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66 ホームページ開設10周年を迎える
平成21年9月25日


平成11年9月25日、自前のホームページ『畑の中の一軒家にようこそ』の打ち上げに成功したその日からちょうど10年の歳月が流れた。その間の閲覧数は14,000件を越え現在も『Welcome to myhome』のタイトルとともに生き続けている。
記録し続けてきたパソコン奮闘記『我が闘争』ファイルを覗きながらこの10年を振り返り、特に“草創の頃”の苦労と感動を思い起こすのも一興かと筆をとってみた。

(1) パソコンのオーナーに
自前の「ホームページ」を持とうと思ったのはいつの頃であったか。
銀行を退職し八洲商事鰍ノ入社した平成5年(1993年)当時は、まだ私の手元にはワープロが侍るのみで、デスクトップ型のいかついパソコンが社内に数台という時代であった。
それでも商売柄(ラベルと関連機器販売)パソコンの習得は社内教育の重要なテーマになっていた。
営業担当を中心にパソコン教室が開かれ私も遅れまいとリース落ちのノート・パソコンを3万円で買い込んで初級コースに参加したのである。
幸いなことに銀行時代の経験からコンピューター・アレルギーは全くなかったが、当時はまだ「MS−DOS」の時代でなかなかに難解なしろものであった。
そのうちにMS−DOSに替わる「ウィンドウズ95」という画期的なOS(オペレーティング・システム=基幹ソフト)が出現して様相は一変、急速にパソコンが普及して本格的なIT時代の幕開けを迎えることになるのである。
パソコン教室でもその一端が披露されてその変貌に驚く。黒い画面に英数字が並ぶ無機質的な画面から、色鮮やかな背景や絵記号などが踊り簡単な操作で次々と画面が変わるまるで別次元のものであった。
いよいよ潮時と平成10年(1998年)11月パソコンの購入を決め、59歳の誕生日に新品のノート・パソコンとプリンターが届く。OSはすでに2世代目の「ウィンドウズ98」になっていて合計31万円の投資であった。
翌年(1999年)早々インターネットに接続しメールを開通、プロバイダは信頼度の高いOCN(NTT系)を選択する。電話回線(アナログ)による伝送速度は30kbs(毎秒30キロビット)で、当時は専用回線を引かない限り唯一の方法であった。接続15時間以内月2,300円で15時間を越えると1分9円の追加料金が加算されるという料金体系で、常に時間を気にしながらの利用である。
その後デジカメやスキャナーが欲しくなり手に入れて休日は専らパソコン・ライフを楽しむ日々がやってきた。なにしろ分からないことがあれば会社で詳しい社員に聞けばいいし教室で教えてもらえばよい。年増のビギナーにとっては誠に恵まれた環境であった。

(2) ホームページへの挑戦、打ち上げ成功
ようやくパソコンのオーナーとなりインターネットを使って不特定多数の人たちに情報を発信するという仕組みに魅力を感じ始める。いつかは私も自前のホームページを持ちたいと漠然とした憧れを感じていたが、パソコンをなぶったり書店に並ぶパソコン本を読んだりしているうちに急速に具体性を帯びてきた。

春を迎えて“一念発起”温めていた3項目の取材を開始、6月になってプロバイダ(OCN)が提供するホームページ無料サービス(10MBまで)を利用することにしてページの製作に取り掛かったのである。
 トップページ 自己紹介とページ・メニュー
@ 画廊「Web HATA」 自作絵画をジャンル別年代順に展示
A 我が「傾杯map」 お気に入りの居酒屋紹介
B 我が故郷「飛騨国府」 国府町の史跡・観光スポット紹介

作成ソフトはウィンドウズに組み込まれている「Webページ作成ツール(WORD)」や「MS Photo Editor」「ペイント」「ワードアート」などを使うことにし、指南本『だんぜん差がつくWord98』などによって少しづつ作成していく。作業は順調にいくとは限らず、画像処理でメモリー不足からフリーズしたりページの一部が突然消えてしまったりで悪戦苦闘の場面もしばしばであった。壁紙やリンク・ボタンなどはヤフーのホームページからダウンロードして利用した。お盆休みを目一杯活用して8月末に予定の16ページ77ファイル(容量1.34MB)が仕上がりページ間のリンクも貼り終える。
そしていよいよNTTグループカードのホームページから「ホームページ入会申込み手続」を行い、URLアドレス(http://www2.ocn.ne.jp/~nhata)と利用者ID,パスワードを取得した。

準備万端整った9月25日(土)早朝、いよいよ打ち上げ(アップロード)の時を迎える。
以下はその日の歓喜の日記である。

平成11年(1999年)9月25日(土)「日記こもれび」
ついにやった!!
ホームページの打ち上げに成功した。
「NTTグループカード会員のページ」からのアップロードの方法を穴のあくほど読み直し、ルールに基づきファイル名などの点検を丹念に行なって打ち上げ準備は完了していた。
午前4時起床、早朝の通話料割引時間帯を利用しての作業に取り掛かる。マニュアルに従って約55分を費やしOCNサーバへの登録作業を行なった。全く滞りなく進みこんなことでいいのかしら・・・・・と思いながら、いよいよURLアドレスを入力しての“動作確認”に入る。胸がドキドキ、うまく行きますようにと祈るような気持ちでエンターキーを押し画面に見入る。
すると苦労して作ったあのトップページが眼前に開き始めた。背景が現れるのに少し間があったが、メッセージを入れたスクロール文字も動いている。夢見心地で次々とリンクを辿って各ページを確認していく。16ページの全画面が間違いなく打ち上げられていた。
時に5時30分、「やったア!」と叫びたくなる衝動を感じたが、まだ未明でぐっとこらえたものの嬉しさがこみ上げてくる。マニュアルやデジカメ、Webページ作成ソフトなどと格闘しながらの3ヶ月、取材を入れたら半年以上に及ぶ努力の結果、本日ようやく結実したのである。
パソコンを買った時から将来は自分のホームページを持とうと秘かに決意していたが、こんなに早くオーナーになれるとはちょっと予想外である。知人への公開は年賀状で知らせる予定だがメール友達にはさっそく見てもらおうと思う。(万歳!!)

休み明けの月曜日さっそく会社のパソコンで開いたり、友人の会社へ出掛けて見てもらったりしてホームページとして一人前に公開されていることを確認し喜びを噛み締める。また画面の小さいパソコンでは文字が不規則に折り返されてしまう不具合が出ることも分かった。 軌道に乗ったところでプロバイダ(OCN)が提供しているサービスの中からアクセス・カウンターを取り込んでトップページの体裁を整える。
ところが11月になってNTTグループカードから突然ホームページ開設サービスの停止が通知されびっくり、新会社NTTコミュニケーションズ(Page ON サービス)に引き継がれアップロードのやり直しが必要となる。会社側の都合だから自動移行するぐらいのサービスがあって然るべきと腹を立てながら「Webページ発行ウィザード」により移行処理を行なった。

(3) HTML言語の習得
これまでの作成過程で文章の作成やデジカメでの撮影と画像編集、タイトルの作成など創作する楽しさを存分に味わった反面、苦労したのは(1)画像とテキスト(文章)との位置関係(2)地図の作成と貼りこみ(3)背景の色と文字色の関係、特にリンクを貼った文字列の色などで、やはりWORDベースの付属ソフトでは限界があることを知る。ベースとなっているHTML言語(Hyper Text Markup Language)の習得が課題であると痛感する。また閲覧時画像が出るのに時間がかかっている点が気になり、画像のサイズ(容量)を小さくする必要を感じた。
さっそく解説書を漁りWebページのソースと照らし合わせながらの独学を開始する。試行錯誤を繰り返すうちにページ・サイズの%表示とテーブル(表)の活用でパソコン画面のサイズに関係なく整然とした画面が得られることを知るなどその効果は顕著に現れ始めた。また色の表現も3原色(赤、緑、青)を自在にコントロールし望みの色を選択することができるようになり“手造り感覚”の興味は倍加していった。

平成12年(2000年)が明ける。
年賀状でホームページのアドレスを紹介したので、さっそく12件のアクセスがあり6通の感想メールが届いて嬉しい“お年玉”となった。出来るだけ快適にホームページが開けるように画像ファイルのサイズを縮小したり、ホームページを開くと同時に音声(鳥の鳴き声)が出るよう仕組んで楽しむ。関心を持つ友人達もいてコーヒーを飲みながらパソコン談義に花を咲かせ互いに刺激しあう機会も多くなった。
3月にはISDN回線(デジタル回線)に変更、同時に宅内を無線で飛ばすルーターを設置した。伝送速度(64kbs)は倍増したが思ったほどの実感は得られず、料金体系も相変わらずで累積使用時間を気にしながらのワークが続く。
既存の画像処理ソフトでは飽き足らず5月に専門のソフト「ペイント・ショップ・プロ(Paint Shop Pro)」を購入し写真の加工やロゴの製作に活用を始めた。ホームページの内容も故郷紹介などを中心に50ページを越え、155ファイル、容量は2.3MBに成長している。トップページは四季の移り変わりを反映させるなど着々と改良を加えていった。(写真)
9月になりメモリー不足など機能に限界を感じてパソコンを買い換えることにし、使用中のパソコンは娘に譲ることにした。ネット接続などのセットアップやデータの引越し作業を終えると、「私のPC Life現場」「日記こもれび」の新ページを創設する。「日記こもれび」は毎日書いている日記の中から気合の入っているものを加筆・編集し直して掲載するもので、第1号は12月26日付『21世紀の幕開け』で日記5ページにわたる“力作”であった。(平成21年9月現在65号)

(4) スタイル・シートでリニューアル、“増殖期”
この日記で迎えた21世紀、平成13年(2001年)になるとトップページのキャッチ・コピーを『Welcome to my home』に変更、新たに画廊「Web HATA」ページには我が敬愛する「佐伯祐三特別展示室」を新設した。好きな作品や生涯を紹介する記事、展覧会観賞記、今も残されているアトリエのルポルタージュなどを掲載する。
また毎年出状している漫画年賀状と、戴いた年賀状の中から“これはと思う傑作賀状”を掲載したページ「年賀状アラカルト」を新設したのもこの頃である。
技術的にも間隔調整用に透明画像(スペーサー)技法、画質を落さず減量する手法、ダウンロード時間短縮のための軽量画像サムネイル法、リンク・ボタンの創作など“より美しくより早く”をモットーに改良を加えていった。

そして9月頃、HTML言語にデザイン面での一層の緻密さや重複技法を加えた「スタイル・シート」(Style sheet)の習得・活用に取り組み始めることになる。
特に画期的な効果をもたらしたのは「画面上の位置の自在化」と「重複機能」で、画像やテーブルを自在にロケートし透過手法や陰影・ボカシ手法を併用して立体的で見違えるような画面に仕上げていくことが出来るようになった。文字や画像のサイズも微調整ができ見映えがよくなる。また最初に規定しておけばあとは簡単な記述で済むという言語記述様式もページ作成上の効率化をもたらしてくれた。以降2年がかりでマニュアルを読みながら各ページの全面的なリニューアルに取り組むことになる。年末時点で103ページ、367ファイル、容量は5.2MBとなっていた。(写真は同年6月時点のトップページ)

明けて平成14年(2002年)はアップロード・ソフトを「FFFTP」(Vector)に変更、引続きリニューアル作業を進める傍ら、佐伯祐三が誕生した光徳寺(大阪)や飛騨ぶり街道の現地調査を行なったり、「燦々会のページ」「掲示板」を新設したり、友人達や姉のホームページへリンクを貼ったり(「力作ページ・リンク集」)と増補・充実に努めている。(後に「掲示板」はいたずら書きが多くなり停止する。)「日記こもれび」に「保存版」を加えたのもこの頃である。10月にはスタイル・シートとペイント・ショップ・プロの機能を結集してトップページを全面更改した。

また12月に「わたしの義父は貴殿が好きな佐伯祐三の無二の親友山田新一と申します。.....」で始まる一通のEメールを受け取った。発信者は私のホームページを見たという山田新一画伯(1889-1991)の長男安里氏夫人和美さんであった。東京・中目黒でレストラン「オステリア タントタベタリーナ」を経営しておられるとのことでちょうど一年後に妻とともに訪れることになる。山田新一画伯の著書「素顔の佐伯祐三」を紹介され「山田新一展画集」のプレゼントを頂き、後に平成20年6月には三重県立美術館で開かれた没後80年記念展の内覧会とオープニング・セレモニーの招待券を頂く光栄に浴したのである。また九州の女子大生から卒論の参考にと佐伯祐三の死について感想を求められたこともあり、インターネットの威力と魅力を実感する特筆すべき出来事であった。

平成15年(2003年)には画面を分割し夫々の部分を更新できるフレーム機能を使い「腕自慢PHOT−STUDIO」を開設、カメラ好き・パソコン好きの友人に声をかけて写真の投稿をお願いするページを設けた。また「わが傾杯Map」に掲載していた「花いち」と「みわ」が相次いで閉店となり淋しくなるが、後に「縹」と「たい信」を掲載し面目を保つ。
7月にはトップページをマイナーチェンジし“世相・コメント欄”と“アップデイト情報欄”を分離・新設してほぼ現在のフォームができあがった。(下の写真)

(5) パソコン故障!存亡の危機
順調に成長発展していた筈のその年の末、我がホームページが存亡の危機に立たされることになった。デジカメを新調しそのソフトをインストール中に頼みのパソコンが異音を発し壊れてしまう。まさに晴天の霹靂!急遽3代目の新しいパソコンを購入したが肝心のバックアップ・ファイル(CD)が使い物にならない。
気を取り直し修理に出すため経緯だけでも書き留めておこうと再度MS−DOS画面のトレースを始め、その過程でディスクスキャンなどの要求に対応しているうちに「奇跡」が起きた。パソコン自身が壊れた部分(2箇所)にパッチを当てたりバイパスを作ったりして、どうやら起動できる状態に自らを復帰させてしまったのである。あとは天佑に感謝しつつ慎重にFD(フロッピー・ディスク)でデータを取り出して新パソコンに移す作業を実行して見事にピンチを脱出した。

晴れて平成16年(2004年)元旦、鳩吹山登山で初日の出を拝むことが出来たが、図らずも正月休みは新パソコンのセットアップ作業に追われることになった。この衝撃的な“事件”以降丹念にバックアップを取ることにしている。
なおこの年には銀行時代の先輩でプロを思わせるような高度なホームページを公開していてアドバイスを受けたこともある杉浦正巳氏が病没、リンク集に訃報を入れる悲しい事態を迎えている。

(6) ブロード・バンド(ADSL)へ
そして翌平成17年(2005年)2月末いよいよ退職の日を迎えた。
“サンデー毎日暮らし”となったのを機に懸案のブロードバンド(NTT フレッツADSL/47Mbps)への切替を行ない、月5,300円で使い放題の“定額・高速利用”を実現した。最寄の電話局からの距離に寄り伝送速度が低下し我家の場合は8Mbps程度になるが、従来のISDNに比べ約200倍のスピードアップとなり、さすがにネット・サーフィンもサクサクと快適である。同時に無線ルーターを更新しパソコン3台を無線でネット接続して家族3人それぞれがインターネットやE・メールを活用し楽しむ体制とした。この時点でホームページは179ページ、735ファイルとなり容量は7.66MBに達している。OCNから無料で提供されている容量は10MBで早晩限界に来ると思われ月500円を払って5MBの追加を申し込んだ。
絵画教室に通いだしたのを機会に最近作を紹介する「一枚の絵」ページを画廊「Web HATA」に新設、「飛騨の湯どころ味どころ」と題して行きつけの飛騨の宿や食事処、郷土料理などを紹介するページを新設した。「日記こもれび」も紀行文とスケッチなどリタイア後の“気侭な旅の徒然”が幅を利かせ始める。
“旅とスケッチ”は知らず知らずのうちにちょっとした私のライフ・ワークになっているようである。ホームページの容量は10.68MBと膨らんだ。(写真は現在のトップページ)
続く平成18年(2006年)、19年(2007年)は特筆すべきこともなく「日記こもれび」「腕自慢PHOTO−STUDIO」「一枚の絵」などを中心に経常的なアップデイトを続ける。

平成20年6月、愛犬“豆蔵クン”(トイプードル)が家族に加わりさっそくホームページに登場、「豆蔵日記」として愛くるしいスナップ写真とともに豆蔵クンの目から見た成長の記録を掲載し始めた。
またこの年、長らく病床にあった朋友中村喜幸君が合間に撮った写真を「腕自慢PHOTO−SUTDIO」に送ってくれていたが、薬石功なく8月末に他界し6月の紫陽花の写真が遺作となってしまう悲しみを味わう。

(7) フレッツ光で開設10周年
そして開設10周年を迎える平成21年(2009年)の8月、さらに高速で安定した究極のブロード・バンド「光回線」に変更した。NTTフレッツ光プレミアム(OCN)で無線ルーターを介しての実効速度は10〜20Mbpsでそれ程の実感はないが、光回線が世の大勢であること、料金も殆ど変わらず工事費無料の恩典がある今が替え時と判断したものである。

かくして迎えた10周年、ホームページはページ数305、総ファイル数966、OCNサーバの使用容量は13.27MBという堂々たる“体格”に成長した。 アクセス数は14、000件(月当たり120件余り)に達し、メンテナンスのためのアクセスを差し引いても毎月100件近く閲覧を頂いたことになる。
ホームページの成長とともに過してきた10年間は、仕事の重責に喘ぐ合間に気分転換の時を与えてくれ、サンデー毎日の身には張り合いを持たせてくれた歳月であった。
最近はトップページのコラムと季節の写真、一枚の絵、日記こもれび、豆蔵日記、腕自慢PHOTO−STUDIOなどのアップデイトが私の大切なルーティン・ワークになっている。多分に独りよがりの内容で恥ずかしい気もするが、見ていただけることへの感謝の気持ちを忘れず、自分の生き様を気侭に表現・発信できる楽しさを存分に味わっていきたいと思う。
画面の色構成を考えたり文章の推敲に取り組むのは実に面白く、全く見も知らない閲覧者から思いがけない反応を聞く意外性と驚きもまた格別である。
古希を過ぎいつまでホームページを保持し続けられるかわからないが、好奇の目を失わず感性を磨いて恥ずかしくないホームページを一年でも長く発信し続けたいと思っている。

(了)