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42  美術探訪・冬の旅―神戸&倉敷

平成18年12月20〜21日


12月20日(水)
今年も暖冬なのかこのところ好天が続く、その柔らかな朝陽に包まれて神戸に向った。
名古屋素通りを恨み、せめて神戸でと狙っていた「オルセー美術館展」が主目的で、ついでに足を伸ばし倉敷に一泊して大原美術館を訪ねる謂わば『美術探訪・冬の旅』である。
勿論この種の旅は気軽な一人旅に限るのは云うまでもない。

新神戸から地下鉄で三宮へ、11時前に会場の神戸市立博物館に着く。
旧外人居留地区にあり古めかしく堂々とした風格の建物ですぐそれとわかった。(右写真)
平日にも拘わらず来場者が多いのに驚く。会期末(1月8日)が迫っているせいもあるのか、それにしても何処も同じ風景で中年女性グループが圧倒的である。
オルセー美術館は開館後20年と日は浅いが屈指の印象派コレクションとして知られ、セーヌ川をはさんで対岸に位置するルーブル美術館と人気を二分している。

マネ、モネ、ゴッホ、セザンヌ、ルノワール、ゴーガンなど名だたる印象派巨匠の絵がずらりと並びさすがに圧巻であったが、専門の美術館でないせいか全体に窮屈な感じで、絵と絵の間隔が狭く人気の絵の前では渋滞が起きてしまう。女性が多いので後ろから頭越しに観ることできその点は有難かったが・・・・・。
人混みの中での約一時間の観賞で、ゴッホの「アルルのゴッホの寝室」、マネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」、セザンヌの「サント=ヴィクトワール山」の三点が印象に残った。なかでもゴッホの絵は「夜のカフェテラス」(昨夏の「ゴッホ展」の目玉)と好一対の代表作で、微妙に崩れた遠近法、独特の黄色と青のコントラストにグラフィック調の線描が新鮮で魅惑的だ。
また同時代にパリに集まり交友を深めた画家達だけに、モデルになりあったり互いの家族を描いたりした絵が多いのも目を引いた。

混雑していたこともあり何となく物足りなさを感じながら博物館を出て、近くで昼食をとりぶらりとフラワーロードを散策する。
陽射しも温かい小春日和、昼休みのサラリーマンや観光客などで賑っていた。 昼間ではただ白い構造物でしかないルミナリエの大がかりな仕掛けを見上げる、夜店のテントもずらりと並んで今宵は一体どんな賑わいになるのか。いっそこのまま夜まで神戸に居ようかとふと思ったりしたが予定通り2時過ぎの新幹線で岡山経由倉敷に向かった。

宿(ホテル)は倉敷駅から歩いて10分、とりあえずチェックインし休む間もなくスケッチ道具を抱えて「美観地区」へと急ぐ。
4時を回ったところでまだまだ十分に明るい。居並ぶ白壁とその影を映す倉敷川・・・お馴染みの素敵な風景が待っていた。両岸の柳並木もまだ緑を保っている。まんなか辺りの中橋付近で腰をおろしスケッチを始めた。人影もまばらで日中の暖かさが残っており気分は最高、錦鯉が泳ぐ川には白鳥が一羽のんびりと遊弋している。
約1時間熱中したが、やはりこの時期陽が沈むと夕闇の足は早い。街路灯の黄色い灯りが目立ち始める頃ようやく腰を上げた。

少々早いが酒にしようと調べておいた“郷土料理が味わえる居酒屋”「民芸茶屋新粋」を探し当て暖簾をくぐる。店先には「おでん」と書かれた大きな看板が掛けられていた。
まだ時間が早いせいか客は無い。奥のほうのカウンターに座りさっそく熱燗を注文、聞くと銘柄は地元の「磯千鳥」、肴も当地ならではの「ままかりの刺身」ときてはもう旅情もたっぷり、おでんも看板に違わず味がしっかりと滲みこんで実に旨い。坊主頭の主人の講釈を聞きながら杯を重ねる。そのうち二人、三人と客が増えだし次第に賑やかになってきた。
酒も進んでとっくりのお代わりが3回、4回・・・・・ほろ酔いのいい気分で店を出る。
再び川辺の通りに戻ったが、すっかり人影も消えライトアップされた白壁が冴え冴えと川面に揺らいでいた。

12月21日(木)
この時期この地方の日の出は遅く悠に7時を過ぎる。
軽食を摂り7時半にホテルを出た。
さすがに今日も好天とは参らずどんよりした曇り空で、冷え込んではいるがどうやら雨の心配はなさそうだ。再び「美観地区」へ向かい美術館の開館前にスケッチを一枚と意気込む。
昨日の中橋の位置から少し移動して瀟洒な案内所の建物(旧町役場)を橋越しに眺めるスポットで描き始めた。適当な石組みがあり腰をおろすのには恰好の場所だ。
さすがに散歩を楽しむ人も少なく、掃除に精を出す人などがチラホラ・・・・静かな早朝の風景である。
しばらくすると観光案内を仕事にしているという同年輩の男性が隣に腰をおろし話しかけてきた。
絵の話かと思ったらスケッチなど全く無視されて大原家の話や倉敷の昔話に美術館の沿革などなど、何のことはない本業のお披露目なのである。始めのうちは適当に相槌を打ちながら絵筆を動かしていたが、鞄から出てくる色々な説明資料を見せられるに及んでついつい引き込まれてしまう。
「倉敷川は昔“潮入り川”と称して江戸幕府直轄の海産物の集散地であった」とか、「中橋の床石は一枚岩」「大原家の松一本の剪定代金が自分の年金一か月分」「倉敷独特の格子窓」などなど・・・・・
そう云われてみると目の前の中橋は確かに一枚石である。どうやって架設したのだろうかとの疑問には答えてくれなかった。
垣間見た彼の胸のネームプレートには「岩田」とあったが、これも気侭な旅の楽しい余禄か。
想定外の事態で少々手間取ったが何とか9時の開館時間にはスケッチを終える。

開館と同時に入館、ギリシャ神殿のような建物の正面両脇にはロダンの「カレーの市民」「洗礼者ヨハネ」が迎える。自分以外には2,3人ほどの姿が見えるのみで申し訳ないような誠に有難い美術鑑賞となった。
大原美術館は倉敷の実業家大原孫三郎(1880-1943)が親友の画家児島虎次郎(1881-1929)に収集を依頼した西洋絵画を中心に昭和5年に設立・公開したもので、わが国有数のコレクションとしてとみに知られている美術館である。いつのころか随分前に一度訪れていると思うのだが殆ど記憶がない。
ちょうど貸出されていた主要な絵画が帰ってきているとのことで誠に幸運であった。
ルノワールの「泉による女」、セザンヌの「水浴」、モネの「睡蓮」、ゴーギャンの「かぐわしき大地」。ユトリロの「パリ郊外」などなど・・・・なかでも著名な大作エル・グレコの「受胎告知」は個室に展示されていた。
珠玉の絵画を思う存分に鑑賞できる贅沢を満喫する。
また中山巍「郵便夫」を通して佐伯祐三のあの「郵便配達夫」に繋がるシャガールの「アレキサンドル・ロムの像」や、佐伯祐三に怒声を浴びせたヴラマンクの「サントニ風景」の前では暫し連想を愉しむ。
またピカソ、マティス、キリコ、カンディンスキーなど前衛派の絵画も一室を占めるスケールで展示されていて再認識した。さらに20世紀初頭パリにあって印象派やフォービズムの影響を受けた若き日本人画家達の絵画も一室を形成し、佐伯祐三の「広告ヴェルダン」を始め佐伯祐三が影響を受けた中村彝や藤島武二、ともに競い合った前田寛治や川口軌外らの絵が展示されていて何やら懐かしい気分を覚える。やや我田引水気味になってきたがこれも美術鑑賞の醍醐味というべきか。
その他ジョバンニ・セバンティーユ(イタリヤ1858-99)の「アルプスの真昼」は黄色と青と白の筆触分割と視覚混合により明るく鮮やかな画面を際立たせる独特の技法(新印象主義)で“印象に残る一枚”であった。
約1時間余り至福の時間を過した後、少しはなれた旧倉敷紡績工場にある児島虎次郎記念館に歩を運び画家としての彼の業跡を観賞する。光をプリズムのように分解する新印象主義的影響を強く受けている感じで、明るく温かい色調の「ベコニアの畠」には西洋絵画を観る彼の確かな眼差しを感じた。また絵画ばかりではなく中国やオリエントの古美術の収集家としても活躍していたようである。
記念館を出て川べりを歩いていると先ほどの岩田氏が観光客を相手に熱心に説明している場面に出くわす。声を掛けると「お元気で!」と威勢のいい返事が返ってきた。

大原邸近くの「亀遊亭」でスタミナを補強した後、美しい中央通りを倉敷駅に向った。新幹線乗り継ぎの岡山で1時間強の余裕が出たので、さればと虫が騒ぎ出し岡山県立美術館に寄って見ることにした。
常設のみの展示であったが、中村彝、児島虎次郎、国吉康雄ら地元ゆかりの画家の絵が集められていた。
珍しいところでは剣豪宮本武蔵が晩年寄留した熊本で描いたという気迫の溢れる三幅の軸「布袋竹雀枯木翡翠図」を観ることが出来たのは望外の収穫。
結局岡山でも図録やら土産やらで重くなったリュックを背負い往復3キロ弱を歩いたことになり、ステーキランチが威力を発揮したようである。

かくして二日間の美術探訪の旅は終わったが、振り返れば主目的“オルセーの神戸”より、しっとりと落ち着いた“白壁の倉敷”の魅力に目を奪われたような旅であった。シーズン・オフの旅も捨てたものではない。
新幹線はジパング割引乗車のため何度も「のぞみ」に追い越されるもどかしさを味わう・・・・・でもスケッチの手直しなどを楽しみながらの約2時間半はあっという間であった。
名古屋では一味違う忘年会の酒が待っている筈である。


(了)