12月21日(木)
この時期この地方の日の出は遅く悠に7時を過ぎる。
軽食を摂り7時半にホテルを出た。
さすがに今日も好天とは参らずどんよりした曇り空で、冷え込んではいるがどうやら雨の心配はなさそうだ。再び「美観地区」へ向かい美術館の開館前にスケッチを一枚と意気込む。
昨日の中橋の位置から少し移動して瀟洒な案内所の建物(旧町役場)を橋越しに眺めるスポットで描き始めた。適当な石組みがあり腰をおろすのには恰好の場所だ。
さすがに散歩を楽しむ人も少なく、掃除に精を出す人などがチラホラ・・・・静かな早朝の風景である。
しばらくすると観光案内を仕事にしているという同年輩の男性が隣に腰をおろし話しかけてきた。
絵の話かと思ったらスケッチなど全く無視されて大原家の話や倉敷の昔話に美術館の沿革などなど、何のことはない本業のお披露目なのである。始めのうちは適当に相槌を打ちながら絵筆を動かしていたが、鞄から出てくる色々な説明資料を見せられるに及んでついつい引き込まれてしまう。
「倉敷川は昔“潮入り川”と称して江戸幕府直轄の海産物の集散地であった」とか、「中橋の床石は一枚岩」「大原家の松一本の剪定代金が自分の年金一か月分」「倉敷独特の格子窓」などなど・・・・・
そう云われてみると目の前の中橋は確かに一枚石である。どうやって架設したのだろうかとの疑問には答えてくれなかった。
垣間見た彼の胸のネームプレートには「岩田」とあったが、これも気侭な旅の楽しい余禄か。
想定外の事態で少々手間取ったが何とか9時の開館時間にはスケッチを終える。
開館と同時に入館、ギリシャ神殿のような建物の正面両脇にはロダンの「カレーの市民」「洗礼者ヨハネ」が迎える。自分以外には2,3人ほどの姿が見えるのみで申し訳ないような誠に有難い美術鑑賞となった。
大原美術館は倉敷の実業家大原孫三郎(1880-1943)が親友の画家児島虎次郎(1881-1929)に収集を依頼した西洋絵画を中心に昭和5年に設立・公開したもので、わが国有数のコレクションとしてとみに知られている美術館である。いつのころか随分前に一度訪れていると思うのだが殆ど記憶がない。
ちょうど貸出されていた主要な絵画が帰ってきているとのことで誠に幸運であった。
ルノワールの「泉による女」、セザンヌの「水浴」、モネの「睡蓮」、ゴーギャンの「かぐわしき大地」。ユトリロの「パリ郊外」などなど・・・・なかでも著名な大作エル・グレコの「受胎告知」は個室に展示されていた。
珠玉の絵画を思う存分に鑑賞できる贅沢を満喫する。
また中山巍「郵便夫」を通して佐伯祐三のあの「郵便配達夫」に繋がるシャガールの「アレキサンドル・ロムの像」や、佐伯祐三に怒声を浴びせたヴラマンクの「サントニ風景」の前では暫し連想を愉しむ。
またピカソ、マティス、キリコ、カンディンスキーなど前衛派の絵画も一室を占めるスケールで展示されていて再認識した。さらに20世紀初頭パリにあって印象派やフォービズムの影響を受けた若き日本人画家達の絵画も一室を形成し、佐伯祐三の「広告ヴェルダン」を始め佐伯祐三が影響を受けた中村彝や藤島武二、ともに競い合った前田寛治や川口軌外らの絵が展示されていて何やら懐かしい気分を覚える。やや我田引水気味になってきたがこれも美術鑑賞の醍醐味というべきか。
その他ジョバンニ・セバンティーユ(イタリヤ1858-99)の「アルプスの真昼」は黄色と青と白の筆触分割と視覚混合により明るく鮮やかな画面を際立たせる独特の技法(新印象主義)で“印象に残る一枚”であった。
約1時間余り至福の時間を過した後、少しはなれた旧倉敷紡績工場にある児島虎次郎記念館に歩を運び画家としての彼の業跡を観賞する。光をプリズムのように分解する新印象主義的影響を強く受けている感じで、明るく温かい色調の「ベコニアの畠」には西洋絵画を観る彼の確かな眼差しを感じた。また絵画ばかりではなく中国やオリエントの古美術の収集家としても活躍していたようである。
記念館を出て川べりを歩いていると先ほどの岩田氏が観光客を相手に熱心に説明している場面に出くわす。声を掛けると「お元気で!」と威勢のいい返事が返ってきた。
大原邸近くの「亀遊亭」でスタミナを補強した後、美しい中央通りを倉敷駅に向った。新幹線乗り継ぎの岡山で1時間強の余裕が出たので、さればと虫が騒ぎ出し岡山県立美術館に寄って見ることにした。
常設のみの展示であったが、中村彝、児島虎次郎、国吉康雄ら地元ゆかりの画家の絵が集められていた。
珍しいところでは剣豪宮本武蔵が晩年寄留した熊本で描いたという気迫の溢れる三幅の軸「布袋竹雀枯木翡翠図」を観ることが出来たのは望外の収穫。
結局岡山でも図録やら土産やらで重くなったリュックを背負い往復3キロ弱を歩いたことになり、ステーキランチが威力を発揮したようである。
かくして二日間の美術探訪の旅は終わったが、振り返れば主目的“オルセーの神戸”より、しっとりと落ち着いた“白壁の倉敷”の魅力に目を奪われたような旅であった。シーズン・オフの旅も捨てたものではない。
新幹線はジパング割引乗車のため何度も「のぞみ」に追い越されるもどかしさを味わう・・・・・でもスケッチの手直しなどを楽しみながらの約2時間半はあっという間であった。
名古屋では一味違う忘年会の酒が待っている筈である。
(了)