■保存版■
保存版ー目次へ戻る
BACK TO <TOP PAGE>

52  八重山・離島の旅

平成20年3月5日〜8日


3月5日(水)
暫く夫婦での“たび”の二文字から遠ざかっていた。
暖冬の予報が外れ厳しい寒さに震えていた2月の初旬、目ざとく見つけた新聞の広告“格安八重山離島の旅3泊4日”に食指が動く。
まず石垣島に泊まり小浜島で連泊する旅程だが、行き帰りの2日は殆ど移動に割かれる。“格安ツアー(一人4万円)ならでは”だが宿と往復(飛行機)が決まっているだけであとは自由というのが魅力。
・・・・・と言うわけで今回はあっさり決まった春の“フルムーン・トリップ”である。(左のスケッチは小浜島にて)

幸い天候に恵まれた。
スッキリした青空が最南端の島々を覆うという現地の予報である。張り切って出発といきたいところだったがジム通いで少々油断をしたのか風邪をひいてしまったらしい。我ながら情けない話だが風邪薬やら栄養剤をしこたま買い込み、とにかく出発すれば何とかなるだろうと中部国際空港行きの電車に乗り込んだ。
午後2時45分の出発便で那覇空港乗り継ぎ石垣空港着が8時近くになるという今日は移動だけの日程。旅なれた相棒の知恵で追加料金一人1,000円のスーパー・シート(“クラスJシート”と称しJAL国内特定路線のみ)を確保した。那覇空港まで約2時間のフライトだが“俄か病”の我が身には大助かりである。ジャンボ機の一階先端部分にある30席ほどの当該シートは満席であった。
那覇空港で夕食を摂りJTA(日本トランスオーシャン航空)の中型機に乗り換えて石垣島へ向う。さらなる距離は450Kmとおよそ東京大阪間に匹敵する約50分の飛行である。
那覇空港を離陸した時水平線上に帯状に浮かんだ赤・青の二色に染まる夕焼けが何とも幻想的であった。

午後8時石垣空港に着陸。
石垣空港は滑走路が短く着陸後直ちに逆噴射が必要でベテランパイロットが当てられていると後で聞いたが、確かにランディング直後体が前のめりになるほどの急ブレーキであった。
宿は「チサンリゾート石垣」、昭和47年沖縄返還時に車両の通行区分が右から左に変わった7月30日を記念して名付けられたという“730交差点”に面していた。

(3月6日)
朝6時半を過ぎても石垣の街はまだ暗く眠ったまま、早朝スケッチなど到底無理と断念、7時を過ぎてようやく空が赤味を帯び始めた。予報どおりの好天である。
今日は9時半出発の石垣島一周バス・ツアーを楽しむ予定で、出発前に石垣港離島ターミナル界隈を散策した。
この港は海上交通の要衝となっていて八重山諸島への定期船は全てこの港を発着点にしている。離島を目指して次々と船が出るが、本格的な観光シーズンを迎えてどの船も観光客で満員であった。特に春休みを利用して訪れている若者達の楽しげな嬌声が聞こえてくる。プロ野球ロッテ・マリーンズのキャンプ地だったのでその名残の幟があちらこちらに目立っていた。

観光バスに乗り合わせた観光客は14,5人、ガイドは男性でなかなか歯切れが良く時折三線(さんしん)を弾きながら石垣に伝わる民謡を歌って聞かせてくれる。ガイドの話では昨日までは天候も悪くおまけに黄砂が飛んできて視界不良だったとか、どうやら私達は相当についているらしい。
走りすぎる窓外の景色や名所の解説を聞きながら途中「唐人墓」やサトーキビ工場を見物、程なく石垣随一の名勝川平湾(かびらわん)に到着した。船底がガラス張りのグラスボートで珊瑚や熱帯魚を観察したが、海水の透明度が高く海の色はまさにエメラルドグリーン、白く輝く珊瑚の砂浜とのコントラストが実に美しく風邪などすっかり忘れてしまう程・・・・・。(写真)

植物の彩りはもう初夏のもので赤や紫のハイビスカスが咲き乱れ寒緋桜やサキシマツツジも季節を迎えている。湾の一角では黒真珠の養殖も行なわれていた。

昼食はバス会社が経営している「ポーザーおばさんの食卓」とやらで石垣牛のハンバーグと地ビール「石垣島マリンビール」を楽しむ。沖縄では当然のように並ぶ天敵ゴーヤ料理にはいささか閉口した。
満腹のあとは米原(よねはら)の高さ10メートルを越すヤエヤマヤシの群落を見物した。付近では幹に直接実が付くギランイヌビワやディエゴ、アコギなどの珍しい亜熱帯植物に見飽きることがない。
バスは暫く北上し玉取崎展望台へ。“ハイビスカスの丘”との別称があるくらい、丘一面に赤いハイビスカスの花が溢れていた。眼下には珊瑚環礁の白波を境にブルーとエメラルドグリーンに塗り分けられた海が拡がる鮮やかな彩りを見せている。

約4時間半のバスツアーを終え午後3時発の八重山フェリーで小浜(こはま)島に向った。NHKの朝ドラ「ちゅらさん」で一躍有名になった小浜島は想像通りの小さな島で八重山諸島の内懐に静かに浮かんでいる。
余談だが“こはま”と呼ぶため福井・小浜市や雲仙市小浜温泉のようなアメリカの大統領候補オバマ氏にあやかった騒ぎとは全く無縁である。
迎えのバスで今日から連泊予定のマリン・リゾート「はいむるぶし」へ案内された。
島の南東部の海辺に展開する大規模なリゾート施設でヤマハの手で開発されたが現在は三井不動産が経営している。センター棟を中心に7箇所の宿泊棟とテニスコート、海水浴場、大浴場、プールなどがあり、近くにはゴルフ場もあって滞在型を指向した総合リゾートである。「はいむるぶし」とは南十字星の意で、この辺りからはこの星座が観測できることから命名された由。
港から約5分の道のりであったが途中で見る風景は牛の群れる牧場であったり、何人かでサトウキビの穫り入れに励む農夫達であったり、ミレーの絵画を思わせるような懐かしい風景であった。因みに周囲16キロのこの島には650人が住んでいるが、農繁期には内地から「援農隊」と称する若い働き手がやってくるらしい。水は西表島から、電気は石垣島から海底を通して供給されているという。

私達の部屋は当初センター棟の予定だったが、大きな団体が入ったためにグレードの高い別棟が用意されるという幸運に与かる。広々とした間取りで正面に黒島が浮かぶ雄大な景観の南国らしい素敵な部屋であった。
午後4時を回ったところで気温は20度を超え快適そのもの、さっそくスケッチブックを持って海岸を目指す。
どうやら風邪は遠慮していてくれるらしく足取りは思ったより軽い。
海水浴場まで約一キロを歩き砂浜に座り込んで描く。さすがにこの季節海水浴客の姿はなく静かに打ち寄せる波の音が聞こえるのみ。ランドカー(ゴルフ場のカート)に乗ってやってくる泊り客が浜で遊んで帰っていく。
夕食の前に海面に沈む夕陽を見ようと浜辺に出るが海面近くに雲がありまんまるの夕陽というわけにはいかなかった。 連泊第一夜のディナーはフランス料理「ぬちぐすい(命薬)キュイジーヌ」、暮れなずむ島影を眺めながらワイングラスを傾ける至福のひと時であった。

(3月7日)
今日も快晴。
風邪もどうやら峠を越したようで爽やかな初夏の風が心地よく気分も晴れ晴れとしてきた。
しっかりと腹ごしらえをして8時50分小浜港発高速船サザンクロス8号に乗り込み西表島へ直行。西表島観光半日コースを予約したもので、ほぼ満員の大型観光バスは西表島大原港を出発した。
イリオモテヤマネコで有名なこの島は全国で15番目に大きな島であるが、その殆どが密林に覆われていている。人口は2,300人、島の海岸沿いに片道の県道が走るのみで、バスはその道を北上し由布島に向った。
西表島も牛の放牧が盛んである。
ガイドの解説によると放牧されている牛は殆どが雌で、人工授精で生まれた子牛は全国各地へ売られ但馬牛や松阪牛などブランド牛として育てられるそうだ。
水田には田植えをする人の姿もちらほら。ちょうど二期作の一回目にあたり、二回目は7,8月ごろという。

由布島は西表島東岸に浮かぶ周囲2.5キロ程の小さな島で約400メートルの浅瀬を水牛が引く牛車に乗って往復する。さっそく一台の牛車に20人ぐらいづつ乗りこむ。それを一頭の水牛が曳いていくのだが、自分の仕事は充分に心得ているようで御者を煩わせるまでもなく勝手にゆっくりと目的地に向う。修学旅行の中学生の姿もあり全部で10台ほどの牛車がフル稼動していた。
昭和44年の台風で水没してしまうまでのこの島には、小中学校があったほど人が住んでいたといい植物園内に学校の跡が残っていた。台風後一夫婦の手で植えられ育てられた南洋植物が現在の亜熱帯植物園の基になったという。
ブーゲンビリヤなどが咲き乱れる植物園を抜けるとすぐ海岸にでる。歩いても渡れそうな近くに小浜島が浮かんでいた。
しばらく遊んで再び牛車に乗って戻る。
水牛にはそれぞれ名前がついていて、私達が乗った往路は雌牛「おしん」、復路は雄牛「ごん太」が担当してくれた。水牛によって個人差ならぬ“個牛差”があって牛車を引くスピードにかなり違いがあり、頼りなげな「おしん」に比べ「ごん太」は逞しく抜群の健脚のようであった。
いずれも戦後間もない頃の“始祖”大五郎、花子夫婦のひ孫に当たるとのことで立派な家系図が掲示されていた。復路の御者(案内人)が三線(さんしん)を引きながら歌ってくれた「涙そうそう」は他の牛車からも拍手が起きるぐらいの名調子で、ヴェネチアのゴンドリアを髣髴とさせるほど朗々としたものであった。(写真)

再びバスに乗って引き返し大原港近くの河口から仲間川を遡る遊覧船に乗る。
50人乗り位の屋根つきの船で操縦兼案内の解説を聞きながら両岸のマングローブや亜熱帯植物を観察する。7種類のマングローブが全て見られるのはこの流域だけとのことだが素人目に見分けるのは難しい。(写真)
水際のマングローブは水勢に押されるように倒れ枯れているが、その根の浅さがいかにも心もとない。 沼地の植物は沈み込まないように根を横に這わせる習性がある。
また川がカーブにさしかかると外側と内側ではその植生に顕著な差が見られるという。外側は水流の勢いで淡水性となり普通の樹木が繁り、逆に内側は満潮時に遡る海水に満たされるため塩水に強いマングローブの独壇場になるとの解説であった。言われてよく見るとまさにそのとおりの分布で誠に興味深い話であった。
上流には樹齢400年の日本最大のサキシマスオウノキがあり下船し拝観、板状の珍しい根が圧巻であった。日本中の約4割のマングローブが集中しているといわれる仲間川遊覧は風も殆どなく爽快な川遊びであった。
12時半小原港から再び高速船で小浜港に戻る。
「はいむるぶし」で昼食をとり小休止。
すっかり調子を取り戻しているので、さっそくスケッチブックを持って目をつけておいたスポットで描き始めた。

3時過ぎ午後のオプショナル・ツアー約1時間の小浜島一周観光に出掛ける。
小さな島の中を縦横に走る狭い道をマイクロバスで見物して回るのである。
朝ドラ「ちゅらさん」ゆかりのロケ地が中心で「こはぐら荘」「ガジュマルの木」「シュガーロード」「細崎港の突堤」など案内兼運転手の解説に力が入る。 いずれもドラマでお馴染みの見覚えのある光景ばかりであった。
島一番の“高峰”標高99メートルの大岳(うふだき)に登ると四周を一望でき八重山諸島をくまなく見渡せる。
今日も視界良好で見渡すばかりの雄大なパノラマであった。
(写真 西表島を望む、手前は由布島)
300段近い急な階段もそれほど苦にならず風邪の本復も確かなもののようである。
午後5時「はいむるぶし」に帰投、スケッチの続きを描きあげて部屋に戻る。 連泊二日目の晩餐は牛しゃぶと日本酒で純和食風、風邪を何とか押え込んでくれた相棒に感謝しつつ南国最後の夜を過す。ライトアップされた緑の芝生が美しい。
食事後は約一時間のロビーコンサート(民謡)を楽しみお土産を手配して部屋に戻った。どうやら私の風邪を引き取ってしまったのか相棒が咳をし始めたのが気になる。

(3月8日)
最終日・・・・・といっても格安ツアーの悲しさで朝早く出発しての“ひたすら帰路の旅”。
チェックアウトを済ませ大急ぎで朝食を摂って7時20分「はいむるぶし」を出発した。小浜港から朝一番の石垣港行き高速船に乗りさらにタクシーで石垣空港へ。
あとは流れ作業のように飛行機(ANA)を乗り継ぎ午後1時にはもう中部国際空港に降り立っていた。春休み真っ只中の土曜日で飛行機も満員なら空港も人・人・人・・・・・。 「ちょうちん横丁」(空港内)の「豆天狗」で名物高山ラーメンを食べて家路に就いた。
いささか風邪に悩まされたものの黄砂も遠慮するほどの好天に恵まれたのは誠に幸運、南国の美しい海辺と爽やかな海風に身を委ねた小さな旅を振り返る。
限られた時間の中で見たいスポットは沢山あるし自由時間も活かしたい。しかし結局あれもこれもというわけにはいかない。 旅の終わりに感じるいつもの寂しさに加え何か物足りなさを感じるのは思うようにスケッチが描けなかったせいだろうか。
色々と面倒をみた末に風邪を引き取ってしまった相棒に感謝と自責を感じつつ・・・・・“束の間の非日常”は呆気なく終った。

(了)