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72 上高地・明神池
平成22年9月27〜28日
心配していた空模様は台風のお蔭で雨雲も東の方に去り思いがけず好天に恵まれた。
9月27日、今日は高校の同窓会「燦々トンボ遊々会」の日である。
場所が上高地とくれば私の“絵描き魂”が疼かぬ筈がない。幹事の了解を得て皆より早く行動しスケッチをものにしようと早朝6時過ぎに出発、単独行動で上高地に向かった。
国道を快調に走って9時半にはもう平湯温泉に到着、車を駐車場に預けて上高地行きのバスに乗る。
昔はバス一台がようやく通れるほどの難所であった釡トンネルは片側一車線づつのきれいなトンネルに生まれ変わっていた。トンネルを出ると山道は昔のままでバスには窮屈な相変わらずの難路であったが、約20分ほどで上高地ターミナルに到着した。
河童橋を渡る。
さすがに上高地で夏休みが終わり秋の紅葉にはまだ間があるというのに橋の上は観光客で一杯、さかんに写真を撮っていた。青空と白い雲の割合は4:6から3:7といったところか、河童橋から見える筈の穂高連峰の頭頂部は残念ながら雲に隠れていた。(写真)
河童橋近くの今宵の宿で背負ってきたリュックの荷物を半分ぐらいに減らし、売店でホットドッッグを買い込み11時頃勇躍明神池に向かった。
上高地は今までに何度も訪れているが明神池まで足を延ばしたことがない。そこで今回はスケッチ道具を背負って何が何でもと意気込んでいたのである。
梓川右岸道(川上に向かって左側)を遡上する。
見え隠れする梓川の流れの音が清々しい。大小30以上あるとされる支流に渡された木道橋を歩く時、ハッとするような上高地独特の美しい景色に遭遇する。
全体的にはなだらかな登り道(標高差30m)で行き交う人と交わす挨拶も気持ちがいい。重そうなリュックを背負った本格的な装備の人もあれば子供連れの夫婦、中年グループ・・・と様々である。3.5Kmを約一時間で歩いて明神池に到着した。
公衆トイレを探すと入り口には維持費に充てるためのチップ箱が架けられていた。
100円玉を入れて用を済ませ池の方へ足を運ぶと、今度は拝観料300円・・・・・有料とは知らなかったが、池の辺には由緒正しい穂高神社奥宮が鎮座しているのである。
渡されたチケットには「神降地 明神池」と記されていた。
“関所”を過ぎるとすぐ一之池に出る。
間近に聳える明神岳(標高2,931m)の豊かな湧水を水源とする池は鏡のように静まり深い森を映していた。所々に小さな浮島が水面に影を落とし絶妙のアクセントになっている。さすがに神域と呼ばれるに相応しく神秘的で威厳に満ちた佇まいである。
一之池から二之池へ、苔むして濡れた石が足元を悩ませ次第に人の姿もまばらになっていった。「80m先行き止まり」の立札があったが、行けるところまで行ってみようとさらに歩を進める。
二之池も尽きて池の水が流れ出る辺りに来ると壊れた木橋が放置されたままになっていてこれ以上の進入を拒んでいた。付近には人影もなく「熊が出る」との注意看板がおどろおどろしく急に心細くなる。
黒々とした水が川下に向かって白波を立てて流れ落ちる様にしばらく見入っていたが、意を決してその景観を描きとめることにした。
何か恐れ多い気がしなくもないが、怖いもの知らずの“絵描き魂”が奮い立たせる。
いわば「ハイリスク・ハイリターン」の精神である。
ところによっては弱い陽光が漏れることもあるが、用意した敷物に座る水辺は冷え冷えとしている。時折遠くで人の話し声がしてホッとしたりしたが、さすがにここまでやってくる人は殆どいない。
ところがしばらくするとヒョッコリと珍客が現れた。ヨチヨチ歩きの鴨である。
まったく恐れを知らぬ気にすぐ手の届くところまでやってきてスケッチブックを覗き込む。首をかしげるような仕草が可愛らしく私の周りをウロウロしていたがやがて悠然と水面に帰って行った。嬉しい来客であったが一瞬こんな調子で熊公が現れたらどうしょうかと思ったりしたものである。
約一時間半ほどで描き上げたが、さすがに標高1500mの冷気は身に滲みるものがあり指先も凍えるような感じになった。そそくさと道具を片付けて戻ることにしたが、強張った体に滑る足元は危険極まりない。慎重に足を運んで無事一之池に戻る。
一仕事終えた充足感に浸りながら静かな水面に目をやると、近くに一人腰を下ろしうっとりと池を眺めている若い女性の姿があった。
声をかけようかと思った時どこからかやって来た鴨が一羽水面をスーッと彼女の前に近づく・・・・・かすかに彼女の優しげな横顔がほころんだようであったが、鴨は何事もなかったように彼方に去って行く。出鼻をくじかれた私も静かにその場を去った。
関所を出た嘉門次小屋の辺りには売店などがあり外国人の姿も混じって賑やかであったが、私は二枚目のスケッチ場所を求めて明神橋方向へ移動した。橋の近辺には野猿の姿があちこちに見られ我が物顔に悠然と歩いている。体が全体的に小ぶりで特に子供猿の立ち居振る舞いが可愛らしい。そんな姿を写真に撮ったりしながら歩いていると明神池で見かけた女性に出会った。服装や雰囲気からあの女性に違いない。思わず「今日は」と挨拶すると確かに笑顔の会釈が返ってきた。年甲斐もなく途端に嬉しくなって通り過ぎた後姿を追った程だが、これはきっと明神さまのご利益に違いない。
帰りは梓川の反対側の左岸通りを歩くことにする。
道幅が広くこちらの方が本通りのようでコースの案内書を見ると私はどうやら逆に歩いているらしい。左岸通りは森の中を歩くといった按配で梓川を見かけることは殆どなく、サイト・ハンターにとっては極めて退屈な道である。
3Km程歩いて小梨平に到着した。午後3時、まだ時間に余裕があり川岸に出て河童橋を下流に見る景色をスケッチすることにした。色付きはじめた木の葉に秋の気配を感じながらせっせと筆を走らせる。
そして充分に楽しめた幸運に感謝しつつ宿に落ち着いた。
時に夕暮れ迫る4時30分、高山駅で合流しバスでやって来た連中は大正池で降りて散策を楽しみながら宿に向かっているとのことで程なく全員が顔をそろえた。
風呂に入り6時からいつもの賑やかな同窓の宴が始まる。
昨年以来一年ぶりであったが一人も欠けることなく今回も29名のメンバーのうち26名参加と回を追うごとに参加者も多くなる。ご苦労をかけた幹事の皆さんに感謝しつつ夜の更けるのも忘れて楽しい時を過ごした。
翌日は生憎の雨模様であったが、NPG(National park guide)の若者の案内で小梨平の動植物を観察するなどお勉強もしっかりやって昼食後上高地を後にした。晴れ間がのぞき回復の兆候が見えたので私はもう一働きと上高地に残ったものの、残念ながら降ったりやんだりで成果は上がらず帰途に就く他はなかった。
昨日で充分じゃないかと明神さまが笑っているようであった。
(了)
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