(4月7日)
朝5時、起きだしてみると風もなく穏やかに晴れ上がっていた。
これならいけると手早く着替えてホテルを出る。残雪の中に赤い屋根が印象的なホテルを描き始めた。(左写真)
ところが水彩絵の具を使い出して間もなくパレット上にうっすらと氷が浮かび始める。4月といっても北国の春は半端ではない。氷点下の冷気が刻々と忍び寄る事態に抗しきれず、一応色を置いたところで引き揚げる。冷え切った両手を揉みながら部屋に戻り、そしてその足で檜葉(ひば)風呂へ飛び込んだ。
時計は7時をまわっていたが浴客の姿は一人も無い。檜の香りが匂うような広く美しい風呂を独り占めする豪華な幸運に恵まれ、冷えた体をゆっくりと温めたものである。早朝の人知れぬ“苦闘、奮闘”の末の満ち足りた気分で仲間には悪いがまさに“至福のひと時”であった。
朝食の熱燗も最高で入れ歯の欠けていることなどすっかり忘れる程心身ともにリフレッシュして最終日の行程に臨む。天候も快晴で云うことなし、8時50分ホテルを出発して程なく津軽海峡に出た。ライオンズ・ブルー(暗青色、西武ライオンズのシンボル・カラーで私が勝手に名付けている)の海原の向こうには意外な近さで白雪を頂く北海道が輝いていた。
海岸沿いには鉄道の廃線跡が枯れ草の間に見え隠れするうらぶれた風景が続く。「クマ出没注意!」の看板も目についた。
しばらく走って本州最北端の「大間崎」とまぐろの「大間漁港」に到着した。まぐろと云えば大間と答えるほど全国的なブランドになっている町である。
待ってましたとばかり“エビチャン”こと蛯子良子さんが大漁旗を手に私たちの前に現れた。
この地方で“カッチャ”と呼ばれる地元の主婦5人で始めた町興しの観光ガイドのリーダーで、笑顔が可愛い小太りの元気なおばさんである。さっそくバスに乗り込み快活な津軽弁で町内や「西吹付山展望台」を案内してくれた。360度を見渡せる展望台からは澄み切った大気に恵まれて津軽半島竜飛岬から松前半島、函館山へと続く白銀の大パノラマを楽しむ。
まぐろ(440キロ)の実物大のモニュメントの前で記念撮影をしたり、テレビに出て人気者になった漁師の家(あばら家と称していたが)の前を通り本人に挨拶させたり、とどめは大間漁協の組合長を引っ張り出してひとしきり「まぐろ釣り談義」をさせるなどエビチャンは大張り切りであった。大間町はNHKの朝ドラ「私の青空」の舞台になった町で、漁協のそばの空き地にはドラマで活躍した見覚えのある派手な衣装のトラックが置かれていた。
さりげなく水産物直販所へ案内され土産を買わされたりしたが、まぐろ漁船の近くまで連れて行ってくれ一本釣りの仕掛けや、釣り上げのタイミング、電気ショックなど臨場感溢れる話を聞く。
“カッチャ・ガイド”は現在3人になっているそうで、その3人が打ち振る大漁旗に見送られて私たちは大間町を後にした。
むつ市で昼食、名物ホタテの「みそ貝焼」を卵とじにしてご飯にまぶして食べたが、これがなかなかの味で印象に残るご馳走であった。
バスは下北半島の“鉞の柄”の部分に当たる西側を南下、途中から見え始めた八甲田の山々が白雪を輝かせ津軽のシンボルらしい威風を示している。野辺地を経て小さな夏泊半島の付け根にある浅所海岸に寄り白鳥の飛来地を見物した。殆どの白鳥が既に北へ飛び去った後で、遅れてしまったドジな白鳥が2羽淋しげに鴨や鴎の間を泳ぎまわり餌をねだって近づいてきた。
3日間の旅も終幕に近づき浅虫温泉で買物をしたりして一路青森空港に向う。
青森まで延長される東北新幹線も開業間近かのようで真新しい路線が見える。また春には珍しく澄み切った空気の中に岩木山が顔を出し、束の間の来客を見送ってくれているようであった。
午後6時青森空港に到着、楽しくガイドしてくれた山本さんともお別れで、「いい思い出ができた、有難う!」と声をかけると大きな瞳が笑っていた。
空港のレストランで「最後の晩餐」を楽しむ。今回で21回(19年間)を数える私達の旅もいつもどおりの屈託のない旅であったが、これからも変わりなく元気で楽しい旅が続けられることを祈るばかりである。
飛行機は定刻どおり無事「セントレア」に着き、今回の企画にあたった加藤さんを始め都築さん、末松さんに心から感謝しつつ家路に就いた。
(了)