(11月5日)
二日目、出発が早いうえに、6時を過ぎても薄暗い状況では折角用意してきたスケッチ道具も不発、さればとゆっくり “草津の湯”に名残を惜しむ。
予報どおりの曇り空だが雲は高く日中雨の心配はないようで、宿の部屋からは紅葉に彩られた温泉街が一望でき朝の冷気が清々しい。
昨夜と同じ場所で朝食をとったがバスに委ねての気楽な旅、朝から酒の臭いが纏わり付くのも致し方なく誠にいい気分で8時10分宿をあとにした。
テレビニュースで小沢民主党代表の突然の辞任発表を報じていたが、また小沢病かと鼻白む。(結局2日後撤回)
草津を出たバスは吾妻峡谷沿いに街道を東進、ガイドの道中案内を聞きながら沼田に向った。この辺りはりんごの産地で真っ赤なりんごがタワワに実った果樹園が続く。
月夜野ビードロ・パークに寄りガラス工場を見学したあと、「吹割の滝」を見物。
一昨年尾瀬を訪れた時に見ているので二度目だが、その時より水量も多く晴れ間に紅葉(もみじ)が映えて実に見事な景観であった。(写真)
片道200段の石段を往復したが見物客が多くしばしば渋滞、足の不自由な老人には気の毒な景勝地である。
昼食は白根山の麓のドライブインでご当地特産の「まいたけご飯定食」を食べる。渇いた喉にビールが旨い。余談ながら建物の裏には“金精(こんせい)さま”と呼ばれる男のシンボルが祀られていた。子孫繁栄のご利益があるというがもう完全に賞味期限は切れている。
バスは金精峠を越えて栃木県に入る。
この辺りの標高は1500m近くあり、葉を落とした唐松の樹林に斜陽を弾く白樺の幹が寒々として一足早い冬の到来を告げていた。
湧き出る湯のため冬でも凍らぬという「湯の湖」のきらめく湖面を見ながら暫く走ると男体山(標高2485m)の雄大な山容が現れる。既に僅かながら冠雪を催していた。
男体山と赤城山の神様が領地争いを演じたという戦場ヶ原に到着し一服する。
特に何があるという訳でもなくただ広々とした景観を楽しむのみ。
次に今日4番目の“寄留地”「龍頭の滝」を見物したが、滝というより激流といった感じで凄い勢いの水流に沿って歩く。
先回りしたバスに乗り中禅寺湖に寄った後、午後3時ようやく本日一番の楽しみ「華厳の滝」にお目もじすることとなった。
中禅寺湖から流れ出した水が高さ100mの岸壁を一気に落下する大瀑布で、那智の滝、袋田の滝(茨城県)と並ぶ日本三名瀑の一つとされている。
有料エレベーターで100m降下したあとさらに30mほど降って観瀑台に着いた。
厚い雲に夕暮れが近づいて視界が悪くなり始めたうえ、気温が下がってきたせいか見上げる滝の上部がガスで見づらくなってきている。しかし飛沫を散らして落下する滝はさすがに迫力満点で、観るものを圧迫するようにせり出した岸壁には身の危険を感じるほどであった。
次第にガスが降下し始めどうやら我等の観望が今日の見頃の最後のようであった。
岸壁に崩壊の危険があり観光に障らぬよう岸壁の内部から補強工事が進められているとのことである。
午後4時バスに戻り、帰りを急ぐ車で混雑し始めた「いろは坂」を下って一路鬼怒川温泉に向った。
紅葉の名所でちょうど今が盛りと報じられていた「いろは坂」は残念ながら夕闇とガスで視界が奪われガイドの説明に耳を傾けるのみ・・・・・この辺りでは栃木県の県の花「やおつつじ」の紅葉が特に見事である由、ますます欲求不満が募る。それでも高度が下がるに連れてガスも薄くなり時折窓外に浮かぶ紅葉を楽しみつつ鬼怒川温泉に到着した。
鬼怒川温泉は比較的歴史が浅く発見は300年前とされ、周囲には娯楽施設も多く歓楽色の強い温泉である。今日の宿は鬼怒川渓谷沿いに細長く伸びる鬼怒川温泉街のほぼ真ん中にあった。
通された部屋は8階の一室で部屋に入ってびっくり、襖は破れ座敷机の脚は傷だらけ、
床の間の畳は擦り切れ掲げられたいかにも安物の額も傾いている。トイレも旧式でバスタオルやハンガーも数不足、テレビの案内書も見当たらぬ。部屋の広さ(10畳)は4人の大人には狭苦しい。挙句に部屋食の用意が遅れる体たらく・・・・・ツアー客など目ではないとでも言いたげな扱いである。
フロントを呼び食事後部屋替えをして貰うことにしその部屋を見に行った。新館の3階で14畳の広さに何もかもが雲泥の差、しかも周囲の部屋が詰まっている雰囲気もなく何故かと益々腹が立つ。
かくして楽しかるべき二日目の宴は破れ襖を眺めつつの全く気分の乗らぬ酒となった。
料理の味もあまり覚えていない。食事後浴衣姿に靴を履き荷物を担いでの“大移動”は滑稽というより他の客には見られたくない情けない姿であった。
温泉そのものはサラッとしていて泉質もいいが大浴場と露天風呂がかなり離れていて露天風呂には洗い場がなく不便である。洒落た外面はともかくハード面もソフト面も顧客の立場をないがしろにしたお粗末なホテルであった。
験直しに露天風呂に入り気持ちの晴れぬまま就寝した。
おまけに明日は午前中雨の予報である。
(11月6日)
薄明かりの窓を開けるとやはり雨であったが意外に空は高く雲は薄い。
雨も路面を濡らす程度の弱い降りであった。
今朝は9時10分出発で時間的余裕はあったが、とてもスケッチは難しく諦めざるを得ない。明るくなるにつれて雨もやみ紅葉に彩られた渓谷が眼下に広がって部屋からの眺めは素晴らしい。願いが通じたか雲も益々薄くなる気配でようやく昨夜来の鬱屈も少しづつ晴れていくようだ。
見晴らしのいい露天風呂で恒例の記念撮影を行い朝風呂を楽しむ。
朝食は広いコンベンション・ルームでのバイキング。料理の種類、量ともまずまずで昨夜の失点を幾分カバーした感じではある。
出発までの間ホテル周辺を散策し渓谷の両岸を彩る鮮やかな紅葉を愛でる。
ロビーに戻るとホテルから報告があったのか添乗員が飛んで来て平謝り、詳しい状況は後で話すことにして気分を完全にリセットし予定通り出発した。
何しろ最終日は今度の旅の一番の目玉世界遺産「日光東照宮」拝観である。
途中「日光おかき工房」に寄り、程なく紅葉真っ只中の日光山内の駐車場に入った。その頃には薄日が漏れるぐらいに回復し傘の心配は全く無用、まず広い輪王寺の境内に出た。
旗を持つ坊主頭の案内人の先導で「輪王寺大本堂(三仏堂)」に参る。平安時代の創建で中央に阿弥陀如来、右に千手観音、左に馬頭観音を安置する日光山内最大の建造物で三代将軍家光が建立した。欅の太い柱は伊達政宗が寄進したものと伝えられる。
美しい紅葉に彩られた表参道を暫く歩き「一の鳥居」をくぐると左に五重塔があり壮麗な日光東照宮表門に至る。祭りの道具を収める煌びやかな「三神庫」と“見ざる言わざる聞かざる”の三猿の彫刻で知られる「神厩舎」の間を抜け右折すると、眩いばかりの「陽明門」が階段上に現れた。(写真)
黒漆金箔、群青、緑青、朱などで彩られ息を呑む壮麗さである。貝殻の粉で塗り固められた白色の12本の柱がさらに美しさを際立たさせていた。日暮れまで見ていても見飽きないというので「日暮門」の別称があるというのも充分に頷けるが、見上げるばかりですぐ首が痛くなるに違いない。
陽明門をくぐって左手にある頼朝、秀吉、家康の三基の神輿が納められている「神輿舎」を拝観し狩野派の手になる天女の天井画に見惚れる。
「唐門」から「本社」に入り「石の間」に上がる。世が世であれば大名にしか昇殿を許されなかった広間で、格天井には100種の龍が描かれていた。さらに御三家格の拝殿に昇り“二礼二拍手一礼”の参拝を行なう。
さすがにそれ以上の昇殿は叶わなかったが、安土桃山様式の美麗を極めた内装は見事と言うほかはない。
陽明門を出て鳴き竜の「本地堂」へ、天井に描かれた竜の頭の部分の下で拍子木を打つと鈴の音に似た妙やかな反響音が尾を引く。鈴鳴き竜とも言われる所以である。左甚五郎作と伝えられる東回廊の眠り猫は有料というのでスキップ、少々心残りであった。
次に「二社一寺」の残る一つ日光山の元祖「日光二荒山(ふたらやま)神社」に参拝する。そもそも日光という地名は二荒の音読みから来ているという。
豪華絢爛な東照宮を見た後のせいか社殿は随分質素な印象であったが、却って清々しく感じられ周囲の紅葉が際立っていた。
かくして約2時間にわたる拝観を終えたが、江戸初期徳川幕府の威令を見せ付けるには充分な結構であったと想像する。
観光シーズン真っ只中で修学旅行生や外人観光客も多く混雑していたが、幸い雨に祟られることもなく順調な拝観であった。
日光山内を出たところにあるレストハウスで昼食をとる。こちらも予め注文しておいたこの地方特産の「ゆば料理萌えご膳」、燗酒を酌み交わしながらの陽気なひとときであった。
食後の腹ごなしに近くの大谷川(だいやがわ)に架かる「神橋」を渡ってみることにした。
日光を開いた勝道上人が築いたと伝えられる朱塗りの橋だが、最近大修理が完成したばかりで特別に有料公開しているとのこと。橋上から見る大谷川の両岸の紅葉(もみじ)はまた一段と見事であった。
午後1時10分バスに集合した一行は一路帰途に付く。
日光宇都宮道路、東北自動車道を経由し首都高速に入り東京駅を目指したが、予想外のスムーズな走行で予定より30分以上早く着くという。そこでガイドのアイデアで“ミニ東京バス観光”を組み入れることになった。葛飾、両国、浅草、兜町、皇居、国会議事堂、霞が関などガイドの軽妙な解説で思わぬ得をしたような気分になる。
4時半東京駅日本橋口に到着。
新幹線の発車時刻まで一時間以上もあり、我等は丸の内界隈を散策することにして足の向くまま皇居二重橋を目指した。
日没前でまだ明るさの残るお濠と二重橋を背景に記念写真を撮る。暇そうにしている守衛にシャッターをお願いしたら体よく断られてしまった。
まったく仕様のない“おのぼりさん”である。
新幹線は5時56分発名古屋止まりの「こだま」であった。
勿論各駅に洩れなく停車し後続の「のぞみ」や「ひかり」に先を譲っての3時間近い乗車時間だが、お値打ちツアーとあればやむを得まい。もっとも我等にはいささかの痛痒もなくさっそく買い込んだ弁当と酒でフィナーレを飾る“車中宴”が始まった。
添乗員から渡されたアンケート調査には鬼怒川温泉での悪印象をしっかり書き込み、具体的な状況を聞かせた。美しい紅葉と草津温泉で味わった楽しさを減殺した悔しさが滲むが、全体としては雨に祟られることもなくまずまずであったかと思う。
ツアー旅行の決め手であるツアーメイトは皆いい人達ばかりで、添乗員、ガイドそれに運転手も夫々の職責をきちんと果たしていた。
あるご婦人曰く『朝から晩まで楽しそうによく(酒を)飲みますね。同窓会ですか?』
メイトには色々と気を遣った筈だが一番態度が悪かったのは我等4人だったかもしれない。
酒を除けばまさに“熟年生の修学旅行”であった。
(了)