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12  『花いち』の閉店

平成15年5月7日(水)


5月6日の午前11時少し前、携帯が鳴った。

「花いち」のママからである。
「急な話ですが明日で店を閉めることにしました。最後なので今日か明日これないかしら?」突然でビックリしたが、かねてからそんな話も聞いていたので、いよいよかと常連の池田君と語らいさっそく花束を持ってその夜出かけることにした。
お好み焼き「花いち」のある西区鳥見町3丁目は庄内通交差点の南西に位置し(「我が傾杯マップ」参照)、計画進行中の名古屋都市高速道路が都心に向ってカーブする内径の地点にあたる。そのため大掛かりな土地の買収と家屋の取り壊しが進み、周囲の様相が一変して店を続けることが難しくなったようである。

これで見納めかと見慣れた看板を横目に暖簾をくぐると既に何組かの客が来ていて、ママは忙しく立ち働いていた。池田君も来ておりいつものように指定席「蜘蛛の巣城」が確保されていた。
少しは感傷的になるかと思ったが、相変わらず明るいママの応対でいつもの雰囲気に浸りこみ、さっそく楽しい宴が始まったのである。
となりにはママのゴルフの師匠なる人もいて賑やかなこと。
話は自然と昔話になるのはこうした場合致し方が無い。

そもそもの馴れ初めは旧東海銀行庄内支店時代、得意先係の若い連中と飲みに通ったのがお付き合いの始まり、「ゆかりチャン」という美しい娘さんが勤め帰りに手伝っていて、それが皆の「お目当て」でもあった。
店の改装の相談に乗ったことや、ゆかりチャンの盛大な結婚式に出席したこと、開店以来の常連さん寺田さん夫妻との交友も懐かしい思い出だ。岐阜県池田町のご自宅や谷汲山などへ何度か出かけたこともある。

本店時代の友人でゴルフ好きの池田君が加わると、しばらくしてママがゴルフに熱をあげ始め、そのうちに近くに越してきた平井夫人も参加し何度か一緒にラウンドすることになるのだが、いずれも本当に楽しい思い出ばかりである。
最近ではホームページの「我が傾杯マップ」に掲載させてもらった時の取材も実に面白かった。

思えば昭和59年開店というから、かれこれ20年近い年月を殆どママ一人で切り盛りしてきたわけで、その才覚は見上げたものである。
自分が始めて店を覗いたのが確か昭和62年のことだから、こちらも15年来の相当なシンパでよくも飽きずに通いつめたものと我ながら感心しきりだが、それもやはりママのアッケラカンとした明るさと心のこもった応対、それに底抜けに楽しい会話のせいだろうと思う。
塞ぎこんだ気分を晴らしてくれることも度々であったが、いよいよ店が無くなる事態におよんで何か大切なものが失われていく寂寥感を禁じえない。

将来家を建て直し元気なうちにまた店をやりたいとママは望んでいるようだが、出来るならかなえて欲しいと思う。
そして何よりも当面は新しい生活のリズムに慣れ元気で過ごして貰いたいものであり、 店は無くなってもママを中心に気のいい仲間の絆が保たれ続けることを切に願っている。
(写真は平成11年8月の「花いち」界隈、現在の隣一帯は茫漠たる空き地になっている。)

(了)