉の群落は尾瀬の代表的なビューポイントでガイドブックやポスターなどによく使われている景観だ。ここまで来て見逃す手はないと弾む気持ちを抑えながら正午少し前目的地に到着した。
青空のもとに・・・・・という訳にはいかなかったものの、確かに評判通りの素晴らしい景観であった。
水辺は梅雨空を移して鈍く波紋を漂わせわずかに至仏山の雪渓を映していたが、純白と濃緑の水芭蕉の群生は却って鮮やかであった。
メインの木道から少し外れた行き止まりの場所で意外にもトレッカーの多くは通り過ぎて行く。これ幸いと人影が少ないことをいいことにベンチに腰をおろしお昼の弁当を広げることにした。
舞茸弁当の味もさることながら何という贅沢であろうか。
さすがにスケッチする余裕はなかったが、この印象は絶対に描きとめておきたいものと写真を撮りまくり感動を網膜に焼き付けたものである。
やはり尾瀬には水芭蕉が一番よく似合うと今更ながら感じ入った。
余談ながら今度の原発事故で青息吐息の東京電力が尾瀬ヶ原の所有地や管理保全を担当している子会社(尾瀬林業)を手放すのでは危惧されている。この誇るべき自然遺産を台無しにするようなことがあってはならないし永遠に保全していくのは国と国民の責任と改めて痛感した。

充分に堪能しここらが引返す潮時と腰を上げる。約1時間で山ノ鼻に到着したのだが、途中で夫人が木道の段差に足を取られ前のめりに転倒するアクシデントに見舞われる。額と左肩をしたたかに打ったが幸い大事に至らず頑張り通してくれた。迷惑をかけてはならないとのいじらしさと労わりながら歩く夫妻の姿についホロリとさせられる。 時計は1時20分を回っていた。
ビジターセンターで花豆ソフトクリームを食べるなど休憩を取る。
私は折角だから近くの風景をスケッチしようと一旦夫妻と別れることにした。
あとは鳩待峠への一本道で迷うことはなく疲れを癒しゆっくりと時間をかけて登ってもらえば心配はない。私は4時までには鳩待峠に戻ると約束した。
トレッカーで賑わうビジターセンター界隈のスケッチに小一時間ばかり熱中しザッと仕上げたところで切り上げる。
先行する夫妻も気になり早めに山ノ鼻を出発した。
時に2時40分、待たせては申し訳ないと足早に登り始める。まだ十分にスタミナは残っておりここは限界に挑戦してみようと年甲斐もなく色気を出して歩を早める。乾いた木道は滑る心配はなく軽いスポーツシューズがものを云って次々と先行するトレッカーたちを追い抜いていった。
標高差200mの全長3.3km、普通の足で1時間はかかる坂道を実に42分間で一気に登り詰める健脚ぶりを発揮したのである。我ながらびっくりする程で峠まであと100mぐらいのところでとうとう夫妻に追いついてしまった。夫妻は2時に出発したというから約80分を要したが昨年7月の尾瀬行では90分かかったことを思えば大健闘である。ついに全行程13kmを歩き切ってくれた訳で大きな自信を得たに違いない。特にこの日に備えて不自由な目を抱えながら毎日の散歩を欠かさなかったという夫人の努力と、転倒で左肩が上がらなくなったり額にコブを作ったにも拘らず絶やさなかった彼女の屈託のない笑顔に拍手を送りたい気分であった。

再び乗合タクシーで戸倉に戻り連泊の牧水苑に向かう。
時間に余裕があり途中で天下の名勝「吹割の滝」を見物した。昨夜の雨で水嵩が増した滝は豪快に流れ落ち、傾く陽射しに映える岩肌との対照に目を奪われる。
宿に着くと数台の高級車が停まっていた。どこかの運送会社の10人程の団体客が入っているという。お目当ての露天風呂は独占されていていたが、ゆっくりと湯船に浸かりトレッキングの疲れを癒す。夕食は昨夜と同じ「山茶花の間」でスタミナ回復のメイン・ディッシュは牛しゃぶであった。天候に恵まれた尾瀬の一日を振り返りながらの食卓であったが、疲れのせいか酔いの回りが早く7時半頃にはもう出来上がりお開きとなる。
ロビーに出るとたまたま居合わせた宿の主人から“牧水談義”を聴くことになった。ショウケースに残されている様々な所縁の資料や文献を取り出しながらの解説に三人は耳を傾ける。
歌人若山牧水の群馬との縁は早稲田大学の同級生や弟子たちにこの地方の在住者が多いことから温泉地にやってきては酒を酌み交わしていたという。酒のせいか43歳の若さでこの世を去っているが、この宿にも酔いどれ気分で書いた短冊が3枚残っている。初めてやって来た牧水を温泉に案内した宿の当主が今の女将桑原珠さんの曽祖父桑原磯吉さんであったという話も紀行文「牧水上州の旅」に出ている。
湧き出る泉のごとき話好きの主人が弾んだ拍子に地酒の小瓶を持ってきてくれた。
隣の川場村が誇る四年連続日本一の米「雪武尊(ゆきほたか)」を使った銘酒「たまゆら」である。旨そうな名前だがその由来はショウケースの真ん中に飾られた牧水自筆の短歌にあった。

「一心にことをなさむと思いたつ そのたまゆらは楽しきものを」

広辞苑によれば「たまゆら」とは、ほんの暫くの間、一瞬、かすかな の意とある。
丁重に礼を述べて部屋へ引き揚げたが無論貰った酒はさっそく友人と茶碗酒、主人の云う通りかなりの辛口であった。
明日はその川場村に寄って帰ることにしたが、これも心温まる旅の余禄というところか。
「尾瀬万歳!牧水苑万歳!」である。
床に就くと団体客の宴のざわめきがかすかに聞こえていた。

(6月14日) 帰路は“真田回廊”

朝6時、身支度を整えて夫妻とともに近くで開かれている朝市に出かけた。
広場には10軒程が土地の農産物や自家製造の食品を並べていたが客の方は数えるほど、聞けば大震災の影響で温泉客は例年の半分ぐらいに減っているという。佃煮やら野菜、餅などが並んでおり旨そうなものを試食しおばさんたちのおしゃべりを聞きながら5、6品買う。夫妻も大分買い込んでいる様子だ。
今朝も雨音が聞こえていたがもうすっかりあがって青空が覗いている。
ゆっくり朝食をとり清算を済ませたり土産物を買ったりして9時過ぎに女将や主人に見送られ牧水苑を後にした。今回もまた充分に旅情を膨らませてくれた「白壁の宿」に感謝しながら帰途に就く。
主人が出がけに書いてくれた地図を頼りに川場村の道の駅に寄り沼田に出てそのままロマンチック街道と称している国道145号線を西に向かった。戦国大名真田一族の居城沼田城と上田城を結び騎馬武者や援軍が往来した約90kmの道のりだが私は勝手に“真田回廊”と名付け沿道の山野に当時を偲ぶ。
途中回廊を守った岩櫃城址の案内板も目についた。
中之条から長野原の境目あたりで一昨年の政権交代以来騒ぎの的になった八ッ場ダムの工事現場を通過する。ダンプカーも動いていてどうやら細々と工事は続いているようであるが、見上げるような高所に道路があったり橋脚が林立する異様な光景に停滞から衰退への道を辿る日本の苦悩を見る思いだ。
群馬大津を過ぎて144号線に入り鳥居峠を越える。
真田太平記などに名高い峠であるが歴史を物語るモニュメントらしきものは一切見当たらず廃業の店跡が残るだけであった。

上田市街で昼食を摂りあとは高速道路で一路名古屋方面に走ることになる。
天候に恵まれたこの三日間、予定の行程を実現できて夫妻の負託には何とか応えられたのではないかと胸をなでおろす。何よりも夫人に少々の怪我はあったものの大事なくまずは無事に帰着できたことに感謝したい。
71歳の私も往復1,000kmに及ぶ運転をこなす体力にまだまだいけると自信を深めた次第である。
夜になって友人から無事帰宅の旨連絡が入った。

※ 尾瀬の写真を「PHOTO−STUDIO」に掲載しています。ご笑覧ください。
 

(了)