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29  春の飛騨路・旅の絵日記

平成17年4月22日〜26日


4月22日(金) 曇り時々小雨
今日から5日間の予定で飛騨路に遊ぶ。
初日は名古屋から伊藤さんが遠征してきて義兄と恒例の「春の宴」、今までは現役でままならぬ身の自分は参加できなかったが、今回晴れての初参加となったのである。 春本番の国道41号線に愛車を駆って国府町の義兄宅へ午後3時に到着、天候は不安定で時折小雨がぱらつき気温も平年以下と肌寒さを感じた。
義兄とともに満開の桜に彩られた飛騨国府駅からディーゼル車で高山へ。駅舎もプラットホームも昭和33年離郷当時と少しも変わっていないが、あの頃は蒸気機関車であった。
「宴の会場」は国分寺通り裏の居酒屋「甚六」、6時きっかりに伊藤さんが現れた。
親父夫婦がカウンター越しに応対するいかにもご両所好みの居酒屋である。揚げたての山菜天婦羅などを肴に地酒を楽しむ。2時間ほど飲んだあとは店を出て今度はカラオケ・・・・名古屋での「秋の宴」と同様定番となっている。
いつも決めているというスナック「ローズ・ハウス」で自慢の喉を競う。明日泊めてもらうことになっている朋友中村君に偶然出会うハプニングにびっくりした。
「高山の夜」を十分堪能し、ホテルに泊まる伊藤さんと別れ国府町へ戻る。

4月23日(土) 晴れ
朝6時半起床、朝の散歩に出かけた。
快晴が約束されるかのような爽やかな冷気の中、名勝「桜野公園」へ足を伸ばす。昨秋の台風禍で100本余りに減ってしまった桜は、それでもちょうど満開で精一杯の華やぎを見せていた。明日桜祭りが行なわれるというが、治水工事の関係で公園の広さが従前の半分程度に縮められてしまうとか。
午前9時浅野家の人たちに見送られて高山市街へ向かう。

中村君の実家は 高山陣屋のすぐ裏手という高山市街の中心地にあり、用意してくれた駐車場に車を置き中村家を訪ねた。
一休みさせてもらった後、さっそく絵の具の入ったリュックを担いで観光客で賑う街に出た。ちょうど今日は大合併で生まれ変った高山市が記念に開催した「屋台の曳き揃え」が行なわれる初日で、陣屋前の広場は大勢の観光客で埋め尽くされていた。満開の桜を背景に朝日に輝く華麗な屋台に見とれること暫し・・・・気を取り直して宮川の河原に降り、上流に赤い中橋を望むスケッチ(第1作)に没頭した。ここは以前にも描いたことがあるお気に入りの場所である。
昼食を挟んで江名子川から東山寺町界隈を散策し「えび坂」へ、観光客が多くやや気後れしたが街角に腰を据えて二枚目のスケッチ(第2作−写真)にとりかかった。
ようやく陽も傾き中村家に戻って一宿一飯のお世話になる。提燈に飾られた宵祭りの屋台も見事なら、陣屋の松越しの満月もまた風流この上なし・・・・・ではあったが、ご病気の老親を抱える家庭に押しかけてしまった事を悔やみつつ就寝。


4月24日(日) 快晴
お世話になった御礼に昨日の最初のスケッチ(赤い中橋風景)を差し上げ、8時半中村家を辞す。 昨夜絵に高い関心を示していた奥さんが大変喜んでくれて少しは肩の荷が下りた感じだ。
今日も朝から雲ひとつない快晴、宮川の河原に降りて昨日と同じ場所でもう一枚スケッチ(再第1作−写真)、観光客は昨日より多く屋台が中橋を渡る頃には河原にもかなりの人が降りてきてカメラを構えスケッチどころではなくなった。そんな中に犬山から来たという初老の夫婦と少しばかりスケッチ談義、いつもの楽しい余禄である。
朝市などを楽しみ奥飛騨温泉郷へ向かった。

こんな快適なドライブは久しぶり、愛車BM君も快調で一人ルンルン気分に浸りながら平湯温泉口に着く。正面に純白に輝く槍の鋭鋒が聳え、道路脇には除雪の山が残る格好のロケーションを見つけてさっそくスケッチ(第3作−写真)を始めた。
風もなく空気は爽やかで時間を気にする必要が全く無くまさに至福の時を満喫。
昼食後、熊牧場を見物するなどして午後2時過ぎ今夜の宿新平湯温泉「建治旅館」に着いた。
馴染みの温泉宿で、この間リニューアル・オープンしたとの挨拶状が届きさっそく予約したものだが、木の香も新しい玄関口に懐かしい女将が待っていた。
さて、せっかくだからもう一枚描こうと新穂高温泉方面へ車を走らせる。
中尾温泉に入ったところで間近に白銀の錫杖岳を望む手頃な場所を見つけた。人影もなくじっくりと約1時間半思い通りのスケッチ(第4作−写真)ができ満足感に浸りながら宿に戻った。
日曜日の宿はひっそりとしていて、今夜は消防団の例会がある他に泊まり客は自分ひとりだけとのこと、宿も露天風呂も独り占めだ。
暮れ行く春の稜線を眺めながらの食事は、飛騨の山菜類、飛騨牛、熊汁など珍味を肴に氷り漬けの生酒「氷室」、女将に今日の成果を見てもらいながらスケッチ談義をひとくさり・・・・いつかはこんな時もと心に描いていた夢の一駒である。
宴会のさざめきも聞こえなくなり静寂に戻る頃もう一度露天風呂に浸かって就寝した。

4月25日(月曜日) 晴れのち曇り
天候は下り坂ながら雲間から晴れ間も覗くまずまずの天候、8時半女将夫婦に見送られて宿を後にした。今日からは一泊二日の「一七会」に合流するのである。
この会は幼馴染で同じ銀行に職を得た先輩達二人と高山市の同輩中村君(前述)を加えた4人の謂わば“同朋の友の会”、振り返れば半世紀を越える”竹馬の友”である。
午前11時高山駅頭に集結、お昼は駅近くのこだわりの蕎麦屋「つるつる亭」、今朝採ってきたばかりの山野草を天婦羅にし、蕎麦やうどんは主人の目立ての石臼で挽いたお手製、水も調味料も酒も全てこだわりの逸品で自然の生命力を売り物の珍しい店だ。
料理と女将の「講釈」で腹一杯になった一行は一路野麦峠方面へ出発、まず美女高原でおりしも満開の水芭蕉(トップページ)を見物した。池畔の茶屋で大阪尼崎のJR福知山線で今朝起きた大事故を知る。野麦峠は残念ながらまだ開通しておらず高山へ戻り「文化伝承館」と「光記念館」を見物しベスト・ウエスタンホテルにチェックイン。

夕食は山家料理「蔦」で、以前に恩師を招いたこともある馴染みの店である。姉妹と弟が女将、仲居、板場をやっているというこじんまりした料理屋だが料亭「洲崎」仕込みの味は抜群、なかでも「芋の煮っころがし」は大好物である。聞けば女将はもう82歳になるとか、元気そうで心配はないがいつまでも店を続けて欲しいものだ。楽しい宴のあとはお決まりのカラオケ、22日と同じスナックですっかり顔馴染みになってしまった。
ほろ酔い気分でホテルへ戻る繁華街は昼間の喧騒がうそのように人影もなく夜の帳に沈み始めていた。


4月26日(火) 雨のち曇り
5日間の旅も最終日、どうやら雨の気配はないようなので早朝6時道具を担いでシリーズ最後の一作をとホテルを出る。
近くの国分寺の境内へ行き高山を象徴する秀麗な三重の塔をスケッチ(第5作−写真)した。精緻な構造や屋根のバランスに苦労したが、今日は団体行動の隙間、どうやら制限時間内に描き上げて腰を上げた頃に雨がポツリポツリと落ちてきた。「天は我を見捨てず」ホテルにもどって朝食を摂り8時半出発した。ホテルには万博の影響か外人客の姿が目立っていた。

本降りになった雨の中を神岡方面に向かう。途中昨年の台風で被害を受けた郷里の名勝「宇津江四十八滝」を視察、傷跡がわからないくらいに復旧していて頼もしく感じた。
神原峠越えの道から開通したばかりのトンネルを通って神岡へ入り、神岡鉄道「奥飛騨温泉口駅」へ寄る。こだわりのコーヒー店「あすなろ」が駅舎内にあり美人の店員が迎えてくれる中村君推奨の店であった。ちょうど2両編成の汽車が到着し内部を見せてもらったが、お座敷や喫茶コーナーがあって深山幽谷を肴に杯を傾ける観光専用の仕様となっていた。
生憎の雨中のドライブとなってしまったが、ワイワイやりながらの気侭な旅で楽しさに全く翳りもない。高山に戻って昼食を摂りながら清算し散会した。

かくして我が5日間の気侭な飛騨行脚も無事終了したのであるが、スケッチの収穫もさることながら改めて友人・知己の大切さを思い知る貴重なシリーズであった。同時に素晴らしいふるさとを持った幸せをつくづくと感じた旅でもあった。

(了)