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62  『侍ジャパン』原辰徳の栄光

平成21年3月26日


昨年の10月29日、第二回WBC(World Base-ball Classic)へ参戦するオールジャパンの監督が原辰徳読売ジャイアンツ監督に決まった。
北京オリンピックでの惨敗を受け誰が「火中の栗」を拾うのかと注目された監督選びで難航が予想された。一時は星野仙一氏の続投に傾いていたが、散々叩かれた星野氏が引き受ける筈もなく“男のケジメ”と固辞した。また王貞治前監督再登板案も健康上の理由で難しい。
そこでいっそ現役監督の中からと日本シリーズを闘う原読売ジャイアンツ監督か渡辺西武ライオンズ監督のどちらかということになって結局監督経験の長い原監督に白羽の矢が当たった。 折から帰国していたイチローが「監督は勝負勘が働く現役監督が適当」と囁いたとか囁かなかったとか。
当初原氏は父親からも「その任にあらず」と反対されたようで一度は断ったが、「一生に一度の人生、こんなチャンスは二度とない」と受諾を決意した。大きな賭けであったが「日本代表は誇りであり憧れ、自分の持てる力を出しきり強いチーム作る力になりたい。」と意欲満々であった。
一騎当千の個性豊かな選手を束ねる大役ではあるが、主役はあくまで選手達という姿勢を貫く。「原ジャパン」ではなく日本プロ野球組織(NPB)が提案した『侍ジャパン』と命名したのもそのためで、 長嶋ジャパン(アテネ五輪)王ジャパン(第1回WBC)星野ジャパン(北京五輪)と続くビッグネームの系譜に自分が名乗るのは甚だおこがましいと思ったからでもある。

日本シリーズが西武の逆転優勝となり渡辺新人監督に名をなさしめたが、振り返る暇もなく日本代表の組閣に入る。星野ジャパンの仲良しグループの轍を踏むまいと実務機能重視で伊東勤前西武監督を総合コーチにすえチーム・リーダー、イチローとのパイプ役を兼ねて山田久志前中日監督と与田剛氏を投手コーチに、打撃守備走塁コーチに篠塚和典、高代延博、緒方耕一の各氏を招く。全体的に見ると地味な顔ぶれである。
11月12日コーチング・スタッフを発表する記者会見で原監督は「日本の野球には武士道が入っている。『侍ジャパン』として世界一を目指す」と力強く宣言したのである。(後にこれを『日本力(ぢから)』と称することになる。写真は朝日新聞から))

年が明けて選手選考が始まり大リーガーからイチロー、城島、岩村、福留、松阪の5選手、国内各球団から40名の総勢45選手を選ぶ。星野ジャパンで懲りた中日の選手が召集を拒否、球団も選手の意向を尊重するということで結局12球団の内中日だけが参加しないというしこりを残す結果となった。そのことについて原監督は何等の発言もしていない。その後故障などを理由に辞退する選手が出て結局34名の選手が2月初旬の宮崎キャンプに集結した。
そして2月28日最終的に代表選手28名を選んだ。苦渋の作業だがここでも星野ジャパンの反省を活かし過去の経験や成績より選手個々のコンディションを重視して選ぶ。キャンプを去ることになる選手にはその理由を明確にし、あくまで『侍ジャパン』の一員であることを強調して待機するよう監督自ら説明した。こうした原監督の個々の選手に対する姿勢がチームの結束強化につながったことは云うまでもない。
そしてチームとして船出する時原監督はこう訓示した。
「一日一日、チームとして進化するつもりで戦おう。それを頭のど真ん中に置いてやっていこう」と。 さすがに一流選手の自主トレと健康管理は万全で離脱する選手もなく、巨人、西武との練習試合を重ねていよいよ3月5日東京ドームでの1次ラウンドの開幕を迎えたのである。
以下、『侍ジャパン』の戦績と試合後の原監督のコメントを拾いながらその若き指揮官の戦いぶりを追う。

【WBC特別ルール】
間近にプロ・リーグの開幕を控えるこの時期の大会なので特に投手保護の観点から球数制限の特別ルールが設けられていて、投手起用には慎重な配慮が要求される。
@ 球数制限(1試合)1次ラウンド=70球、2次ラウンド=85球、決勝トーナメント=100球
  制限を超えたらその打者が終った時点で交代しなければならない。
A 登板間隔 1試合で50球以上投げた投手は中4日、30球以上または連投した投手は中1日空けな  くてはならない。

【第1次ラウンド】A組(東京ドーム)
日本、韓国、台湾、中国の4カ国で敗者復活制のトーナメントを戦い2チームが第2次ラウンドに進む。
3月5日(1回戦)
中 国  000000000=0
日 本  00300100 =4   ダルビッシュ−涌井−山口−田中−馬原−藤川 村田@
急速に力をつけてきた中国投手陣とはいえ僅か5安打の拙攻、イチロー始め大リーガーが無安打で苦い白星発進。
原監督:多少硬さはあった。これが国際試合なのだと思う。もう少し点が入っていないといけないと思うが気の引き締まるいいスタート。投手陣特にダルビッシュは非の打ちどころのない素晴らしい投球をしてくれた。

3月7日(2回戦)
日 本  3501221=14     松坂−渡辺−杉内−岩田       村田A 城島 
韓 国  2000000=2     (7回コールド)
イチロー口火の3安打、村田2戦連発で韓国投手陣を粉砕、溜飲をさげる。
原監督:大事な試合で1打席目からイチローがいい流れを作ってくれた。相手投手のデータ分析はしたが、それぞれ自分の間合いで打てた。2試合目を重視していたので満足している。

3月9日 1、2位決定戦
韓 国  000100000=1
日 本  000000000=0   岩隈−杉内−馬原−ダルビッシュ−山口−藤川 
韓国のエース奉重根に打線空回り、あと一押し出ず完封を許す。
原監督:14点のあと0点。これが野球。相手のピッチャーがいいとそうは打てない。チームとして負けが団結力をさらに高めることでしょう。

【第2次ラウンド】1グループ(アメリカ・サンディエゴ ペトコパーク)
韓国、日本はB組から勝ち上がってきたキューバ、メキシコと第2次ラウンドを闘う。
3月15日 1回戦
日 本  003110001=6   松阪−岩隈−馬原−藤川
キュ-バ 000000000=0
松坂キューバの強力打線を翻弄、投手陣ゼロ封リレー。
原監督:昨日自分の中で対キューバのシミュレーションをしたときよりも、いい試合ができた。ジャパンらしくつないで3点を先に取れたのが大きかった。ロサンゼルス(準決勝)へ行く意味でも大きな1勝。もうひとつ勝つというのが、今の最大の目標。

3月18日 2回戦
日 本  000010000=1   ダルビッシュ−山口−渡辺−涌井−岩田−田中 
韓 国  300000010=4
宿敵に金縛り毎回走者も決定打欠乏、イチロー沈黙打線に穴、城島は「審判侮辱」で退場。
原監督:初回の3点が非常に重かった。ダルビッシュは調子そのものは良かったが、立ち上がり少し制球を乱したところにスキを与えた。攻撃陣もなかなか連打というのが出なかった。

3月19日 敗者復活2回戦
日 本  000210101=5
キュ-バ 000000000=0    岩隈−杉内 
岩隈入魂69球、青木大車輪5の4、強敵キューバを葬る。
原監督:岩隈が責任イニングを全うしてバトンを渡してくれた。それが試合の流れの中で一番良かった点。一人一人の持つ技術を相手にぶつけていこうという一念だった。今は明日のことは全く考えていない。

3月20日 1、2位決定戦
日 本  020000031=6    内海−小松−田中−山口−涌井−馬原−藤川   内川@
韓 国  100000100=2
打線活発15安打の猛攻、終盤に突き放し雪辱。村田負傷(肉離れ)で戦線離脱
原監督:準決勝に進めることが決まった後の試合で、精神的には落ち着いた状態で臨めた。尊敬できるアメリカ野球に挑戦できることで興奮している。

      
【準決勝】(ロサンジェルス ドジャー・スタジャム)
3月23日
米 国  101000020=4 
日 本  01050003 =9    松坂−杉内−田中−馬原−ダルビッシュ
松坂粘投不敗の3勝目、国内組自信の猛打で一気に逆転、決勝へ。
原監督:米国に勝ったことで日本の野球を米国がどこかで認めてくれる存在になったのかなと思う。追い越したなどとは全く思わない。韓国とは雌雄を決する世紀の一戦という形で堂々と戦いたい。
韓国とは最後は体力勝負になる。体力では相手に分があるかもしれない。ただ我々には“日本力”がある。 “日本力”とは粘り、そして気力だ。他の国にはない世界一の強さを持っている。

【決 勝】(ロサンジェルス ドジャー・スタジャム)
3月24日
準決勝でべネズエラを10−2と撃破した韓国と今大会5度目の決戦を戦う。
日 本  0010001102=5   岩隈−杉内−ダルビッシュ 
韓 国  0000100110=3   (延長10回)
岩隈重圧を超え力投、手に汗握る大接戦も延長10回イチローの決勝打で決着。『侍ジャパン』連覇の偉業達成(写真は中日新聞から)
原監督:すごい侍が集まって、世界の強豪に勝てたことに価値がある。一日一日チームがまとまって団結しあって進化した。重圧につぶされそうになった時もあったが、それをはねのけて喜べるのは、野球界にも、日本の国にとっても良かった。

『侍ジャパン』のWBC連覇に沸きかえった日本列島、まだ覚めやらぬ熱気の中、原監督以下総勢36名の軍団が凱旋帰国した。経済効果は500億円を越すとか越さぬとか暗いニュースばかりの日本に一陣の春風をもたらしてくれたことに感謝したい。
この大きな仕事をやってのけた第一の功労者は何といっても原辰徳監督であろう。
海千山千の猛者たちの心を一つにして連覇という大目標に向わせる将領の資質とは一体何か。
まずはイチローが指摘するように現場での感性が選手と共有できる現役監督であること。対戦する相手の力量と自軍選手のコンディションを的確に把握し柔軟に対応できる感覚はやはり現役の監督に勝るものはなく原監督の采配は概ね納得性があり十分に期待に応えるものであった。
当初3番に予定していたイチローを不調と見るや本番前に居心地のいい筈の1番に戻し好調な青木を3番に据え「不動の基軸」にした。4番打者を固定せず相手投手や状況に応じて村田(4試合)、城島(2試合)、稲葉(3試合)、を使い分け、クローザーも馬原、藤川がいま一つと見ると先発3本柱のダルビッシュを指名し準決勝、決勝を託す。中継ぎでは杉内が好調と見るや毎試合スタンバイさせ機を見て投入し悉く成功している。その場に臨んでチームが勝つための最善策を選んだ結果である。

作戦面でもヒットエンドランなどここぞという時の積極果敢な作戦が試合を重ねるごとに的中度を上げ幾度となくチャンスを膨らませ得点に結び付けていた。選手の心理状態にも心を砕いた采配が実を結んでいったのである。
短期決戦では相手情報の多寡が勝敗を決すると言われるが、情報を詰め込み過ぎて動けなくなってしまった北京の反省を踏まえ、情報は程々に現場で戦う選手の感性を重視する姿勢を貫く。データ野球の権化で毒舌のあの野村楽天監督でさえ文句なしに賞賛する采配であった。
また「審判を味方につけること」も重要な戦術とし、審判員には紳士的に接するよう徹底し自らも率先実行した。韓国第三戦で判定に不服の態度をとったとして退場を命じられた城島に試合後厳しく注意したと伝えられている。
時には非情に徹する監督の姿もあった。2次ラウンド最終の韓国戦で足を痛めた村田選手に帰国を命じ代わりに広島カープの栗原選手を急遽招集した。仮に試合には出られなくても皆とベンチに居させてやりたいと思うのが人情だが、激戦が予想される決勝トーナメントを控えて一人でも多くの働ける選手を確保したいとの一心で非情の決断をしたのである。

原監督は50才になったばかりで選手との距離も近く親父というより兄貴分といった雰囲気がある。明るい性格で試合後のコメントに見るように常に前向きで、選手個々の活躍ぶりに褒めることはあっても誹謗することは決してしない。
あくまで主役は選手達で監督は如何に選手達が気持ちよくプレイ出来るかを考え実行することと明言する。闘い終わった記者会見で大活躍の青木選手がいみじくも「監督の心遣いで気持ちよく闘えた。」と述べている。「使う選手は超一流選手ばかりでサインなど不要なほど今何をやるべきかよく分かっている。信頼して起用した以上とことん信頼してやる。」というのが信条で失敗しても嫌な顔を見せない。
この辺り常に監督が前に出て敗北した星野ジャパンとは好対照と云えるかもしれない。最近の若者気質の選手が持てる力を最大限に発揮するためにどちらが適しているかは論を待たない。イチローが「このチームにはチーム・リーダーは要らない。」というほどで、若い選手も含めて選手たちの日本代表という自覚と覚悟が日一日と強くなっていったのであろう。 召集時茶髪金髪の選手もいたようだが日の丸のユニホームを与えられて自然に髪が黒くなったと原監督が述懐していた。
あれだけの選手を揃えて戦えば勝つのも容易と考える向きもあるが、プライドの高い選手達を一つの方向に結集させ連覇という重圧の中でその実力を存分に引き出すことは大変難しい仕事である。ましてや先輩監督のようなカリスマの威力を帯びていないとなれば自身にかかる重圧ははかり知れない。原監督は己の力量を冷静に見極め「選手が主役、選手の力を信じること」に徹してその困難な仕事に取り組み、彼の野球生命を賭けたとも云える戦いに見事な勝利を収めたのである。

優勝後の祝賀会で監督がシャンパン片手に「ホントにお前サン達、強い侍になった。おめでとう!」と叫んだ時、居並ぶ選手達の本当に嬉しそうな瞳が眩しかった。スポーツの素晴らしさを実感する瞬間なんだろうと羨ましく思った。

日の丸のもとに結集し激戦を闘った侍たちは帰国後休む間もなく夫々の球団に戻って1週間後に迫るペナントレースの開幕に備える。原監督は成田での記者会見で「正々堂々、世界の強者(つわもの)を相手に戦って勝った。覚悟と潔さをもって、気力と粘りの『日本力(ぢから)』を見せつけてくれた。」と選手をたたえた。
選手達には貴重な経験と世界チャンピオンの名誉を胸にさらなる飛躍を遂げて欲しいものであり、原監督も巨人の監督に戻って指揮を執るが、WBC連覇の偉業を成し遂げて押しも押されもせぬ大監督への道を歩み始めたと云っても過言ではない。 (写真(中日スポーツ)は帰国後の記者会見に村田選手を呼び金メダルを首にかけてやる原監督。村田選手の復帰はゴールデン・ウィークの頃になるとみられる。)

(参考)
WBC(vol.2)“侍ジャパン”の成績
@ 全9試合 7勝2敗 (内韓国戦3勝2敗)
A 打撃成績 打数308 安打92 打率 .299 本塁打 4 盗塁 11
B 投手成績 投球回数79 被安打50 自責点15 防御率 1.71 被本塁打4 奪三振75

(了)