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24 同窓会「北海道の旅」 平成16年10月3日〜5日
10月3日(日)
朝から雨模様、妻の運転で名古屋空港へ。
今日から3日間、こくふ会(国府中学校30年卒同窓会)の北海道旅行である。
参加は総勢46名(男22、女24)、今回の幹事は飛騨市古川町在住者で代表は大西君である。遠路からは地元北海道1名、茨城県1名、兵庫県1名で、東海地区は13名が参加した。
病気の中村君の姿が見えないのがやはり淋しい。
140名程の卒業生だが「遠征同窓会」は平成11年11月の還暦記念伊勢神宮参拝 (参加70名)、14年2月の九州旅行(参加48名)についで3回目、いつものことながら「いい乗り」である。
東海地区参加者は少し早めに集結し、予定通りバスで到着した飛騨組を待って合流。
3年ぶりの再会を喜びあった後12時30分全日空機で雨の名古屋空港を飛び立つ。
雨雲を突き抜けるとまぶしい陽光が飛行機の小さな窓一杯に広がった。
午後2時10分女満別空港に到着した。こちらは曇天ながら薄日が漏れる天候で、風が無いせいか思ったほど寒くなく名古屋と余り変わらぬ印象である。
この道東にある小さな空港は25年前に夫婦で訪れた懐かしい空港で、YS-11(国産双発プロペラ機)にタラップで昇った記憶があるが、今は立派なターミナルビルが建ち昇降ウィングも
2基あって随分便利になっていた。
ここで千歳からの田中君と羽田からの清水口君が合流する予定であったが、清水口君が車の混雑で飛行機に乗り遅れて現れず、次の便で発ったことを確認し観光バスで出発した。
まず、能取湖畔のサンゴ草(別名アツケシソウ)の群生地を見物。茎が紅葉するサンゴのような丈の短い草が密集し、濃い茶褐色の絨毯が沼地に広がる珍しい光景であった。
次に有名な網走刑務所を見学、意外な美しい環境の中に建物も新らしく看板を見なければおよそ刑務所とは思えないほど。しかし嬉々として記念写真を写すことにはちょっと抵抗を感じた。 市内で刑務所ゆかりの寺に移築されたという門を窓越しに見たが、いかめしく古色蒼然として極寒の地の刑務所の雰囲気を伝えていた。
オホーツクの水平線を左に見ながらバスは知床半島を東に向かう。
途中の小清水原生花園は季節はずれで人影もない。
第一日の宿泊地ウトロは知床半島の中央部にあり、宿に着く頃には晴れ間も覗いてオホーツクに沈む夕焼けが美しく明日の好天を約束するかのようであった。
宿に直行した清水口君も元気な顔を見せていてこれで全員が揃った。
ゆっくり温泉に浸かる。眺望がきく筈だが既にとっぷりと日が暮れ僅かに水平線が確認できるのみ。
30分遅れの7時に宴会が始まった。
例によって「めでた」で始まる賑やかな宴、郷土組の趣向を凝らした余興などで盛り上がり、10時頃閉宴し各自の部屋へ引き上げた。11時頃就寝。
10月4日(月)
天候は予想通り晴れ。
5時起床、日本で最も早く夜が明ける知床半島も陽が昇るにはまだ少し間がある。
昨夜の内に準備しておいたスケッチ用具を手に近くのウトロ漁港に下りていく。
ちょうど漁に出る漁船が何隻か出港するところで、威勢のいいエンジン音が響き、電球の光がキラキラと波に散る予想外の光景に出会った。
埠頭には朝食の調達にやってきたのかウミネコが独特の泣き声を発しながら我が物顔に飛び回っている。
出会った漁師に挨拶すると歯切れのいい元気な返事が返ってきて実に清々しい気分である。
しばらく場所選びをし、港を見下ろすように林立する奇岩をバックにした漁港の風景をスケッチすることにした。
薄紅色の朝焼け空が美しい。
通りかかった漁師が覗き込み、秋場の漁の話をしてくれたりして、人情もついでにスケッチしたい気分になる。この季節はサケ漁が盛んだそうだが、荷揚げ場辺りに人影が動き漁港らしい活気が出始めた頃、一応描き終えてホテルに戻る。(左写真)
勿論朝風呂を楽しむ余裕もなく朝食を摂って8時出発のバスに乗る。
朝一番の目的地は羅臼岳に連なる知床峠。知床岬から北方四島、根室半島を一望できる絶好の景勝地であったが、残念ながら深い霧に閉ざされ視界ゼロ、下界は晴れているというのに全く気が利かない。
バスを降りるまでもなくそのまま引き返して今度はオホーツクを右に見ながら昨日の道を西進し、途中オロンコロンの滝を見物する。
そして道東三湖巡り、「屈斜路湖」へ向かう。
バスガイドの和田さん(31歳独身女性)の楽しい案内でバスの旅も快適である。
お目当ての紅葉は北海道も少々遅れ気味とか、山へ入っても7割程度で所々の「ななかまど」の朱色がひときわ目立っていた。左右に広がる広大な農園の作物や、森に棲息する動物のコミカルな解説が楽しかった。最近では労力節約のため、刈り込んだ牧草はサイロに貯蔵するのではなくロール状に巻いてビニール・ラッピングし牧草地にそのままにしておいて、必要なときに取り込んで飼料にするという話も。
冬を間近に忙しい筈の農夫の姿が殆ど目に入らぬほど広大な農園風景である。
屈斜路湖ではアイスクリームを食べたり、足湯に浸かったりでさながら修学旅行気分、硫黄山で小休止のあと今日の目玉「摩周湖」への道を登る。
ガイドによれば摩周湖が晴れている確率は五分五分とか、下界は晴れていても信用できないとのことで果たしてどうかと固唾を呑む。視界が開けて覗いた摩周湖はすこぶるご機嫌であった。
摩周ブルーの湖面が妖しいほどに美しく、周囲の山々も同色に染まってくっきりと冴え渡る晴れ姿。
恵まれた幸運に感謝しつつ記念写真を撮りまくる。
摩周湖はバイカル湖(ロシア)に次ぐ世界第二位の透明度を誇っているとのことであった。
弟子屈で遅めの昼食を摂り、午後3時半、第二日目の宿泊地「阿寒湖」へ到着。
ホテルにひとまずチェックインを済ませて遊覧船に乗る。マリモ展示観察センターを見学するなど湖上を一周、湖岸の紅葉も今一歩の感じではあったが、傾いた夕陽に映え鮮やかな色彩を湖面に映して見応えがあった。
湖面を渡る風にはさすがに肌を刺す冷たさがあり、ホテルに戻る頃には暮色も深く間近かの雄阿寒岳が覆いかぶさるように厳しいシルエットを見せていた。
今夜のホテルは阿寒湖温泉の中でも最も豪華で新しく、湖を一望できる9階の温泉は最高、ゆっくりと疲れを取っていざ宴会第二夜へ。
今宵も日本舞踊あり、カラオケありと役者が多く退屈する事はない。酒も昨日を上回るペースで進んでいる様子であった。
終宴間近かの時を選び、旅行中皆から色々と様子を聞かれた中村君の病状と彼からの伝言を話して、一日も早い回復を祈念した。渡辺さんからも激励を願うとの口添えがあった。
最後は恒例の盆踊り、全員がひとつの輪になって踊って散会となった。
次回の幹事は国府中央学区在住の皆さんにお願いする事になり、堀口君が代表幹事を引き受けてくれた。
今夜は二次会がセットされて少々騒いだ後、有志十人ほどが近くの「アイヌ部落」(みやげ物売りの商店街)に出かけた。
25年前にもここでアイヌの火祭りを見物し木彫りのレリーフを値切って買った思い出の場所である。当時のままの佇まいでレリーフの「鈴の家」も健在であった。
一番奥のオンネ・チセ(小劇場)で民俗芸能を見物、調子に乗った連中が壇上に上がって踊り出す一幕も・・・・。平日なので見物客も少なく、土産物店も閑散として淋しく戸締りをしている店もあった。
11時過ぎホテルに戻り就寝。
10月5日(火)
午前2時半、「鼾の狂騒曲」で目が覚めてしまいウトウトしている間に気がついたら6時を回っていた。
大急ぎで準備し湖岸に出ると、三々五々散歩を楽しむ人たちが歩いていたが、話し声から東洋系の外国人が多いのに驚く。
昨日の内に目星を着けて置いた場所で約一時間のスケッチ。湖面には薄い霧が舐めるようにたちこめ、刻一刻と姿を変える景色は実に扱いにくい。最も描きにくい時間帯で団体旅行での限界を感じながら、何とか仕上げてホテルに戻り急ぎ朝食を摂って皆に追いつく。(右写真)
今日は千歳空港まで北海道を横断するバスの長旅である。
鈴木宗男や松山千春の出身地足寄町を通過、狩勝峠へ向かう。狩勝峠は標高644m、大雪山系から日高山脈が一望でき実に雄大な景観であった。西へ行くほど天気は下り坂傾向で薄く雲が広がり始めた。
南富良野へ着くとテレビ・ドラマ「北の国から」の舞台となった場所として知られている「麓郷の森」を散策する。広い森の中にはドラマで使われたという古びて壊れそうな丸太小屋があったりしたが、ドラマにさっぱり記憶がない自分には興味は湧かない。
ファンだった女性達には感動ものだったようだ。
富良野市に入り街はずれの高台にある「ふらのワイン工場」を見学、土産のワイン・セットを家に送る。
隣接の「ふらのワインハウス」が今日の昼食、牛肉のジンギスカンを炭火で焼く煙に歓声が沸く。連日の酒宴とバスの長旅にも拘らず我らの仲間は誠に元気で食欲旺盛、スタミナをたっぷりつけて再びバスに乗る。
そしてひたすら千歳空港を目指すことになるが、途中桂沢から三笠にかけて異様に廃屋が目立ち荒んだ風景が目に飛び込む。この辺りはかって夕張炭鉱などで栄えた町で、廃坑後の傷跡がいまだに癒えず農業だけが支えの北海道の地力の乏しさを伺わせる情景であった。 高速道路に入った
バス内では「我らが田舎のエンターテイナー」和田君の独壇場となる。ユーモアたっぷりの「飛騨弁漫談」や怪しげな替え歌などで爆笑の渦、かまととぶって調子を合せるガイド嬢との当意即妙の掛け合いは出色であった。同じ和田姓で彼はとうとうガイド嬢の「お父さん」になり「親娘の縁」を結んでしまったのである。タダでは聞かせぬと帽子を回し浄財を集めて幹事に寄付する辺りなかなかの役者振りでもあった。
さて楽しかった同窓の旅も、午後4時半千歳空港へ無事着いていよいよ終幕に向かう。
名古屋到着が遅くなることから、バス内で大西代表幹事から丁重な感謝の挨拶があり、大拍手、来年4月の万博見学ツアーでの再会を誓い「仮締め」の形となった。
20年ぶりの千歳空港もすっかりスケール・アップし見違えるように変わっていた。
ロビーで岩見沢に帰る田中君と札幌に泊まり翌日東京へ戻る清水口君と別れる。
地元の田中君は皆に土産をと重いリュックを背負って参加してくれその心配りが嬉しかった。
ふたりは皆と別れの握手を交わしながら最後まで名残を惜しんでいた。
土産を買ったり配られた弁当を食べたりしながら出発を待つ。さすがに疲れた様子がありあり・・・・。
定刻(7時05分)どおり出発した全日空機は雨上がりの名古屋空港に9時前に到着、流れ解散となった。
かくして体調を崩したものは一人として無く、楽しかった北海道の旅はあっという間に終わったのである。
(了)
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