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36  春の山陰ドライブの旅

平成18年4月12日〜15日


4月12日(水)
午前6時15分準備万端・勇躍我が家を出発、夫婦で3泊4日山陰ドライブの旅に出た。
昨日までの雨は上がったもののどんよりした曇り空、ラッシュ前の国道41号線を駆け抜け小牧インターから名神・中国・米子自動車道を疾走、愛車BMW君も久し振りの高速道路とあって至ってご機嫌、一路目的地に向ってひた走る。
途中養老S・Aで朝食を摂り運転を交代したりして米子に到着したのが予定通り正午。
約450キロを5時間45分で走ってきたことになる。
そしてそのまま安来市鷺の湯温泉に直行、カーナビが無いので地図を見ながらのドライブであったが、ナビゲーターはおおかた老眼鏡の妻が務め何時になく的確で迷うことなく到着した。
途中雨が降ったり薄日が射したりであったが、沿道の桜が楽しめまずまずのドライブ。

桜は関ヶ原や中国地方山間部では満開一歩手前というところだが、山陰地方はちょうど満開であった。特に安来市界隈は至る所に桜が咲いていて、飯梨川の土手や月山・富田城跡などは萌え出した新緑と相俟って素晴らしい景観を呈していた。(写真)
晴れていたらどんなにかと少々残念な気もするが、小雨に煙る満開の桜もそれはそれで春らしく心に滲みる。出雲蕎麦で昼食をとり月山・富田城跡へ足を伸ばし桜の下を散策、さすがに人影は無く覇権を争った戦国武将たちや、尼子氏再興のため奔走した山中鹿之助らつわものどもの夢のあとに想いを馳せる。

そしてお目当ての「足立美術館」に入館。
13,000坪といわれる庭園はさすがに評判どおりで遠くの山野を借景にしたスケールの大きな日本庭園は見事というほかはない。ちょうど若葉が芽吹く季節で豊かな彩を加え始めていた。地元の実業家で創設者の足立全康が「庭園もまた一幅の絵画である」と称したというがまさにその通りの庭園であった。
米誌のよる2005年日本庭園ランキング3年連続一位との評価も頷けるが、大掛かりな仕掛けが好きな欧米人にはことに好まれるのであろう。ときに借景の山野が何時まで無傷で居られるのかという心配は全くないのだろうか。
美術館の展示は横山大観の日本画と北大路魯山人の陶器が目玉。
館内は空いておりお庭を眺めながらお茶を飲むなどゆったりと観賞できたが、そろそろ退出しようとした時入り口付近で異常なざわめきが起きる。大勢の団体客が押しかけてきたのだが、駐車場には大型バスがずらりと並び岐阜選出の「某代議士後援会」と表示されていた。危くおばさん軍団に呑み込まれるところであった。

次に安来市を訪れたら「安来節」に「どじょうすくい」!、体験道場なるものを覗いてみたが、“先生”不在とあってカラ振り、それではと立派な構えの演芸場へ行くとこちらは開演までに1時間もあるという。出たとこ勝負も今日は「裏目」、そこで合間に妻の提案で近くの名刹清水(きよみず)寺へ行くことにした。 地図を頼りに出かけたが以外に遠く時間が無くなって本堂付近まで登ったところで引き返す。小雨に煙る五重塔を遠望するに留まった。
演芸場に戻りギリギリ間に合って正調「安来節」や「どじょうすくい」を観賞する。観客は我々を入れて僅かに6人、拍手も淋しく何か悪いような気がした。こういう場所はやっぱり賑やかな方がいい。

あちらこちらと走り回った初日も暮れて宿の「さぎの湯荘」に入る。足立美術館のほんの目と鼻の先にあり、どことなく家庭的な雰囲気のある和風の温泉旅館であった。かけ流しの温泉にたっぷりと浸かってハンドル疲れを癒し、しまね和牛と竹の子の目立つ料理をつまみながら杯を傾ける。 就寝前にもう一度存分に“湯福”を味わったのは言うまでもないが、泊り客も少なく宿は静かな雨音とともに深い眠りに就いた。

4月13日(木)
今日こそ晴天をと願ったが空しく朝から鬱々とした雨模様。
それではと早朝の湯船にただ一人ゆったりと浸かる。露天風呂に出ると当然ながら頭に雨が降りかかるが気持ちがいい。
ゆっくりと朝食を摂り8時10分宿を出発、山間を抜ける国道243号線を走って松山市内観光に向った。峠の頂上付近は気温が下がっているせいか霧が立ち込めて通る車もほとんどいない。満開の山桜が時折幽玄の趣を見せてくれる。

県庁所在地の風格が滲む松江市の中心街を通ってまずは松江城へ行く。大河ドラマ”功名が辻”にも出ている堀尾吉晴が築いた名城で天守閣は現存する12天守の一つである。満開の桜が彩を添えていたが雨のせいか観光客は少ない。中に入ると巨木と巨石で支えられた基底部分の構造がつぶさに観察でき、吉晴の工夫とされる寄木の太い柱が目を引く。現在の集成材の元祖のようなもので普通の木材の柱より強いと解説されていた。擦り減って黒光りする階段の手すりが経てきた年数を誇示しているようである。
お堀を渡り観光コースになっている小泉八雲記念館や武家屋敷を歩いた。八雲ファンにはたまらないだろうなどと思いながら堀端を通って駐車場に戻る。堀川めぐりの遊覧船に人影もまばら、小雨に煙って静かに波紋をひくのみでお城全体が雨霧に深く沈みこんでいるような風情であった。
お城を出て宍道湖畔の島根県立美術館を訪ねる。
広く湖を望む絶好のロケーションで全面ガラス張りの中から観る風景が売り物なのだが、今日は雨に濡れて灰色一色・・・・。展示品はクールベの「波」が目を引く程度で現代アートが中心であった。 美術館と聞くと喫茶・食事を連想する妻の悪い癖に乗せられて昼食をとり、本日後半の目玉石見銀山へと向った。どうしても行ってみたいという妻の希望で組み込んだプログラムである。
国道9号線を西に2時間ほど走って到着した。

小止みなく降り続ける雨の中、谷あいにへばりつく様に細長い集落が川上に向って伸びている。まずは採掘坑夫らの魂が眠る羅漢寺・五百羅漢にお参りした。二つの大きな祠(写真)の中にところ狭しと並ぶ五百体の羅漢像は坑夫の霊を弔うためとされ地元の人々らの寄進で江戸時代に製作されたものという。喜怒哀楽の様々な表情と今にも動き出しそうな姿が印象的であった。
車でさらに奥へ入り採掘現場のひとつ「龍源寺間歩(まぶ) 」を見学する。(間歩は鉱・間府の意味で鉱山の穴をいう――広辞苑)
全長270mもあり迷ってしまうのではと不安になる程で、人ひとり腹這いになってようやく入り込めるような無数の横坑が伸び、鑿の跡も生々しく十分に当時を偲ばせてくれる。
石見銀山は1526年に発見されて以降400年間にわたって採掘された。17世紀前半の産出量は年間38トンにも達し当時の世界の産出量の3分の1を占めていたといわれる世界最大の銀山であった。最盛期の人口は20万人を数えたという。
戦国大名が所有権を争い、江戸幕府の直轄領として財政を支えた石見銀山は関連する一帯を含め来年7月世界遺産に登録されることが内定しているとのこと・・・・・これらは 坑口近くの銀細工の店の店主が熱心に解説してくれた話である。

再び麓の集落に戻り妻が楽しみにしていた人気の店「群言堂(ぐんげんどう)」を探し当てる。築150年の古い商家3軒を連ねて改築したというこの店は、外見に似合わず内部は古い美術品や建材に現代アートを組み合わせたユニークな造作になっていて広い中庭がある。地元の工芸品や雑貨などが展示販売されていた。
お茶や買い物で4,50分も過してしまい、もう少し他の史跡を回ってもよかったかと心残りの石見銀山を後にした。

車を20分ほど走らせて、かつて銀の積出港として栄えた沖泊港に隣接する温泉津(ゆのつ)温泉の宿「輝雲荘」に入った。石見銀山とともに発展した温泉街で、狭い露地に並ぶ古い宿が往時を偲ばせる。この地方独特のモザイク状の赤褐色の瓦屋根がしっとりと雨に濡れて美しい。
この宿も泊り客が少なく温泉も掛け流しのゆったりした湯で、静かに湯治気分を満喫させてもらう。出された海鮮料理は食べきれないほどのボリュームであった。

4月14日(金)
今朝も温泉を独り占め、ようやく雨もあがりそうな気配である。気温は低いが意を決してスケッチ道具を担ぎ港の方へ出た。
朝明けで白く輝く海の小さな美しい風景が目に止まりさっそくスケッチブックを拡げる。(右スケッチ)風は冷たく時に小雨を運ぶ環境の中で辛うじて約1時間頑張り宿へ引き揚げた。ちょうど部屋には暖かい朝餉の支度が整っていて美味しく腹いっぱい馳走になる。こんな朝は熱燗が楽しめたら最高なのにとひとりごと・・・・・。

8時30分予定通り宿を出発。海岸沿いに針路を東に返し出雲大社に向った。
10時過ぎに大社に到着しさっそく参拝。さすがに境内は広く荘厳な雰囲気で本殿を始め古色蒼然とした檜はだ葺きの屋根が印象的であった。50年ごとに屋根の葺き替えが行なわれるが今年は43年目になっているとは、傍らを通りかかったガイドのおばさんの解説である。
出雲大社は縁結びの神様でもある。絵馬を買い娘のために願いをしたためて本日第一の目的を果たした。

この頃になって雲間から待望の陽射しが洩れ始め、近くの日御碕(ひのみさき)に足を伸ばす。
風が強く荒波が岩礁に激しく打ち寄せる風景は日本海独特のもので(トップページ写真)、青緑色の春の海に飛び散るしぶきが勇壮で美しい。見上げると白い灯台がまぶしく聳えていた。 こちらも観光客は少なくお昼時の店の呼び込みについ誘われて、店に入りサザエの磯焼をつまんだが砂が多くてとんだ大失敗。
出雲市に戻りJR旧大社駅などを見物、昼食は“るるぶ推奨”の「かねや」を探して出雲名物“割子蕎麦”で口直し、名物に旨いもの無しというがこれは全くの例外でなかなかの味であった。
次は妻ご執心の藍染工房「出雲民芸藍染長田染工場」を探し訪ねる。主人が親切に製品の種類や染め方などを説明してくれたが、気に入ったものがなかったのか何も買わずチャッカリお礼を言ってさっさと退出。いささか申し訳ない気分だが当人はケロッとして屈託もない。
国道431号線に戻り宍道湖北岸を一路東へ向う。どうやら雨の心配も無さそうなので途中ガソリンスタンドに寄って汚れたBMW君の体を洗ってあげた。自分達だけ毎日温泉に浸かっているのでは申し訳ない。

次の目的地は松江市西部の松江ウォーターヴィレッジ「ルイス・C・ティファニー庭園美術館」。 宍道湖に面していて意外に大きな構えである。美術館の瀟洒な建物とイギリス庭園が実にうまく調和していて現実離れした素敵な美術館だ。足立美術館といい県立美術館といいこの地方は庭園を美術館展示の一部分として取り込む才に長けているようである。
展示されているのはかつて名古屋で仮オープン展示(八事弥生が丘)されていたルイス・C・ティファニー(米国人1848-1933)の美術工芸品で、ステンドグラス、アール・ヌーボー調のガラス器物や装飾品、絵画、家具など実に多彩で豪華なコレクションである。展示配置や照明の演出も巧みでしばし時を忘れさせるほどであった。
美術館での妻の悪癖に付き合うなど2時間も過ごしたろうか、この旅最後の宿泊地日本三名湯の一つ玉造温泉に向った。宍道湖東岸は夕陽が美しいことで知られており、出来ればと思っていたが依然として雲が多い状態では期待薄と諦める。

泊まりは「佳翠苑皆美」で5時過ぎに到着した。
9階建ての旅館で今までとは一変して大勢の泊り客の中の一員となる。通された部屋は大きな窓から遠く宍道湖が望め、眼下に桜並木が広がる7階で実に気分がいい。温泉は9階でさっそく青空の残る露天風呂で疲れを癒す至福のひと時・・・・・。
夕食は別室で他の客も一緒の部屋であったが、自室で見慣れた相手との食事が続いていたので却って他人の目を意識しながらの食事も悪くない。ライトアップされた庭園も食事に彩を添える。料理はしまね和牛のステーキに海鮮料理で、味も秀逸なら量も適当でいうことはない。気の効いたサービスに満足度は高くうるさい妻も文句なしという表情だ。
就寝前の風呂は一階の大きな温泉、山陰の湯を巡る旅もこれでお終いかといささか名残惜しい。

4月15日(土)
最終日だがやはり天候に恵まれず今にも降り出しそうな曇り空。
5時起床し朝湯に浸かって天下の名湯を心ゆくまで味わう。そして最後のチャンスとスケッチ道具を担いで旅館を出た。温泉街の真ん中を流れる玉湯川は桜の名所、散り始めてはいるもののまだ十分に見応えがあり散った花びらが歩道を桜色に染めていた。
そんな景色を留めんと河原に降りて描き始める。(左写真)その殊勝な心根に免じてか天はどうにか雨を催さず見守ってくれたようである。

朝食も美味しく頂き8時30分宿を出る。
その頃には雨も本格的に降り出していた。
今日は松江市の東側に広がる中海(湖)に向かい大根島を通って境港(さかいみなと)に寄って帰途に就くことにしている。。雨の湖の風景は相変わらずだがその中央にある大根島を串刺しにしたような道路は見晴らしがよく快適であった。行き交う車は少なく高潮の心配がないせいか湖に突っ込みそうな場所もある。
2時間ほど走って境港に着き「海産物直売センター」に行くと大きな観光バスが数台来ておりセンター内は威勢のいい掛け声で活気に溢れていた。観光コースの一つになっているようで平日にも拘わらずかなりの人出である。
朝水揚げされたばかりの車えびやほたるいか、それに名物のしじみなどをお土産に買い込む。妻は今夜のおかずにとカレイなどを買っていたが、もう主婦に戻るリズムを取り戻しつつあるようだ。 境港を出て日本海に臨む弓ヶ浜沿いに走りそのまま米子自動車道に入る。
後は往路と同じコースをひたすら我が家に向って走る。
雨足は名残を惜しむかのように次第に強くなってきたが途中渋滞などに遭うこともなく午後5時無事に我が家へ帰投した。

”国内未踏地域”解消の一策として二人で企画し準備した気侭なドライブの旅、天気には恵まれなかったが雨の桜もまた佳し、雨ゆえの車の旅の有難さも手伝って出雲の名所旧跡を予定以上に訪ねることも出来た。全走行距離1,300キロに及ぶ旅程で、持てる能力を存分に発揮して安全な旅路を演出してくれたBMW君に心から感謝したい。(ガソリン代高騰の折、因みに燃費効率は11.5Km/l)
またこの程度のドライブなら十分にこなせる体力に益々自信を深めるとともに、意見の食い違いも露呈せずまずは円満で楽しい夫婦の旅であったことを有難く思う。

(了)